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津田英二「自我・認識構造の発達と社会教育〜Piaget構造主義をめぐって」
『東京大学教育学部紀要』No.34、1995年2月、pp.419-428

はじめに

 社会教育学を構成していく上で、発達論が貢献すべき領域は大きい。教育論一般がそうであったように、発達を社会教育の目的的価値として措定することができるし、また発達の自然な過程に従った教育を方向づけるという点では、発達論を社会教育の方法を基礎づけるものとして捉えることもできる。
 本稿では、発達論の社会教育論への援用について、次の2点から考察する。第一に、教育が発達論を役に立つものとして利用する際に当然生じえる危険について。第二に、社会教育論が援用する発達概念はどのように規定することができるかという点についてである。
 発達論は現在、ピアジェをはじめとする古典的な発達論と、生涯発達心理学にみられるような新しい発達論との対立を含んで展開している。前者は子どもの発達を根拠づける理論として適切であると考えられているのに対して、後者はそれを相対化する理論である。教育論もまた、いずれの発達論に依拠するかということで、理論化の方向性がまったく変わってくる。したがって今日の教育論は、発達論をただ受け入れるのではなく、発達論のもつ妥当性や根拠をも検証することではじめて援用が可能になるのである1)。
 社会教育論の基礎づけにより適切なのは、生涯発達心理学の系譜からの援用であろう。にもかかわらず本稿でピアジェをとりあげるのは次の理由による。すなわち発達論は、現象の羅列ではなく、現象の源である構造を発見(発明)することによって、はじめて科学たりえる。これまでの発達論で構造に拘った論者は、誰よりもまずピアジェであり、したがって彼の構造の捉え方を批判的に受け継ぐことから発達論の検証を始めるのが妥当であると判断したからである。
本稿は、発達を人間の生きる過程全体を視野にいれた広い意味で捉えようとしている点
で一貫している2)。広い意味で発達を捉える発達論は、主体形成論なども論の形式の類似性によって、その範疇に含みえることになろう。例えば鈴木敏正は、“主体形成とは自己実現と相互承認の過程の意識的編成である”3)とし、その主体形成にいたる過程を理論化している。本稿では主体形成論自体を論ずることはできないが、こういった近接的な理論も視野にいれた包括的な理論として発達論を構築していくことを提起しているのである。

1 社会教育論における発達論の位置

A 発達課題論の社会教育論への援用
 これまでの社会教育論による発達論の援用の特徴は、発達課題論に偏っているという点にある。例えば、“生涯教育の役割は、人間の発達段階ごとに現れる発達課題を、人々がそれぞれにうまく解決していくことができるよう援助することである”4)とする見地からすれば、「人間の発達段階ごとに現れる発達課題」を挙げていくことが生涯教育の役割を明確にするために必要だということになる。また、学習プログラムの企画・立案は学習課題(⊃必要課題⊃発達課題)を先取りすることによってなさなければならないとする立場の人々にとって5)、発達課題を列挙することは、良い学習実践の企画・立案をするために重要性を持ちえることになる。すなわち発達課題論は、教育の役割の特定と、提供する学習内容の特定という、社会教育論において本質的となりえる二つの議論を展開するための糸口となっているわけである。
 けれどもこうした状況について、次のような指摘もなされている。すなわち、発達論の援用が“基盤となる発達観についての理解をともわなない安易な図式の援用”に陥り、それが“一方で理論の平板化につながり、他方でそれとは裏腹に匿名の権威付けをもたらしていく”ことになりやすい6)。さて以下では、この発達理論の平板化及び匿名の権威付けをいま少し具体的に挙げていくことにする。
 第一に、発達課題が個々人の生きている諸々の背景を抜きにして、画一的で外的な必要性として語られることが多い点である。例えばハヴィガースト(発達課題を列挙する理論家として最も援用件数の多い論者のひとり)は、中年期の発達課題としてまず市民的・社会的責任を挙げている。彼によれば、「労働者層」は広い社会的・政治的生活に関心をもつ者が少なく、むしろ“自分たちの労働組合や直接の近隣に影響する問題に関心をもっている”7)ために、この発達課題は成人教育の主要な関心時となっているという。
 ここでハヴィガーストの認識を支えているのは、「広い社会」への関心は高い発達段階の認識であり、直接の近隣に影響する問題への関心は低い発達段階の認識であるとする捉え方、および低い発達段階の認識は高い発達段階の認識に統合されるだろうという考え方である。多少単純化して、仮に「上流・中流階級」は支配者層であり、「労働者層」は被支配者層であるとするなら、ハヴィガーストの主張は、「労働者層」に対して、自らの利害関心への執着を相対化し、支配者層のものの見方を取り入れた認識による反省を要求するものと捉えることができる。すなわち、市民的・社会的責任という概念は、支配関係に基づく抑圧や搾取を合理化するものとしても考えられるのである。
 このように発達課題は、いかなる構造を背景とした課題であるかによって、その意味するところは極めて異なったものになるだろう。ことさらこのことは、発達課題論を文化の異なる地域や領域に援用するときに注意せねばならない。例えばハヴィガーストは、“わたくしはこの論を主としてアメリカ中産階級の立場と、アメリカの民主主義の価値観とに基づいて述べ”ることを明言しているのであり8)、したがってこれを日本の社会教育論がそのまま援用することはできない。この一事だけでも、発達課題論が非常にイデオロギッシュであり、他に援用する際には余程気を付けねば文化侵略性をすらもちえるということに意識的でなければならない。
