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ダン・グッドレイ「障害モデルにおける自己擁護の位置づけ」について

~翻訳者による若干の解説~

 この論文は、Dan Goodley, Locating Self-advocacy in Models of Disability: understanding disability in the support of self-advocates with learning difficulties, Disability & Society, vol.12, no.3, 1997, pp.367-379の全訳である。グッドレイは、英国シェフィールド大学社会学部に所属する研究者である。
 この論文の主旨は、セルフ・アドボカシーが、知的障害のある人々の解放実践として位置づけられているにもかかわらず、実態として知的障害のある人々に対して抑圧的に働く可能性をもつことを示唆しているところにある。その際、障害の「個人モデル」と「社会モデル」という対立概念が、分析枠組みとして用いられている。
 「個人モデル」「社会モデル」は、障害学*1disability studiesにおけるキーワードである。要点を述べるなら、障害の「個人モデル」とは、障害のある人個人の問題として障害を考えるというパースペクティヴであり、また障害の「社会モデル」とは、障害を社会の問題として捉えるパースペクティヴである。「個人モデル」においては、障害は障害のある人個人の問題であるから、その個人が努力して障害を克服しなければならないという原則が導かれる。それに対して「社会モデル」においては、障害は社会の問題であるから、障害に関わる問題の解決のためには、社会変革が第一義的な意味を持ち、社会変革のためのストラテジーが追究される。
 すなわちこの論文では、セルフ・アドボカシーが障害の克服を障害のある人々個々人に強要する装置として機能しているのではないか、という問題提起を行っているわけであり、またセルフ・アドボカシーが障害のある人々の解放につながる社会変革実践としてあるための要件を追究しているのである。われわれの取り組んでいる本人活動も、概念的に曖昧なまま運動が展開されており、必ずしもその実践が障害のある人々の解放へと向かっていないのではないか、という疑念をもたずにはいられない。本論はこの疑念に正面から取り組むためのテキストとして有効であると考え、訳出に踏み切った次第である。

 以下の翻訳文は、授業で分担して訳出したものを津田英二が全面的に修正したものである。分担した受講生は次のとおり。井川静恵、石黒周、岩永美穂、金沢裕貴、楠本恭子、駒田亜希子、高山祐介、田辺ゆかり、寺田友香、冨永貴公、仲村圭太郎、高橋香、有村拓朗、小泉昇一、小西義治、東智之。

*1 障害学は、アメリカの公民権運動に端を発する障害者運動と呼応しつつ、近年登場してきた新しい学問体系である。日本での障害学の制度化をリードしている長瀬修によれば、障害学とは「障害、障害者を社会、文化という視点から考え直すと同時に社会、文化を障害、障害者という視点から考え直すこと」であるとしている。


障害モデルにおけるセルフ・アドボカシーの位置づけ
~知的障害のある本人の支援における障害理解~

ダン・グッドレイ

概要
 知的障害のある人たちのセルフ・アドボカシー・グループに対する近年の評価は、グループの組織や構造の諸相に焦点が当てられており、障害理論と取り組むことには明らかに失敗しているという傾向にある。本論では、異なる障害理解を探求し、これらがセルフ・アドボカシー運動においてどのように示されているか、あるいは示されえるかという点を考察する。第一に、支配的な障害の個人的悲劇モデルの影響が、支援者の位置づけに触れながら考察される。もし支援者がこのような障害理解をしているなら、本人の自己決定に対して抑圧をもたらすということが論議される。第二に、オルタナティヴな障害の社会モデルからみたセルフ・アドボカシーが提起される。このモデルに基づいて遂行されるときの、セルフ・アドボカシーが最もよく理解され、実践される支援者の役割に触れながら論議する。ここで、セルフ・アドボカシー自体の展望が開かれる。最後に、社会モデルの視点からのセルフ・アドボカシー理解がいっそう深められる。セルフ・アドボカシー自体が支配的な障害理解一般に直接的に挑戦するとともに、障害の社会理論の形成に貢献することができるものであることが示唆される。

