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『神戸大学発達科学部紀要』第8巻第1号、pp.69-88、2000年9月

「知的障害者」の社会教育事業の機能と諸問題

津田英二

Functions and Problems on Community Education for People with Mental Retardation Run by Public Entity

Eiji Tsuda

The purpose of this paper is to analyze the community education practices for people with mental retardation run by public entity, and to make their functions and limitations clear. The Classes for Youth with Disabilities run by autonomies are the main field in this paper. The programs and the volunteers of these classes are analyzed. The functions on the community education with mental retardation are set as below.
1) the function of adaptation, which includes the additional service of school education, discovering and dissolving the problems which rises from daily life, expanding the field of activities and extending the interests and the hobbies of people with mental retardation.
2) the function to organize the system to promote the quality of life, which includes education on welfare, education for the parents of people with mental retardation, organizing non-profit organizations and so on.

T はじめに

1 「知的障害者」の生活構造からみた社会教育ニーズ
 「知的障害者」の社会教育へのニーズは、「知的障害者」の特殊な生活構造の歪みと密接な関連を持っていると予測できる。『東京都社会福祉基礎調査』に基づいて生活課題の一部を概観してよう(東京都福祉局、1996)。
 まず、「知的障害者」の生活を援助している人として、同居の家族、特に母親を挙げているケースが圧倒的に多い。全体の82.6%が「同居の親族」を援助者としており、そのうちの79.5%が「母」の援助を受けている。その一方で「父」を援助者としている人は、5.7%にすぎず、その他の「ヘルパー」「ボランティア」「知人・友人」などは、0.5%を下回る数値しか表れていない。もっとも、最重度の「知的障害者」の場合は、約半数が「施設の職員」を援助者としているが、これは施設入所の例が多くなるからだと考えられる。
 援助の内容として全体の50%が必要であると答えた項目は、「食事のしたくや後かたずけ」「身の回りの掃除、整理整頓」「洗濯」「日用品の買物」「福祉事務所や病院などとの連絡」「外出の付添い」「通院の付添い」であった。重度の「知的障害者」になると、これらの項目に「排泄の介助」「入浴の介助」「着替えの手伝い」「見守ってもらう」といった項目が加わる。母親に代表される援助者にとって見れば、「知的障害者」の日常生活訓練が緊急の課題であることは明らかである。
 外出の頻度としては、毎日出かける人が28.1%弱であるが、「ほとんど出かけない」が14%、「週に1回ぐらい」が19.5%程度もあった。特に最重度の「知的障害者」の場合、「ほとんど出かけない」と答えた人が39.0%もいた他、軽度の場合でも、「週に1回ぐらい」の外出が20.0%という結果であった。外出を援助する人の確保が課題であるのと同時に、「知的障害者」の出掛ける先をつくることが重要であることが分かる。
 趣味等の活動に参加できる条件としては、「一緒に行く仲間がいること」「施設が身近なところにあること」「適切な指導者がいること」「障害者に配慮した施設や設備がある」といった項目が、全体の30%以上の回答を得ている。「知的障害者」の活動を援助するためには、活動仲間と個別の配慮、地域性といった点を押さえることが重要であることがわかる。逆にこういった条件が整っていない現状を原因として、「知的障害者」の外出の頻度が低く押さえられていると見ることもできる。
 趣味等の活動に参加できる条件としては、「適切な指導者がいること」が41.8%、「一緒に行く仲間がいること」が39.1%、「障害者に配慮した施設や設備がある」が35.1%、「施設が身近なところにあること」が31.2%など、条件整備への要求の高さがうかがえる。「魅力的な内容であること」が18.8%であることを考えると、内容よりはまず出かける先があることに力点が置かれる傾向が見える。この傾向は重度の「知的障害者」ほど顕著である。
 行政への要望としては、「入所施設の建設、施設運営の改善」「障害者の働く場の拡大」「年金や手当の充実」といった項目が、全体の30%を越す回答を得ている。いまだに「知的障害者」やその保護者の関心の中心は、就労と住居にあるといえる。「障害者理解や交流の推進」に対する要望は、全体の約17.8%という低い水準にとどまっている。
 さて、以上で見ることのできる「知的障害者」の生活課題は、「知的障害者」を援助するシステムの改善という点が、きわめて重要なポイントであることが分かる。「知的障害者」の母親に大きな負担がかけられており、その負担ゆえに「知的障害者」の外出、社会的な活動は制限されており、そのことが「知的障害者」を支えるべき地域との距離をも生み出している。また、「知的障害者」の活動として期待されることは、母親の負担の軽減と直接的に結びつく、あるいは親亡き後の生活に役立つであろう日常生活訓練に偏っており、生活を楽しむことにつながるような活動へのニーズは顕在化しにくい。
 こういった生活課題が、「知的障害者」の社会教育ニーズと直接的な関わりをもつ。すなわち、「知的障害者」の社会教育ニーズは、援助システムの貧困に起因する生活構造の偏りに対して働きかけ、援助システムの改善にもつながるような活動へのニーズということになろう。生活に密着した場においてなされる、「知的障害者」の生活の質の向上を指向し、個別ケアと対人関係に特別な配慮を行なう活動を、「知的障害者」の社会教育ニーズと考えることができる。
 われわれは、東京都世田谷区で行った『区内の障害をもつ人・団体への学習要求等に関する調査結果』(1995〜96年実施)(世田谷区教育委員会、障害をもつ市民の生涯学習研究会、1996、pp.10-56)において、次のように社会教育ニーズを把握した。
 まず公共施設をあまり利用しないと回答した「知的障害者」やその保護者(67名=有効回答数116名の57.8%)のうち、利用しない理由として「一人で行けない」と答えた人は64.2%(43名)に達した。また、「知的障害者」を対象として開設されている障害者青年学級については、その存在自体を知らない人が19.1%、参加しない理由として「一人で会場へ行けない」と答えた人が47.0%(有効回答数66名のうち31名)であった。
 学習や文化活動の機会を「基礎教育や教養教育」「趣味」「レクリエーション」「スポーツ」「仲間づくり」「地域活動」のカテゴリーに分けてそれぞれのニーズについて問うた設問では、「そのような機会がない」とした人が、各々65.1%、41.5%、17.4%、25.9%、51.4%、71.0%となり、「レクリエーション」と「スポーツ」以外の項目で、高いニーズが示された。また、「社会の一員であると実感する」ことが「あまりない」「ない」と答えた人は65%(65名)に達し、しかもこの回答と就業形態や地域活動の機会の有無との相関関係が見られた。
 「行政への要望」として出された「知的障害者」やその保護者のニーズとしては、ニーズの高い順に、「障害者向け事業の増加」(57.5%)、「たまり場の創設」(50.9%)、「会場までの付き添い」(45.3%)、「区民への障害理解促進」(44.3%)、「専門職員の拡充」(43.4%)、「ボランティアの拡充」「情報提供の充実」「近隣地区での学習援助」(ともに42.5%)などとなった。
 このような調査結果から、「知的障害者」の社会教育ニーズについて次のような仮説を立てることができよう。第一に、「知的障害者」のニーズに対応する社会教育の機会が絶対的に不足していること。第二に、このような機会の欠如が、「知的障害者」を社会参加から疎外していること。第三に、「知的障害者」の社会教育ニーズに対応するためには、援助者(専門家、ボランティア)と情報の拡充、充実が必要であること。第四に、援助者の充実のために市民に対する障害理解への働きかけが必要であること。
 さらに米山岳広は、「知的障害者」(133)、その保護者(424)、学生(378)の三者の生活構造を比較検討する調査を行っていて興味深い(()内は実数)。この調査によると、「不安や悩みの相談相手」として「友人」を選んだ人が、学生で53.5%であったのに対して「知的障害者」は6.0%にすぎなかった。また、趣味・スポーツの団体に参加している人は、学生が48.7%であったが、「知的障害者」は12.8%という結果であった。さらに、余暇を快適に過ごすための条件として、学生は「自由につかえるお金」の不足を挙げる傾向が強いのに対して、「知的障害者」の場合は「気軽に誘える仲間」がいないことを挙げる傾向も明らかになっている(米山岳広、1998)。このように、「知的障害者」が日々の活動をともにする人間関係の希薄さが明確に表れており、この充実が「知的障害者」の社会教育ニーズにとって一つの重要な課題であり条件であることがわかる。
 さて、本論では、このような「知的障害者」の社会教育ニーズの内実と、それに対する公共財の投資との関係に焦点を当てる。主題に入る前に、次節で1つの分析軸を設定しておきたい。