 発達論における理論の平板化及び匿名の権威化は第二に、ある発達課題の達成が成功であると安易に説かれることが多い点にある。例えばハヴィガーストは発達課題の達成と個人の成功との関係を次のように述べている。“発達課題は、個人の生涯にめぐりくるいろいろの時期に生ずるもので、その課題をりっぱに成就すれば個人は幸福になり、その後の課題も成功するが、失敗すれば個人は不幸になり、社会で認められず、その後の課題の達成も困難になってくる。”9)即座に頭をもたげる疑問は、設定された発達課題を達成するための諸条件を持たない者は生涯「不幸」である以外ないのか、ということである。例えば心身障害児者や孤児などは「幸福」になる術を持たないのだろうか。ハヴィガーストが「幸福」を、人生の各段階でそれぞれの発達課題を順調にこなしていくこと、およびそのことによって社会から認められることといったところに限定している限り、彼らは浮かばれないだろう。
 課題達成によってのみ人生の成功を獲得することができるという観点は、当然の帰結として課題達成を絶対化し、課題を達成していない「いま、ここ」の自己を否定する認識を帰結する。ハヴィガーストに限らずとも発達論は一般的に、発達課題の達成を絶対化し、それを達成した先に幸福や発展があるという幻想を、教育実践に対して与える傾向にあった。というよりむしろ、教育の側がそのような幻想の根拠付けを必要としてきたと言えるかもしれない。
これまで発達論を最も必要とし、そこから甚大な影響を受けたのが障害児教育の領域であったことは、象徴的である。この領域では、直接的には養護学校義務化(1979)をきっかけとして、「発達保障論者」とそれに反対する者との間に華々しい論争が展開された。「発達保障論」とは、“障害をできるだけ早期に発見し、それを早期療育につないで障害の軽減をはかることを重視する立場” 10)であり、その軽減をはかる際、“教育の全体過程を弁証法的法則性にかなったものとするとともに、最近接発達領域に必要かつ適切な教授や指導をおこなう” 11)ために発達論を必要とする立場である。他方これに反対する立場の論拠は以下の諸点にある。すなわち、“人間が「発達」的存在として規定されている限り、人間はその生きる空間的広がりをもこの時間の系列に従属させることとなるのであり、人々の関係は、この文脈の中で分断されてしまう” 12)点、また“発達法則にそって「上」に立てた者が、その法則の「上」に向けて、子どもや「障害児」をひきあげるという構造” 13)を「発達保障論」が持っている点、さらにその生活管理的性格などである。これらの論点の背景にあるのは、「障害児」は「健体児」に比べて低い発達段階にあり、それゆえ「障害児」と「健体児」はそれぞれの発達段階にみあった別々の発達課題にとりくまなければならないとする「発達保障論」の考え方に対する批判である。この考え方が「健体児」と「障害児」の「共生・共育」を妨げていると捉えているわけである。
 この論争は、根本的にかみ合わない部分もあって決着を見ていない。けれども発達課題の多くの論点が、まさに社会の最も矛盾を抱えた障害児者の教育をめぐって展開されたところに、我々は学ばなければならないことがある。
 これまでの発達論と教育論との結び付きを見ると、発達論は発達課題論として実用性を持たされる運命にあった 14)。近代的な認識として発達課題論は、仮構の「健常者」をモデルとしながらも、すべての人に普遍的に援用されなければならなかったのであり、したがってこのモデルから最も遠い距離にある障害児者や文化を異にする者に対しては抑圧的に働いてきたのである。

B 発達論の意義と方法
 以上のような背景を考慮すれば、“関係の変革により人間の解放をめざすという視座が「発達」よりもむしろ重要である”とする、「発達論から解放論へ」という主張 15)が説得力を持つ。しばらく、この「解放」という言葉を媒介とさせながら「発達」の意味を考えてみたい。
 「発達」ではなく「解放」が問題だと述べたとき、この二つの言葉のもつ意味の違いはどこにあるのだろうか。第一に「解放」は抑圧的な人間関係を変革することを意味するのに対し、「発達」は個人の内的な過程に注目する概念である。けれども、人間関係の変革には個人の認識の変容を必要条件としているのだから、「解放」のための過程として「発達」を捉えざるをえない。
 第二に、「解放」は第一義的に束縛から自らを解き放つ主体的営為を意味する。したがって「解放論」そのものが「解放」の主体的な営為に組み込まれている。すなわち解き放たれる過程や解き放たれた後にどうなるかということを客観的に把握することは第一次的な問題ではない。それに対して「発達」は本来あるべき方向、あるいは望ましい方向に向かって展開していく過程に重点が置かれた言葉である。したがって発達論は「発達」過程の客観的把握を絶対条件とする。
 けれども、発達論は「解放」を発達の目的的価値として措定することが多い。例えば田中は次のように述べる。“諸連関のもとでみずからの潜勢能力を発達させて自己自身の統制に従わせ、制限からの発達的解放、客観的自由の可能性を増大させていく。” 16)。