はじめに
 英国におけるセルフ・アドボカシー運動の発展は、知的障害をもつ人たちにとって潜在的に大きな意味を持っている(Williams&Shoultz,1982)。現在、「ユーザー参加」の新しい手法への要求によって、専門家や政策立案者はエンパワーメント実践へ至る潜在的な背景としてのセルフ・アドボカシーに関心をもっている(Barnes&Wistow,1992)。この関心はセルフ・アドボカシー・グループの多様な集まりの発展という結果を生じさせた。
 以前のセルフ・アドボカシー・グループの評価は、グループの組織的、あるいは構造的側面に焦点が当てられる傾向があった。例えばCrawley(1990)によるグループの類型では、運動の多面的な性質にスポットを当てている。第1、にグループは政治的、財政的、組織的に独立体である(例えばピープルファーストのように)。第2に、グループはそれまで組織を導いてきた親、或いは専門的な存在から離れて発達してきており、それらからは「区分された」ものである(例えばMENCAP)。第3に、「連合体モデル」はより大きな(障害者)市民権団体との提携によって後押しされたものである。最後に、グループはサービスの提供を基本とする。例えば、セルフ・アドボカシー・ワークショップはATCやSECプログラムの一部を構成している(Crawley(1988)のプログラム利用者自治会についての研究を参照)。
 さらに、支援者の様々な位置づけが、グループメンバーの自立を促進することに関して、セルフ・アドボカシーの本質を考える上でそれ以上の問題となっている。(Worrell,1987,1988:Dowson&Whittaker,1933)「理想的」な自発性に基づいたボランティアと比べて、1990年代における支援者の位置づけは、専門的、サービス重視の関わり、擁護的関わりといったことが強調されるという特質の点で、多くの相違があった。その一方で、たくさんの本人と支援者は、そういった運動の最近の展開に関心を示している(Tyne,1994:George,1995)。従って、いわゆるセルフ・アドボカシー・グループの増加がそのままセルフ・アドボカシー、自己決定のための確実な意義のある機会の増加につながると言うことはできない(Crawley, 1988, p.47)。
 これまでの評価は、この運動を考察する上でしっかりとした基盤を提供してきたが、それにも関わらず、社会的・理論的ディスコースのレベルにおいて障害に取り組むことには、明らかに失敗している。よって本論においては、異なる障害理解を探り、セルフ・アドボカシー運動において、これらがどのように履行されているか、またはされ得るかについて考察していく。
 第一に、知的障害における支配的な障害の個人的悲劇モデルが、いかに知的障害のある人たちの自己決定に抑圧をもたらすかを考えていく。支援者の位置づけについても詳しく論及する。
 第二に、オルタナティブな障害の社会モデルが、セルフ・アドボカシーに対していかに適応できるかを考察する。このモデルに基づいて遂行される時に、本人自身からの助言を通してこそ、セルフ・アドボカシーが人たちに最もよく理解され、実践されるものであるということについて論議する。ここでもまた、支援者の位置づけに関して検討していく。
 第三に、社会モデルの見地からのセルフ・アドボカシーの概念化をさらに進めていく。セルフ・アドボカシーが、障害一般、とりわけ知的障害に関する支配的な理解に対して直接的に挑戦するものであるがゆえに、障害の社会理論の形成に貢献し得るものであることを論議していく。

セルフ・アドボカシーと障害の個人モデル
 現在も含め今世紀の間、一般に知的障害や障害は主として個人の機能障害の点から理解されてきている。その結果、身体的なものか精神的のものかにかかわらず、機能障害というものは、障害としてみなされているということに気づく。このことにより、機能障害を中心とした考え方は、学習することや、他人との相互関係、個々の結びつき、性的生活などに障害があることや、障害者の子育てなどの無数の障害の原因を機能障害としている。そのような機能障害と障害の原因を同等視する考えは、障害の概念を個人主義化している。知的障害のあるている個々人にとって、彼らの障害は自分自身の機能障害の産物であるということになる。このような知的障害(と障害一般)の理解は、障害の個人モデル、もしくは個人的悲劇の見方と呼ばれるものを内在している。

個人モデル:認識論的な立場から
 障害の個人モデルには、障害や知的障害の概念が根源的には個人の機能障害に根ざしている、という認識論的な起源がある。このことは、個々の障害における個人の病理、そしてケアに直面しておこる他者への依存に関するなおいっそうの論義をひき起こしている。さらに、そのように烙印を押された人たちは、医学的な/専門的な技術や支配の受け手として、環境に適応することを要請される(必要とする)。そしてそれは、よくても干渉、悪くすれば管理という政治の焦点となる(Oliver,1995参照)。障害を決然として個人的悲劇の範囲としてみなすことによって、依存や障害が受け入れられないという文化を永続させているのである。我々は、彼らのレッテルやそれに対応する「客観的に」規定された個性によって、他人を単純に知ることができると感じている。この「他人についての知」は、レッテルをはられた個人にとって大きな意味をもつ。(Goffman,1963)個人の病理としての知的障害という最も支配的なディスコースを打ち破ったり、逃れることは難しい。ほとんどの場合、それは社会的受容に裏打ちされており、そのレッテルの裏にある個性を見えにくくしている。悲しい物語の中の悲劇的な象徴である知的障害のある人たちは、社会的に規定された障害の台本をたどることを要求されている。彼らは、“著しく機能的な無力さ”を強調した、一般化された、すべてを包含する役を演じることを期待されているのである。そして、次のようなことを少しも疑問に思わない。

