■報告者(共同報告の場合は代表者)
□氏名(ふりがな):高森明(たかもりあきら)
■報告題目(40字以内):<飼育>とは何か −横塚 晃一の<障害鶏>考を手がかりとしてー
■発表要旨(2,000字以内)[註、文献、図表等を含む]:

【問題提起】
 報告者は、目に見えにくいインペアメントを持つが、障害者とは承認/ラベリングされることなく社会生活を営むグレーゾーンの人々の社会参加状況に注目しながら、事例を集め調査を続けてきた。調査の中で特に注目したのは、大人になってから発達障害と診断された中途診断者たちの診断前の社会参加状況である。中途診断者たちの多くは普通学級に在籍し、教育課程を終えた後は労働市場において通常枠で働いていた。女性の中途診断者では恋愛及び結婚を経験した者も少なくなく、心身の機能不全を理由に社会参加を制度的に禁止、制限された者はほとんどいなかった。しかし、中途診断者たちの参加状況に目を向けると、学校では孤立及びいじめ、職場ではハラスメント及び失業、家庭では虐待及びDVを経験した者が少なからず存在することを、過去に行った事例検討で明らかにした。報告者自身の調査によれば、グレーゾーンの人々は確かに社会の中で不利益が集中しやすい。しかし、その不利益は目に見えやすい心身の機能不全を持つ障害者とは異なる特徴を持ち、排除及び障害者差別という言葉では説明しにくい要素を含んでいる。いったい、グレーゾーンの人々に集中しやすい不利益はどのように説明することが可能なのだろうか。
【研究方法】
 この問題を考える上で重要な示唆を与えてくれたのは、CP者で青い芝の会の理論的指導者であった故横塚晃一の<障害鶏>考であった。横塚は自らが鶏を飼育した経験から、@鶏小屋の中に閉じ込められた鶏集団の中には必ず<障害鶏>の役割を与えられる鶏が作り出されることA<障害鶏>を鶏小屋から保護すると、別の鶏が<障害鶏>の役割を与えられ、<障害鶏>が鶏集団からなくなることはないことB養鶏家も他の鶏もそれぞれの理由から集団の中に<障害鶏>を必要としていることを明らかにした。報告者は横塚が目に見える心身の機能不全を持つ障害者であることを踏まえた上で、<障害鶏>考がグレーゾーンの人々の社会参加状況を説明する上で極めて重要な視点を提供していると判断した。本報告では、横塚の<障害鶏>考を、いじめ学の提唱者内藤朝雄の提唱する<飼育>という概念によって検討した。内藤によれば、<飼育>とは「相手を自分より弱い立場に固定化すること」であり、相手を集団から締め出そうとしている訳ではない点が<排除>とは異なっているとする。内藤の<飼育>概念を<障害鶏>考の検討を通じてさらに練り上げ、グレーゾーンの人々の研究に役立てることが本報告の狙いである。
【考察】
 <障害鶏>考を<飼育>という観点から検討した結果、以下の三点のことが明らかになった。
(1)<障害鶏>は、鶏集団から締め出すために迫害されているのではなく、むしろ迫害するために必要とさえされている、という点が重要である。他の鶏にとって、自らの保身のためには<障害鶏>の役割に固定化された鶏が不可欠である。養鶏家にとっても、生産力となる鶏をできるだけ多く残しておくために<障害鶏>の役割に固定化された鶏は必要とされる。他の鶏からも養鶏家からも鶏集団の中で必要とされているという点が<排除>とは明らかに異なる<飼育>の重要な特徴である。
(2)養鶏家はともかく、鶏には障害者という概念は存在しないので、<障害鶏>の集中的な迫害は鶏集団内の生態秩序、あるいはパワー・バランスによって生じている可能性が高い。<飼育>は心身の障害者という概念を持たない集団でも発生するという点が、<障害者差別>とも異なっている。<障害者差別>は<障害者>という概念があってはじめて成立する。
(3)<飼育>には発生しやすい環境がある。具体的には、空間が閉ざされており@関係を解体すること、距離を置くことが困難な環境A法律及び第三者のチェックが届かず、集団内の恣意的なルール及びパワー・バランスの支配力が極めて強い環境が挙げられる。
【まとめ】
 報告者が過去に集めた事例も参照すると、グレーゾーンの人々が<飼育>を経験しやすいのは家庭及び小中学校である。この2つの集団、あるいは空間は関係解体が難しい、法律及び第三者のチェックが届きにくいという<飼育>を発生させやすい環境の条件を全て兼ね備えている。就労前のグレーゾーンの人々が家庭及び学校で<飼育>を多く経験している理由も、この点に求めることができる。
 以上のことから、<飼育>概念は、グレーゾーンの人々が家庭及び学校において集中しやすい不利益を説明する上では非常に有効であることが明らかになった。しかし、雇用される側に退職する自由があり、雇用者から解雇される可能性のある職場の場合、家庭及び学校に比べると関係を解体することは容易であるため、別の概念によって説明する必要があると言えるだろう。