 このように、「発達」か「解放」かという選択は本質的な問題ではない。「発達」と「解放」が相互補完してひとつの現象を構成しているのである。すなわち、「解放」がひとつのプロジェクトだとすれば、「発達」はそこに至る過程であるという関係になるだろう。したがって我々は、「発達論から解放論へ」というスローガンを、これまでの発達論が過程を絶対化し、その過程が何を意味するのかということを突き詰めてこなかったことに対する批判として読まなければならない。つまり発達論は、何の解放のための発達過程なのかを主体的な問題として明らかにすべきだ、という問題提起を受けていると言えよう。とはいえ、我々はこの問題提起に関しては、「解放論」という対立項にとびつくのではなく、発達論の変革という範囲内で受け止めることができる 17)。
 発達論において問題を解決するというのは、人間の認識に構造を見いだし、その構造との関係において「解放」に至るまでの過程を捉えるということである。構造というのは、多様な現象の中に観察者が捉える規則性(諸要素の関係)のことであり、さまざまな変化をも統制する形式として捉えられるものである。発達論の科学性は、この構造をいかに説得的に抽出し提示するかにかかっている。したがって、構造的把握が不十分な発達論は、内的連関をもたない発達諸課題(とみなされるもの)を恣意的に提出するにすぎないだろう。
 従来の教育論の多くは、発達論における構造の把握に無頓着であり、また構造を問題にする必要性を感じていなかったために、安易な発達課題論の応用へと流れていったと言えよう。けれども、構造の捉え方によって発達の意味はまったく変わる。以下ではこの問題意識に則って、ピアジェの構造主義発達論を批判的に検討する。ピアジェの構造主義は、制約であり可能性の根源でもある構造が、弁証法的な発達によって構成されていく様を綿密に記述している。この構成される構造という命題が我々に与えるテーマは大きい。
 ただし、ピアジェは認識論の視点から発達を述べているのであり、したがって本稿においても発達を自我・認識構造の発達に限定して論じることとなろう。社会教育研究の文脈において発達論を論じる場合、とりあえずはこの限定は支障をきたさないであろう。

2 発達論における構造

A ピアジェの構造主義
 ピアジェの理論は、決して子どもの発達のみに焦点が当てられているのではない。ピアジェの真の意図は、認識論の諸問題を構造の発生を解明することによって解くというところにあり、したがって当然彼は、成人の認識構造への視点を始めからもっていたと言うことができる 18)。
 ピアジェの問題意識をまとめると次のようになろう。すなわち、個人の認識構造はア・プリオリに与えられるものでもないし、外部世界から押し付けられるものでもない。したがってそれは新しいものとして次第に作り上げられるという性格をもたざるをえない。しかもその作り上げられた新しいものは、必然的にそのようにできあがる運命をもち、客観性を獲得する 19)。彼の膨大な著作の多くは、この仮説に則った実証に割かれている。
 ピアジェは認識構造の発生過程を、その構造の違いから、1)感覚運動的段階、2)前操作的段階、3)具体的操作段階、4)形式的操作段階の4段階に分ける。彼の説明にしたがって、それぞれの段階の特徴を大ざっぱに押さえると次のようになろう 20)。
 乳児ははじめ、主体と客体とが完全に未分化な世界にある。すなわち、あらゆるものを、世界の中心としての自分の身体との関係のなかで捉える以外になく(自己中心性)、しかも客体は直接自分の身体と結び付いている。感覚運動的段階では、主体の共応をもとにして、自分を活動・認識の起源として構成する(脱中心化、主体・客体の分化)。それによって、目標を設定し、その目標に達する手段としてさまざまなシェマを利用することができるようになる。
 前操作的段階では、言語活動・シンボル遊び・心象など(感覚運動的段階に獲得した能力による同化→変換)によって、内面化され、概念化された活動が発生する。こうして獲得された概念によって同化を遂行する能力は、不在の対象にも関係し、弾力性と自由をもった活動能力を主体に与える。
 具体的操作段階では、前操作的段階で獲得した能力を用い、可逆的変換としての操作を獲得する。それによって主体は、対象全体に対する様々な観点を共応させることで操作を完成させ、同時にその操作を対象に付与することができるようになる。
 形式的段階は、次の3点を特徴としている。すなわち、1)対象に基づくだけでなく、仮説に基づいた操作を達成する、2)操作によって命題をたて、それを仮説とすることができる、3)したがって形式的操作は、操作の上で行なわれる操作(二次的操作)である。これによって、主体は現実的なものをのりこえることが可能になる。
 さて、ピアジェが最終的に捉える人間の認識構造は、この「現実的なものをのりこえること」を可能にする主体の能力に焦点化されている。ピアジェがこのように、発達を主体の能力の獲得、しかも本来人間がもつべき能力の獲得に帰着させてしまう原因は、彼の理論の中枢である構造把握のしかたにある。我々はそれを批判するためにも、ピアジェの構造主義における、構造の捉え方の特徴を挙げてみたい。
 第一に、上述のように構成される構造が人格のすべてを統括する構造として提起されている点である。この大前提となる包括的な構造を、ここでは<構造>と記述することにしよう。ピアジェは<構造>の構成にしたがって、「対象と物理学的な不変性原理」「数概念」「空間概念」「時間概念」といった知性が発生することを説明する。また、感情の機能についても、“われわれは、表現の形式(知的側面)を表現の要求とその結末(情動的側面)から分離することは断念している”と述べ、それを<構造>の発生に基づいて説明している 21)。