 “知恵遅れの人のようにふるまうことは、第二の本性である”(Guskin,1963,Brechinなどの引用,1981)

 障害を持ちながら行動する人にも、障害を持たないで外から見ている人にもよく知られている、この月並みな障害の台本から逸脱する個人は、ただちに元のディスコースに引き戻されるであろう。この社会的に定められた知的障害の役から踏み出す者たちは、このルールを無視して、支配的な主導権に立ち向かい、社会の障害に対する理解の根本に脅威をあたえるものである。
 知的障害のある人たちが、社会によって割り当てられた受動的な役から踏み出し、セルフ・アドボカシーの積極的な態度を取るとき、そのドラマの結末は我々がよく知っている結末とは違うものになる。さらに、この場合の無知は軽蔑を生み、そして、この軽蔑の根っこには、知的障害のある人たちの声を聞くことが、個人からであれ、彼らを代表する機関を通してであれ、不本意だとするものがある。

個人モデル:セルフ・アドボカシーに対する脅威?
 知的障害のある人たちの自己決定は、障害の支配的なモデルの中で存在が確立していない概念である。もしも、レッテルを貼られた人たちに対する我々の見方が、障害と機能障害を同義語にしてしまう偏見によって直接出てきたものだとしたら、自己決定はこれらの普及している仮説に対して正反対のものであるように思われる。機能障害と不適応と欠陥という概念は、成長、決定、能力という概念とほとんど両立していない。セルフ・アドボカシーは、障害の個人モデルを支持する仮説に適合しない。
 しかしながら、セルフ・アドボカシーが個人モデルのもとで概念化され得ないということを信じることは誤りであろう。これはまさしくセルフ・アドボカシーの多くのケースで起こることであり、そこでは本人によってほんの限られた進歩しか達成されないのである。支援者個々人の視座の中に潜在しているセルフ・アドボカシー支援者の役割について踏み込みたい:

 病理の被害者として、障害のある人たちはずっと好ましくない状況に置かれてきた。市民化された今日においても、これら不幸な少数の人たち(マイノリティ)には、声をあげたり、自分の望みや願いを表に出すことしかできないし、また我々もそれを聞いてやることしかできない。確かにこれらの人たちの機能障害はほとんどが克服できないが、彼らは自分が決められる範囲においては自分で決めるであろう。それにも関わらず彼らを支援しなくてはならないときもある。

 私が上記に展開したシナリオは、単純に個人モデルの視点から形成したもので、ごく控えめに言っても悲観的である。もし、セルフ・アドボカシーを支援する立場の人らがこのような説を共有しているとしたら、本人の望みが今のところは支持されえているにすぎないと考えるべきだ。なぜなら、もし、我々が障害が重度で回復不可能だと信じ込んでしまうその時、知的障害のある人の自己決定はこれらの(自己決定は出来ないと言う)解釈に行きついてしまう可能性があるからである。もちろん、そういう勝手な解釈は個人の成長を妨げることになるのだが。支援者の障害に対する理解が機能障害に対する理解に限られていると、障害のある人の自己決定はいつも、既に認識されている病理に対する闘争として続いていくだろう。
 以上で述べた立場がほとんど代表的なものでないとはいえ、支援者が抱くセルフ・アドボカシーの信念がそういった方法で構成されたものでないと考えるのは間違いであろう。正真正銘セルフ・アドボカシーの計画に従事し、傾倒している人で知的障害のない人もたくさんいる。それにもかかわらず、社会全体における場合と同様にセルフ・アドボカシー運動の中においてさえ、障害についての抑圧的なディスコースが疑う余地もなくたくさんあることだろう。個人的モデルは死んでもいないし、葬り去られてもない。それで、ここの挑戦は、おそらくディスコースと政治的理解のレベルに照準が合わせられるだろう。それによって、セルフ・アドボカシー・グループの支援者の抱く障害理解を暴露することになる。

支援者の立場に関する個人モデル
 支援者のセルフ・アドボカシー・グループに対する支援行為は、とりわけ権力あるものとして位置付けられている。Bill Worrellはピープル・ファーストにおける支援者の望ましい特性について、広範囲にわたり著述したのだが、その彼が、この力は無視されるべきものではない、と主張する。さらに彼は、本人に権能を与える、あるいは奪う権力を、どのように支援者が行使するのかを我々は正確に追究するべきである、と主張する(1988, p.35)。支援者の役割は、セルフ・アドボカシー運動において代表的とみなされてきた“アドバイザー・タイプ”、すなわちスタッフ、もしくは専門的な支援者の存在によって、いっそう複雑なものになる。Clareのような観察者は、セルフ・アドボカシーには、否定できないパラドックスが存在すると主張する。知的障害のある人たちに対して、専門家たちが感じている同情や責任の程度がどのようなものであれ、彼らは依然として権威じみた地位にとどまる。サービス組織のスタッフは必然的に力のある立場にある。