2 〈「知的障害者」の適応機能〉と〈システムの組織化機能〉
 近年の「障害者」福祉の考え方の変化に、ADL(日常生活動作)の訓練からQOL(生活の質)の重視へという流れがある。“障害者の人生の意味を考えて、身辺自立や社会自立、または職業的自立ができていない人は人として認められないというこれまでの観念から脱却して、そういったことも必要に応じて人的援助や物的援助を受けながら、ひとりひとりの一回しかない人生の生き方を大切にする、旅行や趣味、創作活動やスポーツなどで人生を楽しむなどが大切にされるようになった。”その上で、十分な指導・訓練の後に初めて「障害者」が自立することができると考える教育的な考え方と、障害のある部分を器具や人の援助などで補い、障害をもったままでも自立することができるという福祉的な考え方といった2つの考え方がある( 日本障害者雇用促進協会、1993、pp.72-3)。
 また、新興の学問領域である「障害学」においては、「障害者問題」の立て方を「医療モデル(個人モデル)」「社会モデル」という用語によって説明している。「医療モデル」とは、障害を治療の対象として捉えるという原則によって、障害に関わる諸問題を障害者の個人的な問題、あるいはその家族の問題として考える観念のモデルである。また「社会モデル」では、従来の「医療モデル」への懐疑から、障害に関わる諸問題を障害を否定する社会の問題として捉え、障害の治療ではなく社会変革をめざす考え方が説明される(石川・長瀬、1999、pp.11-39;Johnstone, 1998、pp.5-24など)。
 「医療モデル」として批判されてきたWHOによる障害概念においては、「機能障害 impairment」が「能力低下 disability」を、「能力低下」が「社会的不利 handicap」を引き起こすものとして説明されてきた。つまり障害に関わる諸問題の根元として「機能障害」が捉えられてきたのであり、医療(あるいは療育、医療的側面をもつ教育)が問題解決の主役だったのである。それに対して現在、WHOは障害概念の見直しを図っている。それによると障害を説明する概念として「機能障害 disability」「活動 activity」「参加 participation」を用い、各々別個の問題として取り上げている。用語からも分かるように、個々人の問題としての障害と、社会の問題としての障害の両方を考慮に入れた障害概念の見直しとなっているのである(佐藤、1998)。
 このように、知的障害に関わる問題を取り上げる際、次の2本の軸の設定が可能である。ひとつめの軸は、問題解決の方向性として一方に「知的障害者」の社会への適応を、他方に社会変革を置くことである。またふたつめの軸は、問題解決の主体として一方に「知的障害者」を、他方に社会を置くことである。ADLに偏った施策や「医療モデル」などは、問題解決の主体として「知的障害者」を、しかも問題解決の方向性として「知的障害者」の適応を求めてきた典型と考えることができる。それに対してQOLの主張や「社会モデル」などは、問題解決の方向性として社会変革を求める典型である。
 この枠組みを、社会教育の機能の文脈で考えるとどのようになるだろうか。これまでの社会教育をめぐる議論において、社会教育は「組織化の過程」とされたり(小川、1973、pp.20-5)、「大衆運動の教育的側面」と言われたこともある(大阪府枚方市教育委員会社会教育委員の会議、1963)。また、倉内史郎は社会教育を自発性理論、統制理論、適応理論によって説明している。これによると、自発性理論は個人の自主性、自発性に基づく自由な学習の展開を社会教育の本質として捉え、統制理論は社会の側から個人を統制し方向づけるという観点に立ち、適応理論は一方では個人の外部から課せられる諸要求と、他方では個人の内的欲求との調整を援助するところに社会教育の役割をみようとする理論である(倉内、1983、pp.180-1)。このように、社会教育論には、一方で個人のニーズをもとにしながら学習や集団を組織化していくという方向性と、他方で社会が個人に対して適応を求めて学習を制度化していく方向性という二方向からの捉え方がある。
 したがって、「知的障害者」の社会教育の機能は、次の2つに類型化するところから考え始めてみる。第一に、「知的障害者」の生活の質を高めるシステムを組織化する機能(以後、〈システムの組織化機能〉と表記)であり、第二に、「知的障害者」を社会に適応させる機能(以後、〈「知的障害者」の適応機能〉と表記)である。
 前者の〈システムの組織化機能〉は、問題解決の方向性として社会変革を求める社会教育においてみられる機能である。この機能を担う社会教育は、障害をもたない市民を対象にした福祉教育をはじめ、「知的障害者」の保護者に対する教育、NPOの組織化など、主に社会に対する働きかけであるが、「知的障害者」自身も変革主体であることを考えれば、「知的障害者」に対する働きかけも含まれる。もちろん、社会に対する働きかけと「知的障害者」に対する働きかけは、別のカテゴリーに分けることができるが、当面は両方を〈システムの組織化機能〉として議論を進める。
 後者の〈「知的障害者」の適応機能〉は、日常生活動作の訓練、学校教育の補足、生活の場や関心、趣味の拡張などを含んでおり、「知的障害者」に対する一方向的な働きかけによって、「知的障害者」の生活の質を直接的に向上させる機能である。
 さて本論では、〈「知的障害者」の適応機能〉対〈システムの組織化機能〉という1つの分析軸を用いて、「知的障害者」の生活の質を高める社会教育事業の機能と限界について論じる。次章では、「知的障害者」の社会教育事業の機能を、公費支出を説明する理念や目的から探り、第三章において、その実際と限界をプログラム展開、援助者のあり方といった視点から分析する。