 第二に、<構造>を唯一の必然的な構造として捉えている点である。彼は、構造の偶然性、恣意性を前提として展開されるフーコーの構造主義に対して、“構造なき構造主義と呼ぶことは誇張でない。それは、歴史と発生との蔑視、機能の軽視、そしてこれまでにないほど徹底した主体そのものの否定など(人間はやがて消滅するというのだから)、静態的構造主義のあらゆる否定的側面を含んでいる。”と激しく批判している 22)。ピアジェの<構造>の絶対性へのこだわりは、古代人の認識と幼児の認識とが相同であるとする見解からも読み取れる。“子どもの思考と原始人の思考との間に類似性がありうるということ……が、何らの遺伝に基づくものだと考えてはいない。この一致を説明するには、精神発達の法則の不変性だけで、充分なのだ。”この後彼は、ピタゴラスの粒子観と具体的操作段階の子どもの認識とを比較しているのである 23)。
第三に、構造は必ず構造から生じると考えられていること、すなわち構造を発生させる構造が必ず想定されている点である。すなわち、形式的操作段階における構造は具体的操作段階における構造から、具体的操作段階における構造は前操作的段階における構造から、前操作的段階における構造は感覚運動的段階における構造から、感覚運動的段階における構造は……、それぞれ発生しているとされる。けれどもこの概念は、「それでは最初の構造はどのように作られたのか?」という疑問を帰結しないわけにはいかない。ピアジェはこの疑問に対して、生活体の自然発生的運動とその一般的共応、言い換えれば「はたらきの中心」としての「主体」を出発与件として設定する 24)。
 さて以上、ざっとピアジェの基盤となっている考え方に触れてきたが、これだけの材料でも我々は多くの対抗的見解を提出することができる。次節ではピアジェの構造主義に対するいくつかの批判をとりあげることにする。

B ピアジェの構造主義への批判
 成人教育研究によるピアジェへの批判は一般的にいたって素朴である。すなわち、ピアジェの理論は子どもの精神発達について述べたものであり、成人の発達については空白だ、という批判である 25)。
 ピアジェは、成人期の発達において個人差が広がることの説明を、次の3つの仮説によって行なっている。1)個々人の社会環境や経験が、認知構造を助長する方向にはたらいているかどうかにかかっている、2)形式的操作段階はもはや固有の段階として特徴づけられることはできず、特殊化へと向かう構造的進歩の時期である、3)個々人に関心のある事柄に対してのみ、その個人はすべての個人に共通する形式的操作を用いるので、形式は同じでも関心事項によって個人差が生じる 26)。ピアジェはこの3つの仮説のうち第三のものをもっとも有力であるとしているが、どの仮説にしろ、結局のところ成人の発達は形式的操作段階における構造内発達だと言っているにすぎず、内容に乏しい。
成人教育研究がもちだすこのピアジェの仮説に対抗する理論に、リーゲルの「弁証法的操作段階」説がある 27)。リーゲルのピアジェに対する問題意識は次の点にあった。すなわちピアジェの理論は、次々と高次の段階に進展して、初期の矛盾が形式的には解決されてしまうというものであり、したがって反弁証法的である。すなわち、ピアジェは同化−調節作用によって弁証法的基礎を築いたにも関わらず、矛盾の多い初期段階からより矛盾の少ない成熟の状態に向かって発達していくという図式を採用してしまった、という批判である 28)。
無矛盾の成熟へ向かうというピアジェの理念にピアジェの構造主義の問題性の多くが集約されているという意味で、この批判は極めて妥当である。けれどもリーゲルはこの批判を、かなり大ざっぱな弁証法概念によって行なっているため、批判になりきっていない。彼は、ピアジェが措定した形式的操作段階に続く第5の段階として、弁証法的操作段階を提起する 29)。したがって、弁証法的操作段階における何らかの構造が形式的操作段階における構造から発生するのだ、とリーゲルは主張していると考えるのが普通であるが、彼はそのかわりに構造という枠組みを捨象してしまった。彼自身の提起として次の3点を挙げている。1)各々の発達段階に応じた弁証法的操作へと発達していき、それによって思考の成熟へと達する、2)成熟のレベルは個人によって多様であり、ある者は形式的操作段階あるいは具体的操作段階を経ることなく弁証法的操作段階に達するかもしれない、3)個人は場面場面によって、様々な発達段階の操作を使い分ける 30)。一見して分かるように、これはピアジェの構造主義の全否定である。かと言ってリーゲルは、ピアジェの構造主義に変わる新しい構造の把握の仕方を提示しているわけでもない。言うなれば彼は、ピアジェが観察している現象を発達段階ごとに切り取り、並べ変えたにすぎないのである。
 リーゲルの批判を積極的に解釈するなら、彼はピアジェの構造主義の諸特徴に対して意義申し立てをしているとすることができよう。彼は次のような認識に支えられてピアジェを批判している。“主観と客観との弁証法的相互浸透および諸理論間の矛盾の弁証法的相互浸透は、可能であるというだけでなく、科学と知識のために積極的に必要なものなのである。” 31)すなわち、同一性を堅持する客観的なものなど存在せず、したがって客体との相互作用によって形成される主観も決して唯一無二の構造をもつものとはならないだろう。また諸理論についても同様で、さまざまなものの見方が多様な理論を存在させている。そしてこの多様さや多様なものの間に生じる矛盾が発達のための不可欠な要因になっているということである 32)。