 “彼らの専門家としてのアイデンティティ、そしてきっと彼らの専門家としての資格は、彼らの障害についての知識をうまく使える事に基づくものであろう。”(Clare, 1990, p.24)

 いくつかのセルフ・アドボカシー・グループについての文献で定義される支援スタッフの位置付けにおける、明らかな逆説的側面に加え、私はイデオロギーに関するより理解しがたい矛盾が存在することを主張する。障害における個人攻撃的な悲劇モデルを必然的に含んだ文化の中に、スタッフ(支援者)の役割が、どっぷり浸かっていることがしばしばある。多くの人が指摘するように、専門家によるこのような障害についての知識の支配は、個人モデルにおいてはっきりと見て取れる。

 “物理療法や作業療法、会話療法、臨床心理など、見せかけといってもいい専門職の分野では、どれもありきたりな狭い知識や技術に基づいた「正常化」という同じ目的に合わせることが目指されている。”(Oliver,1995,p.37)

 Hanna(1978、p31)は、専門的な支援者というものは不可能な任務ではないとしても困難な立場に置かれているものとみなしている。このような支援者の難しい立場は、これまで利害の衝突という点から広く認識されてきた。利害衝突は、セルフ・アドボカシーにおける自立促進が、専門家としての役割を維持することと対立するときにおこるものである。したがって、例えば、知的障害のある人たちは、利用施設に対する支援者の説明責任のおかげで脅えさせられているし、求められるサービスについての不平を訴えられないと感じているかもしれない(Sutcliffe, 1990, p.27を参照)。DowsonとWhittakerが主張するように、支援者が職務外で支援しなければならないとき、さらなる問題が起こる。典型的なものは、相互的な関係の形態である。知的障害のある人たちのグループの自立性が増すにつれ、支援者の忠告は減らしていくべきである。しかし、もはや支援スタッフが支援する必要のない段階に至った場合、その活動グループはセンター管理人からどのように言われるのだろうか?もし施設の活動にグループの活動をうまく合わせられない場合、なぜすべてにわたって支援されなければならないのだろう?「放任すること」という一般的な原理(Flynn&Ward, 1991, p132)が、まさに専門家による介入という見解に真っ向から反対しているようにみえる。
 これらすべての矛盾のもとにあるのは理解の対立である。その核心に自立を置くセルフ・アドボカシーの企図と、支援スタッフに課された、依存関係に基づいた専門家としてのアイデンティティの必要性との間にある対立である。そして、グループによって潜在的に追及される「セルフ・アドボカシー」と、専門的な雰囲気のもとでの親権的な権威によって押しつけられた「自己の限界」との間にあるディスコースの衝突がある。さらに一般論としては、その衝突は、セルフ・アドボカシーの意欲と、意欲より先に機能障害を重視してしまう支配的な理解によって課せられた制約との間にある。(個人モデル)
 それゆえ、支援スタッフという専門家としてのアイデンティティーは、例えば独立したボランティアの支援者のように、専門的なやり方で枠付けされない地位にある者よりも容易に個人モデルに囚われるように思われる。しかしながら、このように表面的に区別することは、障害についての支配的なディスコースを見落とすことになる。専門的な支援者の任務が巻き込まれている深刻なジレンマはたくさんあるが、そのようなやり方で「良い」支援者・「悪い」支援者を指摘することは、すべての専門家達が抑圧的な実践に思慮なく根をはっていて、これに対して他のもの(ボランティア)はそうではない、という仮定に基づいてくる。これは簡単に割り切った区別だ。要するに、専門的地位にあろうとなかろうと、どんな支援者(あるいはサポーター)もセルフ・アドボカシーの発展を脅かすような偏見に満ちた障害理解をしえるということだ。
 さてここで障害の認識論に戻る。支援者の立場やそこに付与された意味をもとにして、単純に支援者に罪をかぶせるのは安易すぎる。私自身の研究〔1〕から、支援者が彼らの周りの専門的な雰囲気によって制約を受けている一方で、セルフ・アドボカシーを奨励する際、その雰囲気は必ずしもそのような制約に対して支援者が挑戦することを制止するわけではない。障害理解やディスコースは流動的で常に変化し、動的なものである。個人モデルの中に絡み込んでいる障害についての他のディスコースは確かに存在し、干渉している。さらに言えば、我々はそのような状況をつくりだすことができる。