U 「知的障害者」の社会教育事業の根拠

1 「知的障害者」の社会教育への公費支出の根拠
 「知的障害者」の社会教育を機能概念で捉えると、その機能の中で、社会教育行政が担い手となる社会教育事業がどのような位置を占めるのかということが問題になる。その際、最大の論点として、「知的障害者」の社会教育に公費が投じられる根拠を説明することが求められる。宮島勝は、公共サービスの拡がりの説明として、1)社会倫理観からの拡がり、2)外部効果の拡大・抑制に向けた拡がり、3)投資的役割をもつ公共サービスの拡がり、4)ミッションを基軸にした拡がりを挙げている(宮島、1990、pp.23-7)。これを「知的障害者」の社会教育事業の文脈にうつすと、投資的役割は除外するとして、社会倫理観からは機会均等の実現、ミッションとしては公共的課題への取り組み、外部効果としては「知的障害者」が生きやすい社会の創造などといったことになろうか。
 第一に公共的課題への取り組みとして、「知的障害者」をとりまく環境の歪みを正すという説明が可能であろう。「知的障害者」の生活が母親の重い負担の上に成り立っており、そのために生活の質よりも日常生活動作の訓練を優先し、結果的に「知的障害者」と地域社会とのつながりが希薄になる傾向があるのは、先述の通りである。このような傾向は、容易に変更できるものではない。なぜならこの傾向が、社会が「知的障害者」の生活の諸問題を専ら家族の責任としてきたことや、その家族の内部でも、子どもの世話は専ら母親が担うものと観念され、父親の「知的障害者」との関わりが希薄であること、などと関連する、構造的な問題だからである。この構造的な問題の変革のために必要なことは、「知的障害者」の生活上の諸問題を家族の責任ばかりに帰すことのない社会関係を形成することであり、また男女の分業体制を見直していくことである。
 公共的課題としての「知的障害者」の生活構造の歪みは、「知的障害者」とその家族の問題に帰するのではなく、社会の課題として浮かび上がらせなければならない。したがって、公共的課題として「知的障害者」の社会教育を取り上げるとき、〈システムの組織化機能〉が問題となると言える。その際に最大の課題となるのは、「知的障害者」への未だに残存する差別や偏見であろう。この点は、「知的障害者」の社会教育事業の外部効果として社会変革が生じると捉えることもできる。したがって、外部効果とミッションは、公共的課題への対応という点に集約される。
 このように「知的障害者」をとりまく環境の歪みを正す過程は、ひとつの公共的な課題を解決するための組織化の過程としてみることができる。そしてこの説明は、社会教育事業としての公費支出を正当化する根拠の少なくとも一部分を構成しえるだろう。
 第二に機会均等に向けた取り組みとして、「知的障害者」の社会教育(権)保障という説明が考えられる。この説明は、次の2とおりの内実を伴っている。一つには、「知的障害者」には、学校教育による充分な発達保障がなされないために、その保障を社会教育保障によって補うべきだという説明である。もう一つの内実は、一般の社会教育事業から疎外されている「知的障害者」に対して、特別な配慮によって社会教育事業への参加を保障すべきだという説明である。これらはいずれも、正統な教育費支出を補完、代替する公費支出として説明するものであり、「知的障害者」の社会教育事業に対する比較的強力な根拠づけとなりえる。しかし他方で、社会教育費総体が削減されつつある現状では、「一部の住民に対する手厚い支出」といった批判に応えなければならない説明でもある。
 第三に、地域格差の是正も、機会均等に向けた取り組みとして説明可能である。自宅から養護学校まで2時間以上もかけて通わなければならないような地域が存在する。このような場合、養護学校を卒業してしまうと、「知的障害者」の生活を個々に把握していくことは困難になることが多い。作業所づくりが進んでおらず、就労の場も十分に確保されていない町村であれば、養護学校卒業生がそのまま外出する機会もほとんどないまま、社会との関係が閉ざされてしまうケースもある。「知的障害者」の社会教育の問題は一般に、農村部に行くほど深刻である。こうした地域は、いまだに行政によるイニシアティヴを必要としている。
 このように、「知的障害者」の社会教育事業への公費支出は、少なくとも公共的課題と機会均等といった側面から説明可能であった。では、実際に「知的障害者」の社会教育事業においては、どのような公費支出の根拠付けが行われているのだろうか。次節ではこれを、「知的障害者」の社会教育事業を代表する障害者青年学級の理念や目的を整理することを通して明らかにしてみる。