 この認識に従えば、ピアジェの唯一の必然的な構造という概念は否定される。と同時に、人格のすべてを統括する<構造>という概念も怪しくなる。そのかわりに、主体は客体との関係において特殊的な構造を形成するという、原初的な構造の姿が浮かび上がる。この構造把握によれば、構造は主体と客体との関係によってさまざまな型がありえるし、同一の主体が複数の構造を併せもつことすら可能である。また、<構造>が下位の構造を統御するというよりも、多元的な構造が集合して、はじめて一つの矛盾を内包した<構造>が存立すると考えることができる 33)。
 この構造の捉え方によって、我々はより多くの現象を説明しえるという展望をもつことができる。しかし他方、主体はどのように他者を理解することができるのか、という最後の問題が残される。この問題に対しては、実際に我々は(相対的にであれ)他者理解を遂行しているという事実から、主体と客体との間に構築する関係を統御する構造を措定することができる、という説明が付される。この点については後述しよう。
 次に我々はエリクソンによるピアジェ批判を考察してみよう。エリクソンの理論は、成人教育研究・社会教育研究に対しても大きな影響力をもっているが、ピアジェとの対比で捉えられることは少ないし、まして構造の捉え方をめぐって検討されることはまずない。エリクソンによるピアジェ批判をみることで、我々はエリクソンの構造把握のあり方を明らかにすることもできる。
 エリクソンは、「信頼感」「自主性」「勤勉性」「同一性」といった彼自身の発達段階論の用語と、「感覚運動」「前操作」「具体的操作」「形式的操作」といったピアジェの発達段階論の用語との関係づけに関心をもっていた 34)。けれども、これらの用語の背景となる認識という点で、両者の間に大きな隔たりがあることは、エリクソン自身の認識していたところであった。
 彼は、ピアジェが「子ども」「青年」「成人」を、それぞれ他と独立させて把握している(構造が構造を生成するという考え方からは当然の把握である)点について、表1の図式を用いて批判する 35)。
 構造は構造によって生じるとするピアジェの考え方によれば、それぞれの段階は独立していて、「子どもらしさ」「青年らしさ」は前の構造の名残りであるというようにしか捉えられないし、また「子ども」や「青年」は本質的な意味での「成人らしさ」をもちあわせることもありえない。ところが、エリクソンの考え方によれば、すべての段階で「子どもらしさ」「青年らしさ」「成人らしさ」のすべてを全体構造として保持しており、発達はそれぞれの段階の特徴的な変化としてあらわれるにすぎない。“段階を追って生成してくるものは、最初の危機をへて、次々に変化を遂げ、その次の段階へと再統合をはかりながら何一つとして欠けることのない全体の一部である” 36)。すなわちエリクソンは、構造は構造から生じるという概念をもたず、構造としてたちあらわれる全体性の生成過程については、各器官の発生とその統一・調和という以外に言及しない。我々は次の記述から、エリクソンの構造的な把握について適切な理解を得ることができるだろう。
 “各々の部位は、その部位の発達の決定的かつ臨界的な時期が正規に到来する以前にも何らかの形で存在し、他の全ての部位と組織的な関係を保持している。……また、ひとつの部分が優先的に充全な発達を成し遂げ、その段階で永続的解決を見出した場合でも、そこで発達が終わるわけではなく、他の部位が優先的に発達する次の時期においても、更なる発達を遂げ、何よりもまずそれによって、全体の統一と調和の形成に寄与しなければならない。” 37)

 そもそも構造が構造を生むという概念の最大の問題は、構造のはじまりを神秘的のヴェールに包んでしまうところにあるのだと言える。ピアジェが構造の出発与件を「はたらきの中心」としての「主体」であると考えたことは前節に述べた。しかし「はたらき」を構成する有機体自体に構造があるわけだから、この「主体」という概念を即座に採用するわけにはいかない。この議論に依拠すると、創世において物質の構造はどこからきたのか、神がもたらしたものなのか、と考える以外になくなるからである。したがって、構造はまったく恣意に与えられたものとして理解すべきなのである。
 以上のように、ピアジェによる構造の捉え方の3つの特徴は、いずれも対立的な考え方によって乗り超えられることが示された。この対立的に示された、有機体と客体との相互関係において形成された恣意的・特殊的な諸構造、および諸構造の集積としての<構造>という概念の妥当性、およびその概念の意味するところを最後に論じなければならない。

3 構造把握の意味をめぐって

A 構造の成り立ちとその規定要因
 記述を進めるにしたがって、構造概念が見えにくくなってきた。構造を一旦、@有機体の構造、A文化的構造、B自我、あるいは認識の構造の3つのレベルに分けて考えてみよう。我々がここまで中心的に扱ってきた構造は、言うまでもなく自我・認識の構造である。有機体の構造は自我・認識構造の直接の基盤となる。そして、有機体の構造及び文化的構造は、有機体と客体との関係を統御して、自我・認識構造を方向付けている。
 有機体の構造について論じるなら、いわゆる人体の構造とその共応を問題にするところから始めることができるが、本稿は脳構造について簡単に考察するにとどめる。澤口俊之は、知性に対応する脳構造を「フレームモデル」によって説明する。フレームとは大脳新皮質における“知性を実現する相対的に独立した神経経路”であり、フレームの内部構造をモデュール、さらにその内部の最小の構造的単位をコラムとしている 38)。これらは神経細胞、および神経細胞間を結ぶ軸索、そして軸索と神経細胞間のつなぎめのシナプスによって構成される 39)。フレーム群はチンパンジーでもヒトでも同じであり 40)、したがって脳の構造は概ね種を通じて共通であり、しかも生得的である。ヒトはコラムを増やしたり各単位間の結合の度合を増やしたりすることで進化してきたと言える。脳は生誕後すぐに、大規模な細胞死、軸索やシナプスの消失を経て、神経回路を形成する。その後はそのような大きな変動はないので、認識の発達は、軸索やシナプスの自然選択(使用頻度の高いものは発達し、使われないものは消失する)やフレームの自己組織的変容によって起こると考えられる 41)。