 “特定のディスコース(もしくは理解の方法)の原因を擁護したり、「エンパワーメント」や「giving a voice」モデルとしての既存の(おそらく従属的な)ディスコースを促進する。”(Parker & Burman. 1993)

 支援者やセルフ・アドボカシー・グループについてのオルタナティヴなディスコースは存在するのだろうか。答えとして我々は障害の社会モデルや知的障害のあるた人自身の支援へと話題を変えていかなければならない。

セルフ・アドボカシーと障害の社会モデル
 障害を個人の機能障害の領域に位置付ける支配的な個人の見方とは逆に、オルタナティヴな障害の社会モデルでは、社会が人を障害にしてしまうやり方に注目する。機能障害と障害は同義ではない。ある個人が機能障害であったとしても、これは社会における彼らの障害者役割とは因果的な関係にない。障害の支配的な起源を見つけるために、我々は個人から離れて、機能障害のある人たちを締め出し、差別し、非難してきた社会へと注意を向けなければならない。障害のある人たちは、社会的、経済的、文化的、政治的なその時代の雰囲気によって、まさに「障害者」とされたのである。

 “もしひとつの確固たる結論が下されるとしたら…それは…精神遅滞は医学的-遺伝的あるいは認知的-心理的なものであると同程度に、あるいはそれ以上に、社会文化的現象である…遅滞の定義と、このようにレッテルを貼られる結果のある部分は、社会生活に付帯する状況である。”(Levine&Langness,1986,p.191)

 個人モデルのすべてに行き渡っている特質は、セルフ・アドボカシーを息苦しいまでに脅かす。オルタナティヴなアプローチ、それは障害の社会モデルの適用を通して提供されるが、それはセルフ・アドボカシーの概念化と実践を異なったやり方で可能にする。セルフ・アドボカシーが知的障害者の社会モデルにおいてどのように位置づくかを考えなくてはいけないだろう。

社会モデル:認識論的な立場から
 社会モデルの認識論的な立場は、個人モデルと対立した位置をなす。ParkerとBurman(1993,p.170)によれば、それはオルタナティヴで従属的なディスコースであると見られるかもしれない。個人モデルに対して、社会モデルは知的障害のある人たちの社会文化的な側面を説明する。個人モデルが障害やそれによって生じるケアへの依存の原因が、個々人の病理であるとするディスコースを導くのに対し、社会モデルは、障害は社会の問題であり、社会の、または環境自体の病理であり、セルフ・アドボカシーによる「自立」の概念を導くのである。さらに、個人モデルが個々の障害のある人たちに、彼らのおかれた環境に合わせること、また、医学的、専門的知識に基づく診断を受けることを強要するのに対し、社会モデルに基づく理解によれば、社会の側の適応が望まれ、社会の病理を治すために、その社会のすべての構成員が、個人として、共同の責任を持つことが必要となってくる。(Oliver,1995参照)
 社会モデルは、解放をめざす理論、研究、そして運動の概念と織り合わさっている。したがって、障害を持つ人たちは、社会的に規定された障害の台本を捨て去り、もうこれ以上、悲劇において割り当てられてきた役割を演じることのないようにと促されるのである。さらに、排除という社会的役割に反対して、多くの社会モデルの提唱者は、障害のある人たちがさらに先へ進んで、政治的参加への挑戦に取り組むべきであると主張している。

 “変わらねばならないのは個人ではなく社会であり、この変化は、政治家や政策をつくる人たちによって押しつけられた社会政策やプログラムを通してではなく、また医学やその周辺の専門家によって提供される個別化された治療法や介入を通してでもなく、集団としての障害のある人たちの政治的エンパワーメントの過程の一環として生じるであろう。”(Olver, 1995, p.37)

 同様に、知的障害のある人たちが、社会によって課された受動的な役割から踏み出して、セルフ・アドボカシーの能動的な役割につくとき、社会モデルの政治的な目的に合流することとなる。かつては、知的障害が個人的な不適応として理解されていたが、今度は、個々のまたは集団的なエンパワーメントを包含するモデルが存在するのである。論点は、人が何ができて何ができないかといった点から離れた地点へと移る。結果として、社会モデルは、自己のエンパワーメントの促進やセルフ・アドボカシーの社会的包含をもたらすのである。