2 障害者青年学級の理念
 障害者青年学級は、1964年に東京都墨田区で区内の障害児学級の卒業生に対するアフターケアとして始まった「すみだ教室」を起源とする社会教育事業である。「すみだ教室」は、当初から社会教育の事業として構想されたわけではない。むしろこの教室が社会教育事業として発足したのは、制度上の都合であり、学校教育の施策としては卒業生を対象とした事業を興すことができなかったこと、福祉行政が未熟であったこと、障害をもたない中卒青年に対する青年教育が社会教育事業として既に盛んに行なわれていたこと、といった遠因によっていた。
 その後、「知的障害者」の社会教育は、専ら社会教育行政による施策の範囲内で考えられ、主に障害者青年学級の振興をもって語られてきた。それは、社会教育行政をおいて他に、「知的障害者」の社会教育を展開させる担い手がなかったことに由来している。一般に福祉関係者は、「知的障害者」の保護者等も含めて、専ら「知的障害者」の就労と住居の問題に労力を割かれ、余暇や学習や文化的な活動、仲間づくりといった課題に取り組む余裕は少なかったといってよい。わずかに、養護学校や心障学級の教員が中心となって、卒業生の行き場づくりとして同窓会を組織していたにすぎない。この状態は少なくとも1970年代いっぱいまで続くことになる(津田、1996)。
 その中で、東京都、埼玉県などを中心に、1990年代に至るまで社会教育事業としての障害者青年学級の数は増え続けていく。他方1980年代頃から、社会福祉協議会やボランティア団体等が運営する同種の事業が、様々な形態で全国的に展開するようになり、障害者青年学級は社会教育事業の枠を越えるようになっていった。また、「身体障害者」を対象とした障害者青年学級も登場してきた。現在の障害者青年学級を「知的障害者」の社会教育事業として一面化することはできないが、「知的障害者」の社会教育事業としての障害者青年学級を障害者青年学級の典型として捉えることができるし、逆に「知的障害者」の社会教育事業の典型を障害者青年学級にみることもできる。
 さて、先に述べたように障害者青年学級は、学校教育のアフターケアを理念として始まっている。このことから、障害者青年学級の理念として〈「知的障害者」の適応機能〉に重点が置かれているのは当然と言えよう。
 先述の「すみだ教室」の設置目的として、その発足のときから現在に至るまで、多少の変更を重ねながら概ね次の4点が掲げられている。1)社会生活で必要な技能の習得、2)余暇の善用、3)社会常識の獲得、4)社会生活で当面する問題の解決(墨田区教委区委員会、1964;同、1994、p.7)。ここに見られる障害者青年学級の理念は、@「学校教育の補足」(社会生活で必要な技能の習得および社会常識の獲得)、A「生活課題の発見と解決」、B「生活の場、関心や趣味の拡張」、といった3つに整理できよう。
 同様の傾向は多くの障害者青年学級に見ることができるが、ここでは豊島区「日曜青年教室」の設置目的を挙げておこう。“特殊学級卒業生で勤労に従事し、又は従事しようとする青年に対し一般教養の向上および実生活に必要な知識・技能を習得させ、日常生活を幸せに送れるよう指導・援助することを目的とする”(豊島区教委区委員会、1975)。「指導・援助」という言葉に見られるように、教員による卒業生に対するケースワークの側面が浮かび上がる。
 それに対して、ケースワーク機能よりも集団活動による課題解決を目指すものも多い。例えば板橋区「あすなろ学級」の場合、1)自立的で責任感の強い人間形成をめざす、2)社会生活を送っていくために必要な、基礎的知識及び技能の修得を重視する、3)よい仲間づくりをめざし、将来有用な社会人として活躍できる素地をつちかっていく、4)健康の保持・体力の増強、5)みんなが喜んで参加する雰囲気づくり(要約)、を設置目的としている(板橋区教委区委員会、1994、p.1)。ここでは、「仲間づくり」や楽しく参加できる「雰囲気づくり」が強調され、ピアによる「生活課題の発見と解決」、関心や趣味をともにする仲間をつくる場の提供とそれによる楽しく過ごす時間の提供といった方法が提起される。また、ここでは前出の3つの理念に、C「人間形成」(自立性の涵養)を新たに付け加えることができる。
 また、練馬区の「ともしび青年学級」の設置目的には、“ともしび青年学級は、自己の生活課題の学習及びレクリエーションを通じて考え合い、それによって将来の生活設計、生活意欲を自らの中に育てる学級である”とある(練馬区教育委員会、1987)。ここでは、「あすなろ学級」と同様に仲間づくりを基本とした考え方に立っており、さらに理念Aとして整理した発見・解決すべき「生活課題」の内実として、「将来の生活設計、生活意欲の喚起」が挙げられている。
 世田谷区の「いずみ学級」の設立目的は、“1)自立に向かい、学級生が自らの障害を認知し、障害を乗り越えて生きる力を培う、2)障害を認め合い、人格を大切にする人間尊重の精神を基盤とする人間関係を築く、3)活動をとおし、経験を積み重ねることにより、生きていく自信を育む、4)ともに活動し、協働するなかで、共生社会を築く力を培う”とされている(世田谷区教育委員会、1994、p.12)。ここでは、まず理念Cの「人間形成」の内実として、「障害を認知し、障害と向き合うこと」が提起される。また、障害者青年学級自体が社会経験の場であることが主張され、理念Bの「生活の場、関心や趣味の拡張」が方法としての重要性をもちえることが確認される。さらにここでは、「共生社会の構築」がその方法とともに掲げられている。この方向性は、次の事例にいっそう明確に現れている。
 渋谷区の「えびす青年教室」では、“1)健常者と障害者が、青年教室の活動をともにすることで、お互いが主体性をもって人間成長を目指し、信頼関係を作っていく、2)青年教室の活動を地域に広げ、障害者問題の理解を深める”という設置目的が掲げられている(えびす青年教室、1997)。ここでは、〈システムの組織化機能〉が端的に現れている。すなわち、障害者青年学級の場においてなされる実践の意味づけを〈「知的障害者」の適応機能〉に絞らず、むしろその場に居合わせるすべての人々が人間形成されることを理念として、さらにはその相互性による学習を障害者青年学級の場から地域へと広げていくというビジョンである。
 このような理念を新たに、D「福祉教育」として付け加えておこう。「福祉教育」という用語は、被抑圧者の生活の質に関する諸問題をテーマとし、それに取り組む力量を身につけることを目的とした学習・教育の実践を指すものと考える(大橋、1991、pp.113-4)。障害者青年学級における「福祉教育」理念は、社会にある「知的障害者」に対する偏見や差別意識に変更を迫り、「知的障害者」をとりまく環境の歪みを正す社会変革に導こうとする理念である。
 理念Dの「福祉教育」を設置目的などとして明示的に掲げている障害者青年学級の数は少ない。しかし、後述するように、障害者青年学級で「知的障害者」を援助する立場にある人々にとって、障害者青年学級が〈システムの組織化機能〉をもち、「福祉教育」を理念化しえる実践であることは自明といってよい。
 さて、以上で抽出してきた障害者青年学級の理念を再び整理しておこう。

@ 学校教育の補足。すなわち、社会に出るまでに習得しておかなければ学習の提供。社会常識を獲得することや、生活に必要な技能の習得などがこれに含まれる。
A 生活課題の発見と解決。生活設計を立てたり、生活意欲を喚起することなどがこれに含まれ、ケースワーク的な方法やピアカウンセリング的な方法とによって取り組まれる。
A 生活の場、関心や趣味の拡張。余暇活動や出会い、集団活動などがこれに含まれ、余暇時間に出かけていく場所の確保、楽しんで過ごせる時間やその時間を共有する仲間の獲得といったことを意味する。
C 人間形成。自立性の涵養、自らの障害を認知しそれと向き合うことなどが、これに含まれる。
D 福祉教育。「知的障害者」だけが学習者なのではなく、活動を支える援助者もまた学習者であるという視点に立って、「知的障害者」に対する理解を深め、「知的障害者」をとりまく環境の歪みを正すといった理念が、これに含まれる。