 こうした「フレームモデル」はひとつの仮説にすぎない。しかし仮説であることを差し引いても、なお有機体の構造が人間の自我・認識構造に与える影響が膨大なものであることが予測されるのである。このモデルに従うなら、自我・認識構造はまさに、神経細胞および神経細胞間を結ぶ軸索やシナプスの密度すなわちフレームの構造によって決定される。認識構造を脳の構造において捉えることができるという意味で、我々の議論はすでに、自我・認識構造を有機体の構造に還元して捉える機械論的把握と親近性をもっているとさえ言いえる。ただそれは、脳と心の二元論を克服するという意味においてであり、過度に単純化された一元論による人間操作へとつながるような機械論ではない。というのは、脳は物質系だけでなく情報系に属しており、情報系において脳は、もっとも末端の部分が構造の制御を受けながらも自己運動し、その結果が構造にフィードバックされていくという十分に複雑な自己組織化過程によって成り立っているからである 42)。
 「フレームモデル」を前節で描出した構造把握と重ねると、次のような諸点を導出することができる。第一に、構造ははじめから全体性をもった<構造>として与えられている。しかし第二に、<構造>は下位の構造を統御するという関係にあるのではなく、部分間の結合あるいは共応の仕方が構造を決定し、それらの相対的に独立した構造群が<構造>を成り立たせているという関係にある。そして第三に、構造は部分間の結合の仕方によって立ち現れるが、それは対象との相互関係から成立した特殊的な構造である。
 第一の点で述べた全体性には、二つの意味が含まれている。ひとつには、有機体の構造としてのフレームの構造は生得的に与えられているという意味と、もうひとつは、いわゆる自我・認識構造としてのフレームの構造(神経細胞の結合様式)は文化的構造によって一挙に与えられるという意味とである。
 前述のように、大規模な神経細胞死と軸索やシナプスの消失による神経回路網の形成は、生誕後しばらくの間に限定されている。したがって自我・認識構造もこの時期に一挙に形成されるものと推測される。言語学はこのことへの格好の論証を与えている。すなわち言語構造は、音のイメージ(シニフィアン)とそれが指し示そうとする世界(シニフィエ)の分節化の恣意性、およびシニフィアンとシニフィエとの結合のしかたの恣意性とによって成り立っている 43)。この恣意的な構造を動機づけているのが文化なのである。換言すれば、我々は、文化が恣意的に規定しているコトバと世界の分節化、および分節化されたコトバと世界との対応によって、はじめて社会的言語を構造として獲得することができる。したがって、我々の特殊的な自我・認識構造は、文化によって一挙に与えられる言語構造によって規定されるのだと言える 44)。
 このように規定される<構造>は、多元的で相互に矛盾する複数の構造によって成り立っている。このことは前節でも述べたが、柴谷篤弘はこれを次のように根拠づけている。“人間の精神活動のかげにある構造は、当然脳にある物質系の基底の上に成立するものだが、たがいに両立しえない構造が、おなじ基底の上に多重的に成立できることを仮定する。これは日本語の他にも多くの言語があり、同一人が幼年期の言語環境しだいで、やすやすと異なった言語を習得してしまうことから、たやすく推論できることである。” 45)

B 構造の変革と発達・教育
 さて、自我・認識構造の発達は一般に、第一に知識の増加(神経細胞の増加に対応)、第二に知識間の関係の強化及び変化(フレーム構造の強化および変革に対応)と規定しえるだろう。以上に述べた構造に関わって教育を論ずるとき、このうち、後者の規定は考慮すべき大きな問題を含む。
知識間の関係すなわち構造は、どれだけ文化的な規定から自由でありえるのか。構造の変革は<構造>の変革を含むのか。<構造>を構成する複数の構造の間にある矛盾はどのように位置づけられるのか。教育の機能はこれらの問題にどれだけ関与することができるのか。
 池田清彦は構造の変革を、「構造付加」と「構造変換」に分けて論じている 46)。「構造付加」とは“ある構造列の末端に新しい上位構造が付加されること”であり、「構造変換」とは“ある構造が、それと背反する規則をもつ同レベルの構造に置換してしまうこと”を言う。
 我々は「構造変換」を日常的に経験することはない。例えば中世と近代の認識の断絶のような「構造変換」は、政治・経済構造の変動や技術の革新、国家間交流の拡大やあるモードの流行などといった「構造付加」が重層的に原因となって起こる。特に我々は意図して「構造変換」をひきおこすことなど不可能である。教育は「構造変換」に関わることはできるかもしれないが、教育が「構造変換」を惹起すると言うことはできない。
 したがって、教育が意図することができるのは「構造付加」であるにすぎない。しかもこの「構造付加」にしても、どれだけ文化的に規定されている構造から自由であるか、判別することはできまい。まったく新しい科学的発見、あるいは発明は純粋に「構造付加」と呼べるかもしれない。けれども一般に教育によってなされることは、すでに文化がもっている構造を、個人の構造の中に再発見することであるにすぎない。とはいえ、この再発見という行為はきわめて重要である。柴谷はこの重要性を、差別とのたたかいを例として、次のように説明する。すなわち、我々は差別を否定しようとするが、我々は差別の構造と反差別の構造の両方を同時に保持しているのであって、反差別の構造が差別の構造にとって変わることはない、したがって我々にできることは「差別をなくそう」とする試みにあるのではなく、差別と闘うことにあるのだ、というのである 47)。