社会モデル:セルフ・アドボカシーへのより良い基盤とは?
 知的障害のある人たちの自己決定は社会モデルの決定的なポイントである。もし、できないことよりもできることを強調するという信念、社会的偏見の点からの障害理解、個人的あるいは集団的エンパワメントの促進によって、我々の視野が広がるならば、自己決定は、一般に知られている価値剥奪的な発想とはまるっきり反対のポジションに位置するものとなる。また、機能障害や不適応、限界などの概念を問題化することで、社会モデルは人々が自己表現や成長、決定に努力できるように社会的背景を変革していく。セルフ・アドボカシーにとって、この社会的背景を推進しようとすると、支援者の役割を再び俎上に乗せることになる。このオルタナティヴな視点を吸収したセルフ・アドボカシーの支援者の役割について論じようと思う。

 人を無能力にする社会に従属させられた少数派グループとして、知的障害のある人たちは自己表現や成長といった基本的な権利を否定され続けている。文明社会として、知的障害のある人たちも発言し、自分達の望みや欲求、大志を表現する権利を与えられるべきだというのは、当たり前のことである。また、彼らは我々に社会がよりよく変化するべき方法について知らせることができるので、我々が彼らの言いたいことに耳を傾けるというのも、当たり前のことである。もちろん、社会によって尊重されているある種の技能を決して習得できない人もいるだろう。しかし、我々はなぜこういった人たちが尊重されていないかを理解しなければいけないし、知的障害のある人を「不適応」の点から位置づけようとする傾向を変えなければいけない。彼らの自己決定はたびたび彼らの無力さによってではなく、レッテルを貼られた人たちを評価することに失敗した社会によって強制されている。我々は彼らの大志を支援するべきであって、抑圧するべきではない。

 上述したシナリオは、私が個人モデルについて示したシナリオと顕著な対照を見せる。オルタナティヴな方法によって概念化されたセルフ・アドボカシーは、継続的な前進と解放に向けた活動として理解されうる。もし我々が、機能障害をまったく重要でもなければ、劣ったものでもないと考えるならば、知的障害のある人たちの自己決定は、彼らが無能力であると考えられている場合より、ずっと可能である。人を無能力にする社会は、個人の成長に最も対峙するけれども、セルフ・アドボカシーの背景に、知的障害のある人々自身が、様々なレベルにおいて、個人の成長を阻害する社会構造にまさに挑むことができるという意味がある。

 “(自分の意思を)はっきりと述べる本人は、自由、自己実現、自己決定という重要な基本的段階に至る。これらの問題について、当事者ほど雄弁に話すことができる人はいない。”(Worrell, 1998, P.13)

 したがって、私は次のように考える。ある支援者が、知的障害のある人を「機能障害のために束縛された受動的な個人」とみなすのではなく、「基本的人権を否定する社会を前にして、彼ら自身の自己決定のために能動的に努力している人」とみなすとき、そのときこそ、セルフ・アドボカシーははるかにエンパワメントの手法によるサポートを受けることになる、と。
 また、ここでの挑戦もまた、ディスコースや政治のレベルでも行われるであろう。セルフ・アドボカシー・グループの支援者が障害理解を啓発してゆくのである。したがって、どのようにして支援者が障害の社会モデルに適した方向での役割を理解することができるかを考えようと思う。

支援者の位置づけに関する社会モデル
 社会モデルにとって重要な要素は、エンパワーメントの政治的枠組みに基づく「障害者の経験」に関する基礎的な知識である。したがって、どのようにしてセルフ・アドボカシーがそのメンバーをエンパワーメントする過程で実践されているのかを理解するためには、本人が支援者に求めていることを聞く必要がある。本人による助言は、社会モデルの三つの不可欠な要素にきちんと適合している。それは第一に障害者の組織があるべきだということ、第二に「相互依存」の観点から支援を考えるべきだということ、第三に障害は「異質の経験」であるということである。

セルフ・アドボカシーからの出発:障害者の組織
 Newcastleの「Speak for Ourselves」というグループは、「スタート!セルフ・アドボカシー・グループの設立と運営の仕方」という名のかなり質の高い教育ビデオを作った(1993)。そのフィルムの根底にははっきりしたメッセージがある。それは、グループの設立及び運営には可能な限り自分達自身が関わるべきだというものである。それに加えて、明らかな点は、グループのメンバーシップにはボランティア精神が望ましいことを推論した上で、関心をもっている人が参加すべきだという主張をしている。このことは些細なことかもしれないが、知的障害のある人たちをケアしたり支援したりする多くの場合にしばしばあてはまることだが、セルフ・アドボカシーがもとになっている基本の教義を忘れる傾向があるかもしれないのだ。それはつまり、その人本人が自分のグループのメンバーシップを決定するということである。Hannaは、活発なセルフ・アドボカシーに必要なものを次のように理解している。(1978, p.31)