 以上のように障害者青年学級の理念を整理してくると、前項で述べた公費支出の説明との絡みで、次のような点が浮かび上がる。第一に、機会均等の考え方がもっともよく用いられる説明であった点である。多くの障害者青年学級において、「知的障害者」に対して特別な配慮を行うことを基本として、学校教育の補完と社会教育保障を公費支出の説明としていると言える。第二に、地域格差の是正という説明が皆無であった点である。社会教育事業として障害者青年学級が運営されている地域が首都圏に偏っていることからも明らかなように、社会資源が比較的に豊かな地域において「知的障害者」の社会教育事業が行われる傾向は否めない。この点は、現時点における「知的障害者」の社会事業の限界とみなすことができるだろう。第三に、公共的課題への取り組みといった視点の明示されているものが希少であった点である。「福祉教育」として整理した理念は、ほとんどの障害者青年学級では潜在的な営みであるにすぎない。その原因の説明として、次のような可能性を指摘することができよう。1)障害者青年学級が、〈「知的障害者」の適応機能〉中心のあり方から〈システムの組織化機能〉を取り入れたあり方へと変化する発展過程にあるのだという説明。2)公共的課題による説明は、公費支出の根拠としては脆弱だと考えられているという説明。3)障害者青年学級のもつ〈システムの組織化機能〉が意識化、言語化されていないという説明。
 さて、この章でみてきた「知的障害者」の社会教育の理念は、実際の活動の中にどのように現れているのだろうか。次章では、これを障害者青年学級における学習プログラムと援助者とに焦点を絞って明らかにしようと思う。

V 「知的障害者」の社会教育事業の展開と諸問題

1 障害者青年学級のプログラム
 この節では、障害者青年学級の理念にそって、プログラムの展開上、各々の理念がどのような課題を持っているかという点を考察してみる。なお、本章を通じて主要なテキストとして用いるのは、筆者も関わって行った調査の報告書「多摩地域・障害者青年学級スタッフの意識と実態について〜障害者青年学級スタッフ(ボランティア)アンケート調査報告」(東京都多摩社会教育会館、1997)1)、また1991〜1998年まで筆者自身が障害者青年学級スタッフとして行った参与研究 participatory researchの結果である。

a. 「知的障害者」の個別性に対応するプログラム
 学校教育の補完としてスタートした障害者青年学級は、個別の学習ニーズに応えるという使命と、利用者の増加、高齢化、障害の重度化といった変化との間に生じる軋轢に悩むようになっていく(東京都教育庁、1989)。学校教育の補完という課題は、実際には「知的障害者」の個別性に対応するという課題に転化していったと考えることができる。
 例えば、料理プログラムは「親なき後」に必要な生活維持能力に関係するために、広く行われており、特に保護者からの反応がよいプログラムである。草創期から障害者青年学級では、“調理は、親が病気になった時でも、ご飯と味噌汁ぐらいは作れたら役に立つと考え指導を行った”(中野区教委区委員会、1983、p.2)といった動機で行われることが多かった。しかし、この理念を実現するためには、献立づくりから始まり、金銭管理、買い物、そして洗う、切る、煮る等々といった、各種の能力を総合的に高めることを必要としている。それには、ひとつひとつの能力を繰り返しの働きかけによって高め、それを総合するといった合理的な方法が必要となる(神戸大学発達科学部付属養護学校、1999、pp.107-9)。しかし、「知的障害者」の社会教育事業においては、そのような形での教育実践がなされる制度面での条件(時間、援助者、財源など)が整えられてはこなかった。したがって、料理プログラムにおいては、参加している「知的障害者」が個別の能力に応じた関わり方を見つけていくところに意義を見いだす傾向が生じる。全員が、個別の能力や適正に応じて何らかの料理への関わりをもつことが重要となる。
 このように、障害の重さと種類、それに年齢によって、プログラムへの関わり方や適切なプログラムに相違が生じる。それらに起因する本人の関心や趣向、生活課題、身体の動きなどの違いが、プログラムの課題と相関するからである。
 障害者青年学級の場合、はじめから軽度の知的障害をもつ青年を対象とている場合が多かった。対象者を明文化していない時でも、プログラム内容や参加者層を見て、重度の「知的障害者」の保護者が、自分の子どもには不向きであると判断することも多かった。しかし近年では、社会の変化や保護者の考え方の変化などと連動して、障害者青年学級においても、重度の「知的障害者」の比率が増してきており、またかつて青年であった学級生が高齢化しつつある(東京都教育庁、1989)。「知的障害者」の社会教育は、多様な層の参加をもってなされるのが一般的といってよい。一般就労をしている「知的障害者」から言語的コミュニケーションが困難な人まで。身体的には屈強な人から身体障害との重複障害をもつ人まで。自閉症の人、てんかん発作をもつ人、ダウン症の人。学齢期の青年から高齢者まで。
 障害者青年学級の場合、学級生を年齢別や障害別にグループ化することで、層の多様化に対応することがある(東京都教育庁、1994)。しかし他方で、プログラムを多様化して、学級生がプログラムを選択できるようにするなどの対応で、学級生への個別的な対応を行なっているところもある(町田市障害者青年学級、1995)。
 学校教育に典型的に見られるように、学習者を同質化させる圧力があるほうが、プログラム化しやすい。したがって発達課題や生活課題に取り組むことに主眼を置く場合、学級生の層別にグループ化することが効率的だと言える。逆に、学習者の選択に価値を置き、異質な学習者間の相互教育を重視する場合、コース制などの対応が望まれることになる。前述の「多摩地域・障害者青年学級スタッフの意識と実態について」(以後、「障害者青年学級スタッフ調査」と略記)においても、“誰にでも、得手・不得手があるので、出席が偏ってしまう場合がある……一極集中型のプログラムから分散型のプログラム(少人数のいろいろなプログラム)への移行”が不可欠といった記述が見られる。
 それぞれの活動で、学習者の多様性に対応したプログラムの工夫がなされているが、多様化すればするほど個別性への配慮が重要になっていく。その意味で、全体のプログラム進行とは別に、そのプログラムの中での、個々のスタッフによる個別的な援助が大きな意味をもっている。
 実際には、「知的障害者」の個別性に充分に応えられる資源を、障害者青年学級はもちえないと言ってもよいかもしれない。後にみるような援助者の不足、経済的な側面での制約、月に2回程度の活動という時間的制約など、利用可能な資源の面で抱えている問題は多く、この点は「知的障害者」の社会教育事業の限界と言うこともできよう。学校教育の補完としての意味づけが大きいと、このような「知的障害者」の個別性への対応が強く求められるところとなるが、この課題が相対化されるような障害者青年学級の理念を求めることもできるのではないか、という問題提起をすることもできる。