 こうしてみると、「構造付加」によって生じた新しい構造が文化に属するのか、個人に属するのかという議論は実はあまり意味がないのである。構造は文化的に規定されているが、全面的に規定されているわけではない。逆に構造は個人の内部にあるものだが、かと言ってそれを個人のものであるとすることはできない。教育も、文化への同化と個性化の間のどこかに位置する実践なのだと言う以外にない。文化的な構造は個人の内部においてのみしか実現しえないし、個性化は文化的な規定の上にはじめて成り立つからである。個性的なものは、構造の差異に基づいているというよりもむしろ、矛盾する複数の構造から自らの依拠する構造の主体的な選択(賭け)にこそあると言えるかもしれない。
 このように我々は、構造の再発見と矛盾する構造間の選択という絶え間ない運動の中に生きている。発達とはこの運動の過程を内包する概念である 48)。教育はこの過程に、構造の再発見や主体的な構造の選択を援助したり阻害したりすることによって関与しえる。例えば、学習の共同性が依拠する構造への賭けを援助するかもしれないし、講座などへの非主体的関与が主体的な選択を阻害する場合もある。我々は、どのような条件によって、教育がこの運動過程を援助しあるいは阻害するかという分析をすることが可能であろう。
 さて、本稿では以上のようにピアジェの構造概念を批判的に検討することで、新しい発達の捉え方を提起してきた。我々の発達論においては、発達は包括的なものでも普遍的なものでもありえない。本稿での最大の論点はこの点にあったのだが、発達が具体的・個別的なものだということは、さまざまな社会現象の個々において構造を把握し、それをもとに発達論として構成していくという作業の必要性と裏腹な関係にある。本稿で行ないえたのは、そういった作業の際に、発達論的にさまざまな現象を見ていくための視座の検討であった。教育論が発達論を真の意味で援用することができるのは、こうした地道な作業を経た後でのことである。

<注>

1) 古典的な発達論の援用によって子どもの教育の正当化を試みている例として、勝田守一『能力と発達と学習』(国土社、1964年)。また生涯発達心理学の動向は、高橋恵子・波多野誼余夫『生涯発達の心理学』(岩波書店、1990年)、新しい発達論の動向をふまえて展開している社会教育論については、社会教育基礎理論研究会編『叢書生涯学習Z 成人性の発達』(雄松堂、1989年)を参照。
2) 発達論を広く解釈し直そうという試みは、後述の障害児教育をめぐる論争に触発された形で始まっている。例えば浜田寿美男『発達心理学再考のための序説』(ミネルヴァ書房、1993年)。彼は、客観的な発達の把捉という論の形式に疑問をもち、意味論的な発達論を模索している。
3) 「現代的人格における陶冶と自己教育の構造」『日本社会教育学会紀要』No.26、1990年、p.1
4) 麻生誠『生涯教育論』日本放送出版協会、1985年、p.138
5) 土井利樹「プログラム編成の視点としての学習課題」倉内史郎・土井利樹編『成人学習論と生涯学習計画』亜紀書房、
1994年、p.57〜70
6) 社会教育基礎理論研究会編、op.cit.「はじめに」p.ii
7) ハヴィガースト『人間の発達課題と教育』 [Human Development and Education] 荘司  雅子訳、牧書店、1958年、pp.286-287
8) ibid.,p.43
9) ibid.,p.21
10) 茂木俊彦『障害児と教育』岩波書店、1990年、p.177
11) 田中昌人『人間発達の科学』青木書店、1980年、p.136
12) 篠原睦治『「障害児の教育権」思想批判』現代書館、1986年、p.104
13) ibid.,p.116
14) 本来発達課題論として取り出すには不適切な発達論さえ、教育論の手にかかると発達課題論として処理されてしまう傾向がある。例えば、ハヴィガーストと並びエリクソンまでも社会の“望ましいパターンへ適応すること”を要請する論者として捉えられ、それを論拠として“社会の要請する理想的発達像”を発達課題のために完成させる必要性が語られる(泉敏郎「発達課題とはなにか」麻生誠・泉敏郎編『人間発達と生涯学習』亜紀書房、1989年、p.105)。後でも述べるが、エリクソンが明らかにしようとしたのは、個体のリビドーが世代間の相互作用によって生きる力として引き出され、その力が歴史・文化あるいは社会を構成し、次世代へと引き継いでいく様である。
15) 嶺井正也「発達論から解放論へ」海老原治善・黒澤惟昭・嶺井正也編『現代教育科学論のフロンティア』エイデル研究所、1990年、pp.170〜195
16) 田中昌人、op.cit.,p.150
17) ただし、「発達」という用語自体、近代的認識の所産であるという近代批判の見地の立場を考慮するなら、「発達」なき「解放」という事態も無視しえまい。けれども、これも「発達」をどのように定義するかによって解釈が変わる。「発達」なき「解放」が構造内部のいくつかの状況(矛盾)が積み重なって起こる構造変換を意味するなら(後述)、状況(矛盾)の積み重ね自体を「発達」とは呼んでいないことになる。本論においてはいかなる否定的契機であっても、それが「解放」への過程となりえる限りにおいて、「発達」とみなすところから展開する。