 “試合開始の前にホームベースの後に立っている3人の野球審判についての話がある。彼らはボールとストライクをコールするそれぞれの方法について討論しているようだ。「俺は実態を正しくコールするよ」と、理想主義者である最初の審判は言った。現実主義者である2番目の審判は言った。「そうだな、僕は私が見たままにコールするな」。実用主義者である3番目の審判は意見の相違に頭を振りながら言った。「それらは私がコールするまで何ものでもなかいんだよ」。発達障害(原文のまま)があったり、他のハンディキャップのある人たちに関する重要なポイントは、彼らがコールされる場所に位置しているということである。ピープル・ファーストをサポートしている、または参加することを望んでいる者についての重要なポイントは、プレートの後にいて、いわゆるハンディキャップのある人たちを「コールしてやる」ことである。ヘルパーや支援者の主な役割は単に、ハンディキャップのある人たちを「プレートの後から」助けることである。”

 Hannaのアナロジーによって我々は、セルフ・アドボカシーを理解したり実践するための数多くの方法が存在することに気づく。この多様性を支持することは、社会モデルの重要な要素である。つまり、知的障害のある人たち自身がセルフ・アドボカシーがどのように発展するかを決定する。同様に、全英障害者団体協議会the British Council of Organisations of Disabled Peopleは障害者自身が、彼ら自身のエンパワーメントを積極的に行う必要性を我々に警告している。支援者は自分自身に“それは私が望んでいることか、そしてグループが必要としていることか”を問うべきだと、Bill Worrellは主張する(1988, p.39)。親権的な権威を促進する支援に堕落するのはいとも簡単なことである。その上、知的障害のある人たちは、かなり多くの場合、少しでも注意を払われることをありがたいと思っているため、彼らの経験は、依存をつくり出す限定されたサービスの受容に拘束されるであろう(Lindow, 1993)。ゆえに、本人の自律に力をいれる雰囲気が促進されたり、自分がより価値ある存在であることに気づくようになるのは、支援者次第なのである。

サポーターとしての支援者の役割:生活の一部としての支援
 まず誰にも能力の限界があるということを認めることによって,知的障害の社会モデルのもう一つの重大な現象,つまり明らかな「相互依存」へと導かれるのである。

 “人は,能力なり限界がどうであれ,人である。限界はあるかもしれないが,誰にも何やかや限界はあるものだ。”(Hanna, 1978, p31)

 この社会モデルは,障害者あるいは非障害者が、十分な支援なしに自己決定する能力を発展させるべきだと提案するものではない。社会の一員として,相互依存は,自立と市民性の重要な一側面である。他人のサポートがなければ社会の中での我々自身の役割もひどく息苦しいものになるだろう。そういう体験は知的障害のある人たちには珍しいことではない。基本的な人としての権利さえ,彼らを排除する社会によって否定されてきた人たちにとって、サポートは自己決定する力を伸ばす初期段階において必要だろう。このことは支援者に関する、ニューカッスルの Speak for Ourselvesというグループによる記述へとつながる。

 “特にグループができて間もないころに支援する人は、・・・あなたのグループを運営するべきではなく、あなたがグループを運営するのを手伝うべきだ。(あなたたち自身が始めなさい!)”

 いかなる形の相互依存であっても、さらなる助言が必要とされる時がある。助言と支援は決まりきった形をとるものではない。知的障害のない人たちは、相互依存の見とおしを流動的な概念だと捉えてきた。我々には助言や助け、支援がより必要な時もあるし、またもちろん自分自身の自律が十分であると感じるときもあるのだ。同じことは知的障害のある人にも言える。こいうわけでDowsonとWhittaker(1994, p.44)は、支援者にとって、自分自身をグループ外におくことは、自律への基本的な望みを尊重したものだ、とした。カリフォルニア州サクラメントのキャピトル・ピープル・ファーストは、会議でこう宣言している。

 “我々は保護者ではなく、先生(助言してくれる人の意)を求めているのだ”(Booth&Booth, 1992, p.67における引用)

 誰もが自分の生活から何を得るかを決める権利を持っている、という事実が尊重されるならば、我々は覚えていなくてはならない。どんなに意義があり、有用で、感受性が高く、深く関与している支援者であっても、準備の調った、訓練された本人ほど、効果的に自己決定の実をあげることは決してできないだろう(Worrell, 1988, p.13)。

セルフ・アドボカシーの多様な性質:障害の異質な経験
 “セルフ・アドボカシーは、個人が自分自身の感情や願いを表現する自信と能力を持つようになることを通して、人間の基本的発達の過程と結びつけることができる。”(Simons, 1992, p.5)