b. 生活課題の発見と解決に向かうプログラム
 社会教育法第3条には、「国及び地方自治体は、……自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない。」とある。社会教育は本来的に、生活に即した課題と取り組むことが要請されているわけである。社会教育で、生活課題に取り組む際に用いられた従来の方法は、共同学習が基盤であった。共同学習とは、学習者の同質性に基づいた集団を基礎とし、学習者に共通する生活課題をテーマとして、討議を中心として生活実践へ結び付ける、主体形成の学習である。
 しかし「知的障害者」の社会教育においては、共同学習の素地が希薄であるといってよい。第一に、「知的障害者」に共通する生活課題は、「自立」という言葉に括ることができるだろう。しかし、「自立」の意味は個々に著しく多様である。精神的自立、身辺自立、経済的自立それぞれの領域にレベルのまったく異なる課題がある。排泄の意志を介助者に伝えることが課題の身辺自立もあれば、一人暮らしに向けた身辺自立もある。「自立」をテーマにして共同学習を行なうにしても、一人暮らしを希望する「知的障害者」などの枠が必要になってくる。
 第二に、一般的に「知的障害者」にとって、討議を行なうということ自体がひとつの大きな課題である。むしろ討議は、共同学習の手段としてよりも、自己表現や自発性を促す手段として考えるほうが妥当である。この点については次の項で述べる。
 このように、「知的障害者」の社会教育で実際生活に即した課題に取り組もうとすると、個別対応に比重がかかるようになる。「自立」への課題や条件は、個々人によって異なるし、個々に対する働きかけがあってはじめて課題が意識化されたり表明されることが多い。したがって、障害者青年学級においては相談機能がとりわけ重視されることになる。東京都23区の社会教育主事による「学級運営・活動の改善に必要な7つの条件」の一つに、「自然な雰囲気の中で相談機能の定着化の推進」が挙げられている(東京都教育庁、1993、p.105)。また、「障害者青年学級スタッフ調査」では、20%以上のスタッフが、スタッフの役割として「学級生の相談相手」という項目に回答している(東京都多摩社会教育会館、1997)。生活課題に関する相談は、組織的な相談体制に基づくもの以外に、インフォーマルな部分でも行なわれる。むしろ、親しみやすさや個別対応の点から考えると、インフォーマルな相談のほうが有意義であることも多い。その意味でスタッフには、「知的障害者」の個人的な部分に関わる力量が問われていると言える。

c. 「知的障害者」の自発性を促すプログラム
 「知的障害者」の本人参加は、世界的な潮流になっている。スウェーデンでは、親の会として発足したFUB(知的障害協会)に、1968年から「知的障害者」本人による全国会議が加わった(柴田・尾添、1992、pp.66-8)。日本でも全日本手をつなぐ育成会の基本理念として、次のような項目がある。
“知的障害のある人の人生は、その人自身のものです。それゆえ、自分たちに関することは、その人自身が選び、決定する権利があります。それは、日常生活におけることから政策まで、すべてにいえることです。そのため、それを可能にする情報の提供等の援助やメニューの整備、なによりその機会(参加・参画)の保障が必要です。”(全日本手をつなぐ育成会、1996)
 また、本人活動についての手引き書が邦訳されたり(東京都心身障害者福祉センター、1996)、本人向けの活動資料が出版される(全日本手をつなぐ育成会、1999)など、条件整備も進みつつある。訳書では、本人活動 self-advocacy を“自分がこうしたいと思うような生活が送れるよう自分の意見をはっきりと言うこと”と規定し、本人活動を理解し実践するための学習をマニュアル化している。本人参加・本人活動は、「知的障害者」が自らの生活をよりよくしていくための自己決定の実践であるとともに、そういった自己決定の能力をつけていくための学習実践でもある。
 障害者青年学級における自主運営への働きかけは、この意味で優れた本人参加の機会をつくっている。本人参加を段階を追って側面から援助していくスタッフや行政職員、また自己決定したことを試行錯誤の上で形にしていく場の存在は、「知的障害者」にとって貴重な場である。「障害者青年学級スタッフ調査」においても、“受講生の意欲、自主性を引き出せるようなアドバイス”が課題として挙げられている。また例えば、保谷市の障害者青年学級には、本人参加を重視するクラスがある。“自分たちはどのような活動をしたらよいか、から始まり、自分たちにとって青年学級とは何かということに到るまで、「話合い学習」が行われた。その中で、「主体は自分たちだ」ということをはっきり主張し、準備期間をしっかり持ちながら、自分たちの活動計画を立てたのである。”(小林、1996、p.98)また、墨田区の障害者青年学級では、1990年度から学級生の代表によって構成される運営委員会を発足させている。司会や書記は学級生が輪番で行ない、それを担当講師がサポートし、“すみだ教室の活動を受講生が自分たちのものとして受けとめるように自覚を促すと共に、自主性を伸ばし、自発的活動を高め”ることをねらいとする(墨田区教委区委員会、1994、p.31)。
 「知的障害者」の本人参加・本人活動は、障害の種類や重さ、生活経験などによって、レベルの差が著しい。したがって、「自主性、自発性」などの達成度によって、実践の優劣を判断するわけにはいかない。むしろ、こういった活動は、その人なりの方法を確立し、その正当性を承認するというところに重要性があると考えることもできる。「自主性や自発性、自己決定能力を獲得する」という課題は、社会への適応としての側面をもつが、それとは逆に自分らしいあり方(生き方、考え方、行動のペースやパターンなど)を追究し主張していくという側面ももちえる(カリフォルニア・ピープルファースト、1998)。「障害学」などに見られる現在の言論の動向のように、障害のアイデンティティ、「障害文化」といったことをテーマとするなら、「知的障害者」の場合、後者の側面に焦点を当てたこのような活動にこそ注目していかなければならない。この側面は、〈システムの組織化機能〉を担う社会教育のうち、「知的障害者」に対して働きかけるもののカテゴリー(第2章の枠組みにおける第一象限)に含まれる。