18) ピアジェ『発生的認識論』[L'episte-mologie Genetique]滝沢武久訳、白水社、1971年, pp.11〜15
19) ibid.,pp.11〜12
20) 以下の記述については、ピアジェ『発生的認識論』op.cit.、ピアジェ『思考の心理学』[Six Etudesde Psychologie](滝沢武久訳、みすず書房、1968年)、岡本夏木「ピアジェ,J」(『別冊発達4 発達の理論をきずく』1986年、pp.127〜161)を参照のこと。
21) ピアジェ・イデルネ「幼児期の心理」[Psychologie der Fruhen Kindheit](『発達の条件と学習』op.cit.所収、pp.14〜50)
22) ピアジェ『構造主義』[Le Structural-isme]滝沢武久他訳、白水社、1970年、p.138
23) ピアジェ『思考の心理学』 op.cit., p.40, pp.60〜67
24) ピアジェ『構造主義』 op.cit., p.69, p.76
25) Nottingham Andragogy Group, Towards a Developmental Theory of Andragogy,University of Nottingham, 1983, p.4
26) ピアジェ「青年期から成人期までの知的発達」(『発達の条件と学習』芳賀純編訳、誠信書房、1979年所収、pp.196〜201)
27) Towards a Developmental Theory ofAndragogy, op.cit.,p.5〜7
28) Riegel,K.F., “Dialectic Operations:The Final Period of Cognitive Development”, Human Development 16
(1973), p.355
29) ibid.,p.350
30) ibid.,p.365
31) ibid.,p.349
32) このリーゲルの考え方に対して、多様なものは内容であり、形式は同一性を保ちえるという反論があろう。けれども形式は内容に対して完全に自律的ではありえないことはピアジェ自身も述べているとおりである。(ピアジェ『発生的認識論』op.cit.,p.100〜101)
33) ピアジェの後継者と考えられているコールバーグは、道徳の構造の統一性と一貫性を主張している。しかし彼が措定する道徳の構造も、ピアジェの構造の捉え方から導出され、それと無矛盾であるという意味で、やはりピアジェが述べる<構造>に包接されたものであると言うことができる。(“Moral Stages and Moralization”in T.Lickona ed., Moral De-velopment and Social Issues, Holt,
Rinehart and Winston, 1976, p.53)
34) エリクソン『ライフサイクル、その完結』  [The Life Cycle Completed]村瀬孝雄他訳、みすず書房、1989年、p.102
35) エリクソン『洞察と責任』[Insight and  Responsibility]鑪幹八郎訳、誠信書房、1971年、p.136
36) ibid.,p.140
37) エリクソン『ライフサイクル、その完結』  op.cit., p.32
38) 澤口俊之『知性の脳構造と進化』海鳴社、1989年、p.20。なお、この大脳新皮質のフレームは各々、感情を司る偏桃体や反射を司る小脳などと結合している。さらに、自我を司るフレームも措定されており、これは再高次のモデュールのみを対象化する機能をもっている。この考え方によれば、自我は器官として脳に局在することになる。自閉症の原因が、脳の局在的障害による自我の機能不全であるとする仮説が有力になっていることと符合しており興味深い。(佐藤比登美「自閉性障害研究の到達点 生理・生物学的研究」『障害者問題研究』No.57, 1989年)
39) 澤口俊之、op.cit., p.46
40) ibid.,p.110
41) ibid.,pp.53〜54
42) 津田一郎『カオス的脳観』サイエンス社、  1990年、pp.8〜9
43) 丸山圭三郎『ソシュールを読む』岩波書  店、1983年、p.197
44) 内的な構造と文化的構造との関係はエリクソンのテーマでもある。彼は“身体的、精神的及び社会的な諸パターンの相互的な同化、つまり、文化の諸パターンに内在する或る内的論理(後にエトスとして論ずる論理)に導かれながら、自我の「諸装置」を適応的に統合する自我自体の能力の成長に合わせて行なわれる、適応的発達”を問題にしている。(エリクソン『ライフサイクル、その完結』op.cit  pp.41〜42
45) 柴谷篤弘『科学批判から差別批判へ』明  石書店、1991年、p.132
46) 池田清彦『構造主義生物学とは何か』海  鳴社、1988年、pp.132〜133
47) 柴谷篤弘、op.cit., pp.136141
48) レビンソンの発達論は、ここに述べた発達概念に近い。彼の「生活構造」という概念 ― ある時期におけるその人の生活の基本パターンないし設計 ― は、多くの意味を含みすぎているが、発達を生活構造の断続的な選択として捉えている点など、本稿のスタンスとの共通点は多い。(レビンソン『ライフサイクルの心理学』[The Seasons of a Man's Life]南博訳、講談社、1992年、<上>pp.85〜91)