■報告者(共同報告の場合は代表者)
□氏名(ふりがな):玉井智子(たまいともこ)
■報告題目(40字以内):「手話も口話も」で楽しく 〜聴覚障害児と健聴母親への支援を考える〜
■発表要旨(2,000字以内)[註、文献、図表等を含む]:

1. はじめに
ろう者、聴覚障害者等(以下、聴覚障害者等とする)は、その障害による聞こえにくさから音声言語獲得に困難があり、また健聴者が多数を占める音声言語環境下においては、情報収集において不便や困難を強いられている。そして聴覚障害児の9割以上は健聴両親から生まれることから、親子あるいは家族間のコミュニケーションについても音声言語を選択すれば通じにくさを、また手話を選択した場合には当事者以外の家族が違和感を、それぞれ感じながら生活する場合が少なくない。聴覚障害教育や療育の歴史においても訓練による音声言語獲得(耳で聞き(あるいは相手の唇の動きを読み取り)音声言語を話す)が障害克服であるという方向性が貫かれ、保護者(主に母親)は、家庭における訓練士の立場を担い、わが子の発声発語訓練に全力を注ぐ状況が見られた。しかし一方で成人聴覚障害者等のかかえる問題として、社会生活においてその経験不足や情報不足、情報処理経験の不足等を背景とした生活技術等の未熟によるくらしづらさが報告されている。
これらのことから、聴覚障害者のくらしづらさの改善について検討するために、まず、幼児期の楽しい母子コミュニケーションを目標とした環境整備を検討し、手話を含めた母子コミュニケーションを支援する目的と地域幼稚園生活におけるコミュニケーション支援目的で4年間にわたり実施した。その結果、母子を取り巻く環境からの支援や指導の中には、母親を不安にさせるなどの悪影響を与える状況が見られることがわかった。このことから、専門職者、支援者等環境因子が母子に与える影響とその阻害因子化の背景について考察する。
2. 対象と方法
難聴A児(人工内耳(以下、内耳とする)手術2歳1か月時、内耳装用時聴力30〜35dB)(以下、A児とする)とその健聴母親(30代、以下、母親とする)。家族は父親(軽い難聴)と3人で、父親の両親(ともに健聴)が近在、母親の両親(ともに健聴)は車で1時間ほどの距離に在住。
A児の聴覚障害告知後1歳6か月ごろより母親は独学で手話単語を生活の場で活用していた。筆者が難聴児への聴能訓練等実施機関に「手話で親子コミュニケーションの誘い」を行い、母親が応じ、手話学習開始となった。おおむね月1回手話学習を実施し、母親の手話コミュニケーション支援および意見聴取を行った。その後、地域幼稚園入園に伴い、A児のコミュニケーション状況を考慮して手話を含めたコミュニケーション環境整備を目的にした参与観察を幼稚園に依頼し、許可された。幼稚園にはおおむね月1回のペースで参与観察に赴き、園児降園後に教員らに意見聴取した。母子と、母子を取り巻く人々の状況についてICF国際生活機能分類(以下、ICFとする)を用いて整理した。
3. 結果と考察
母親はA児のコミュニケーション手段について「口話も手話も」を希望した。筆者は「親子の楽しいやり取り(健康的母子関係を基盤とした自由なコミュニケーション)」と、「楽しい集団生活(口話を読み取るためや聞き取り、発声発語に過度の緊張や集中を求められない、大人とも子どもとも自由なかかわりができる)」を目標に、環境整備を実施した。その結果、幼稚園入園までの1年間には、「口話も手話も」というコミュニケーション環境に対する専門職者等や、母親および父親の両親、A児と同様に内耳装用児の保護者等からの否定的態度や質問・疑問が母親を不安定にする状況が見られた。地域幼稚園選択に当たっては、教育委員会等の意見及び指導、地域幼稚園で生活する内耳装用児の母親たち(先輩)の経験談や情報、入園希望に対する幼稚園関係者等の対応など、その折々に、母親は迷いや悩みを抱えた。
幼稚園生活においては入園当初、担任教員等は以前別の聴覚障害児が入園した際に自主的に手話講習会に通うなど、「手話も口話も」に対して協力的であったが、A児の音声言語コミュニケーション力の向上とともに、「発語が増えたので、手話はやめたほうがよいのではないか」「手話はもうしなくてもよいか」などの意見が増えた。母親もまた「手話も口話も」としつつも実際のA児とのやりとりでは、「手話<口話」もしくは「口話のみ」に傾く様子が見られ、加えて、A児が音声のみで聞き取りできているかどうか「試し」、A児は当惑するという場面も見られた。
これらのことから、A児と母親を取り巻く専門職者等は、阻害因子化する可能性があるとともに、母親自身もわが子に対する阻害因子となる可能性が示された。このような阻害因子化の背景には、手話をコミュニケーション手段とすることに対する違和感や労力に加え、専門職者等や親としての立場から「聞こえる、音声で話せる」ことを「発達する、伸びる」と同義ととらえ、「伸ばしてやりたい」という思い等も存在しており、改めて「支援」についての共通認識および連携等の必要性が示されたと考える。