d. 余暇活動の質を追求するプログラム
 音楽療法を作業所の活動の中に取り入れている「みんなの家」(東京都小平市)、乗馬療法に力をいれている「コロニー雲仙」(長崎県)、アートセラピストの養成機関の設立(東京都)など、さまざまな「療法」が活用されるようになってきている。これらは、余暇・文化・学習活動と療育とが組み合わさった活動であり、楽しんだり関心をもったりするといった本人の要求と、〈「知的障害者」の適応機能〉に対する保護者をはじめとする周囲の人々の要求とが噛み合って発展してきたのだといってよい。
 自己実現的な活動を伴った訓練(療育)を行うという発想は、障害者青年学級にも応用可能であろう。高い専門性をもったセラピストを活用することで、障害者青年学級のプログラムはより高度な目標を掲げることができるだろう。そのために、「知的障害者」の活動に対して深い理解を持ったセラピストが養成されることは望ましい。
 しかし、障害者青年学級におけるセラピストの位置づけが高くなりすぎると、「知的障害者」の囲い込みという要素が出現しやすくなり、〈システムの組織化機能〉が発現しにくくなるということも考慮しなければならない。また、必要な費用の点から考えても、公費支出への一定の制約は免れないだろう。公費によるセラピストの養成と派遣、障害者青年学級を含む各種団体によるセラピスト活用という考え方が合理的と言えるかもしれない。
 障害者青年学級の場合、本来的にセラピー的要素を担ってきた。障害者青年学級の援助者の多くは、「知的障害者」の自己実現と発達との双方を視野に入れたプログラムづくりに取り組んできたと言ってよい。「障害者青年学級スタッフ調査」では、“非常に積み重ねや工夫が必要とされる活動だが、その分目に見えてその成果が参加者や自分達スタッフにも表れるし、さらに楽しさや活動の重要性が増していくという発展性のあるものだという印象を持っている”といった記述も見られる。しかし、それでも障害者青年学級のプログラムにマンネリ化現象を感じる援助者も多く、東京都主催で行われてきた「障害者スタッフ研修会」においては、より質の高い余暇活動を提供するための学習が行われるなどしている(東京都府中青年の家、1996〜98)。
 「知的障害者」の余暇活動という側面だけに着目すると、〈「知的障害者」の適応機能〉への過度な傾斜となるが、余暇活動を通して援助者もまた自己実現の機会を得て、そのことが「知的障害者」と援助者の関係性に新たな局面をもたらす。「知的障害者」の社会教育事業における質の高い余暇活動は、単に「知的障害者」の自己実現や発達にのみ焦点化するのではなく、「知的障害者」と援助者との関係性の新たな展開を媒介する契機としての〈システムの組織化機能〉を担う活動として考えられる必要がある。

e. 関係づくりを促進するプログラム
 「知的障害者」どうしの仲間づくりは、障害者青年学級の一般的な柱となっている。仲間と活動日ごとに会って励まし合うこと自体が、障害者青年学級の重要な意義となっている。ひとつの障害者青年学級内だけではなく、学級どうしの交流によって、より広い仲間づくりの輪をつくる試みもなされている。こういった仲間づくりによって、被抑圧状況にある「知的障害者」が孤立することを回避するという機能が生じる。仲間との支え合いが「知的障害者」の社会への適応を容易にするという意味で、これは〈「知的障害者」の適応機能〉である。しかし、この連帯を通して、「知的障害者」としての自分らしさの承認やそれをもとにした社会への働きかけなどへと発展していく可能性もあり、〈システムの組織化機能〉を潜在的に有していると言えよう。
 現在、関係づくりに関して課題となっているのは、「知的障害者」の社会教育が地域に開かれた形で行なうことができるか、という点である。「障害者青年学級スタッフ調査」においても、“青年学級の世界ではせまいという感じがする。どんどん地域の人とつながるようなものになってほしいとおもいます。”“地域にもっと開かれ、地域の共同体づくりの一翼を担える場になればと思う。”といった声が聞こえる。
 障害者青年学級を地域に開いていく手法として、発表会方式をとるところが多い。一年間の活動のまとめとして、演劇や合唱などの練習の成果を発表するのが一般的である。
 また、障害者青年学級の日常的な活動に、多様な地域団体を巻き込んでいこうとする動きもある。埼玉県上福岡市の障害者青年学級では、地域のそば、中華料理、和菓子などの店舗から、料理教室の講師を招いている。このプログラムの結果、地域に障害者青年学級の存在を知らしめるばかりでなく、学級生が地域の店舗に出入りをする契機となり、地域の中に「知的障害者」の行き場ができた(小林、1998、pp.79-92)。
 「知的障害者」の社会教育事業における関係づくりには、関係の接点となる場や人の役割が重要である。国立市公民館の中には、「障害者と健常者がともに働く」モデルとして1981年に創業した喫茶店「わいがや」がある。この喫茶店は、「知的障害者」や障害をもたない青年の学習の場であるとともに、“喫茶店を訪れた市民の方々はそこで働く障害者の青年との直接、間接の交流を通して「障害」を理解していく”という意味が込められた出会いの場として構想された(平林、1987、pp.130-1)。
 関係づくりを促進するプログラムによって、〈「知的障害者」の適応機能〉ばかりでなく〈システムの組織化機能〉が発揮されるためには、出会いの場、関係づくりを促すものや活動、関係づくりをコーディネイトする人といった要素を有機的に連関させることが必要である。

2 障害者青年学級の援助者
a. 援助者のモチベーション
「知的障害者」の社会教育を支えている人々が、どのような活動を行ない、どのような問題意識をもっているのか、障害者青年学級の援助者を例にとって見ておこう。
 「障害者青年学級スタッフ調査」では、障害者青年学級に関わっている援助者のモチベーションが、@楽しいこと、A「知的障害者」の生活に対する問題意識、という二層に分かれている。@楽しいことをモチベーションとしている人の回答としては、例えば“とても明るく元気で楽しいところだと思っています。行けばいつでも私にパワーを与えてくれる所です。”“私のように楽しいことがいちばん大切だと思っていてはいけない感じ。「青年の主体性」はもちろん大事ですが、「余暇活動の保障」という名目なら、あまり難しすぎることをいわないほうが良いのに。”などがある。こういった楽しさをモチベーションとする動きに対する批判もある。例えば、“何か目標のようなものを持って、活動していくものなのだろうか?それとも楽しい場としての活動のみでいいのだろうか?”といった問いかけがなされ、“問題意識が低すぎるスタッフの存在”に対する苛立ちの声も聞かれる。
 他方、A「知的障害者」の生活に対する問題意識は、さらに1)学級生の自立への関心、2)「障害者」が自然に暮らせるまちづくりへの関心に分かれる。1)学級生の自立への関心としては、“学級生の考えや、生き方に対する希望などを、彼らから引き出すにはどうしたら良いか、それを知ることが出来ると良いのだと考えています。”“学級生が自主的に意見を発表できたり、活動の範囲が広がっていったら良いと思う。”などであり、また2)まちづくりへの関心としては、“学級がなくても市民の一員として暮らせる環境にしたい。”“これからも障害者と地域(の人たち)とのかけ橋として幅広く活動していくべきだと思う。”などである。1)学級性の自立への関心は〈「知的障害者」の適応機能〉に、2)「障害者」が自然に暮らせるまちづくりへの関心は〈システムの組織化機能〉に、それぞれ対応していると言える。
 楽しさと問題意識の両立が重要であることは、言うまでもあるまい。楽しさと笑いが絶えない活動であればこそ、「知的障害者」の問題を一部の人々の問題となる囲い込みを避けることができ、多くの人々を流れの中に巻き込むことができる。しかし、実際には援助者は楽しさだけを求めて活動を行なうわけにはいくまい。活動には、学級生および社会に対する一定の責任が伴うからである。その責任とは、第一に安全に対する責任であり、第二に活動の質に対する責任であり、第三に学級生の自立に対する責任であり、第四に「知的障害者」に接することによって生ずる地域・社会の改善に対する責任である。これらの責任が、障害者青年学級に対する公費支出の根拠となっている。