 障害についての支配的なディスコースのもとでは、知的障害のある人たちは同質的なグループとして考えられがちある。対照的に、個々の障害の経験に注意することによって、社会モデルは、障害者の経験は多くの側面を持っているということを我々に気づかせる。ただしその経験は、多くの似通った社会文化的な構造によって形づくられているのであるが。できないことよりもできることに注意を払うことによって、また選択と自律を強調することによって、社会モデルにのっとった支援者の役割は、この異質さ受け入れるべきである。本人は支援者に対して、彼らの自己決定力の多くの側面をサポートするよう、促している。

 “あなた自身のために考えること、あなたが考えていることを言うこと、他の人と同じように他人と関係を持つこと、あなたの言っていることに人々が耳を傾けること、人々が抱いているあなたへの人種差別のまなざしを変えること、あなた自身が責任を持つこと、決断をすること、あなた自身をいいと感じること、あなたの文化や生活の方法をいいと感じること、あなたの権利を主張すること。”(Downer&Fearns,1993)

 その上さらに、Downer&Fearnsは支援者が重視すべき2つの基本的な権利を指摘している。それらの権利には、大志や、経験や、希望の糸口全体を網羅しているであろう。

 “過ちをおかす権利、危険をおかす権利。”(Ibid.)

 自己決定やセルフ・アドボカシーというものは、本人たちの多様で流動的な経験にはたやすく代表されない、曖昧な概念である。しかしながら、これらの概念が多彩な形をとるということを認識することによって、知的障害のある人の大志は、他の人たちの持つのとまったく同じように多様であるということを我々に気づかせる。このような多様性は評価され、支持されるべきである。

本人のことばに耳を傾ける:社会モデルを洗練する
 障害の社会モデルを推進することは、容易な仕事ではない。実際、被抑圧グループをエンパワメントすることを擁護するようなたくさんのテキストの中に、障害についての記述が欠けていることは珍しくない。フェミニズムや人種、ゲイに関する批判的視点、そしてマルクス主義思想のリベラルな(あるいはラディカルな)テキストの中にさえも、障害については、補足として現れるのみであるのが普通である(考慮に入れられたとしても、である)。同様に、障害の社会モデルは、たくさんの視点が除外されていることに関して、批判をうけている。「共通性」に関する最近の議論(例えばFinkelstein,1993参照)では、ジェンダー問題(Morris,1991,1993)や人種論争(Stuart,1993)が社会モデルから欠落していることを指摘している。加えて、オルタナティヴなパラダイムにおける知的障害のある人々の位置づけは、間違いなく欠落している(Goodley,1996)これは事例を挙げるまでもない。
 人を無能力にする社会の影響を説明するということになると、知的障害のある本人は、すべての障害者と同じように、最も能力のある人たちである。もし社会モデルが、障害の個人的政治的側面を理解しようとするならば、彼らのものの見方も採用されるべきだ。セルフ・アドボカシーは別の問題ではないのだ。それは本来、障害についての支配的な抑圧的理解を打ち破ろうとする運動の一部である。政治的変化の源として、本人は偏見を持ったディスコースに対する直接の批判者なのであり、それゆえ彼らはサポートされるべきなのだ。オルタナティヴなパラダイムの個人的政治的側面を障害の社会理論に結びつけようとするとき、彼らの視点は無視されるべきではない。
 認識論的立場としての社会モデルは、個人的というよりむしろ社会的な不適応という見地からの障害観を促進する。そうすることによってそれは、社会が絶えず障害者の生活の機会を阻害したり、排除する雰囲気を正当化するやり方を我々に気付かせる。今までとは全く異なる認識論的立場を形成することによって、障害の社会的理論を提供することができるだろう。

 “社会モデルは、継続的使用や修正によって、適切な障害の社会理論の発展の代わりの役割を果たすというより、むしろそれに貢献しえる。”(Oliver, 1995, p.42 )

 障害のある論者の多くは、社会的抑圧のやり方にはっきり意見を言ってきた。けれども、抑圧の経験を雄弁に語り、オルタナティヴなものの見方を提供し続ける、それ以外の人々がいることを、忘れないでおこう。知的障害のある本人の視野は、障害の社会理論に向かうオルタナティヴなディスコースを強化しえる。結局のところ……

 “すべての中で最も大きな障害は、人々の態度である。我々自身ではない。”(1988年9月、ロンドンでのピープル・ファースト国際会議における本人の演説であり、Brechin&Walmsley, 1989, p.127に引用されている。)


[1] PhD調査プロジェクトの一部である、セルフ・アドボカシー・グループのエスノグラフィー研究。

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