b. 専門性の要請と専門性の相対化
 「知的障害者」の社会教育を支える人々の問題に関しては、専門性に関する議論が大きな論点となる。
 町田市の障害者青年学級は、専門性へのこだわりをもつ代表的な例であろう。当初から、“担当スタッフを「ボランティア依頼を」という行政の体質から、「障害が重ければ重いほど専門的力量をもつ」スタッフと新鮮な文化への出会いが必要であるということなどを自治体の中に位置づかせること”(大石、1975、p.45)を課題としていた。現在でも、月2回のスタッフ会、月1回の学習会、その他にも学級活動で生じる諸問題を論議する各種委員会をもち、より質の高い学級活動を展開をめざして、援助者を育成している。また援助者には、こうした質の高い活動を保障する責任に対して、報酬が支払われる(大石、1995、p.335-6)。
 他方、国立市の障害者青年学級は、障害をもつ青年ともたない青年との対等性を強調するところから出発している。
“心身に障害をもつ若者が、さまざまな若者との交流をはかる機会としての青年学級は障害をもつ人たちにとって不可欠であると同時に、障害をもたない人たちにとっても大きな意味をもつ。それは障害をもつ人たちも、もたない人たちも同じ市民として、ともに支えあって生きているからである。したがって「心身障害」とは他人の問題ではなく、すべての人のそれぞれの問題であることを理解する機会として重要である。また、そこに集う若者のあいだに「教える者」−「教えられる者」「障害者」−「健常者」等のような上下関係や差別があってはならない。”(国立市公民館運営審議会答申、1977)
 このような理念に基づいてつくられた障害者青年学級では、専門家であることよりも仲間であることのほうに力点が置かれた。援助者の文章に次のようなものがある。
“一年前、障青(障害者青年学級のこと=筆者)のスタートと同時に作業所の就職が決まり、「指導員」の職についた。……その後の一年は「仲間」としての私と、「作業所指導員」としての私との二つが、自分の中で割りきれないままに過ごした一年間であった。……私にとって、コーヒーハウス(障害者青年学級の下地となっているたまり場=筆者)や障青は、網谷道穂という個人で参加してきた。そこには「指導者以前」からの「仲間」としてのつきあいや、活動があったからであるし、コーヒーハウスは「仲間として」というのが、根本の柱であったからである。”(国立市公民館、1981、p.71)
 町田の場合には、活動の質の高さを追求することによって、援助者に専門性が要求されるのに対して、国立の場合には、障害をもつ人ともたない人との関わりの質を問うことによって、援助者の非専門性をむしろ重視する。「知的障害者」の社会教育の機能との関連で考えると、町田と国立の相違は、人間形成に重点を置くことから生じる専門性の要請と、「知的障害者」の生活の質を高めるシステムの組織化に重点をおくことから生じる専門性の相対化という立場の違いを含んでいるのだと言えよう。
 ところで、「知的障害者」にとって、〈「知的障害者」の適応機能〉と〈システムの組織化機能〉、この二つの社会教育の機能が共に必要なものであるとするなら、町田式の専門性の要請と、国立式の専門性の相対化とは、相補関係にあることになる。町田の障害者青年学級にとってみれば、「知的障害者」の生活の質を高めるシステムの組織化の機能を果たす場が身近にあるか、あるいはそのような機能を自らが担うために専門性の相対化(一般市民としての援助者の関わり)が必要である。また、国立の障害者青年学級にとってみれば、「知的障害者」の人間形成の機能をもつ場が身近にあるか、あるいはそのような機能を自らになうために援助者に専門性が要求されることになる。実際には、それぞれの障害者青年学級で、比重の偏りはあるにせよ、援助者に専門性と市民性の双方を求められているといってよかろう。それは、社会教育の機能の担い手が多様化してきているとはいえ、いまだに「知的障害者」がそれらを自由に選択して関わることができるほどには十分ではないからである。理念としては国立式と町田式といったよう二分化しているにしても、現実には、多くの障害者青年学級の援助者にはこの二つの役割が期待されていると言ってよい。しかし、後述するように、この二つの役割を一人一人の援助者に求めることは、「知的障害者」の社会教育事業がもつ矛盾を援助者に集中させることでもある。

c. 援助者の組織の問題
 次に、運営体制に関する問題意識である。
 まず、「障害者青年学級スタッフ調査」において、援助者不足とそれに伴った援助者の過重負担に関する回答が多い。“障害者の参加人数は増加する一方で、スタッフ数は変わらない。”などであり、“非常にスタッフにとってはハードなスケジュールになり、忙しさが拡大していく”事態につながっている。その半面、行政職員が援助者の自主性を制限する局面も見られる。“担当職員が基本的役割を果たしていないと思う。協力スタッフの意見を積極的にとり入れず、一方的な決定(職員側の)がしばしばある。”などである。まさに、「障害者にはボランティアを」という「安上がり行政」に対する批判が、そのままあてはまる状況が実在するわけである。
 障害者青年学級によっては講師を置いているところもあるが、援助者と講師との役割分担の不明確さを問題にしている回答もあった。援助者を講師の助手として利用するというスタンスは払拭されなければならない。その上で、講師には専門性を、援助者には市民性を求めるという理念が自然であろう。
 その一方で行政職員による教育的な配慮に対する援助者の反発の声も聞かれる。“社会教育の理念を押しとおそうとする部分があるが、それでは運営上無理な時もある。理念と現実のギャップといえる。はっきりいって学級活動の中のボランティアの役割、活動内容を社会教育の理念にそって位置づけるのは、現実にムリがある。”などである。そもそも障害者青年学級が、〈「知的障害者」の適応機能〉と〈システムの組織化機能〉という、本来は分化するべき二つの機能を担い、その負担を援助者が全面的に負っているという構図に、制約があるのかもしれない。そうだとすると、障害者青年学級には、@多様な機能を担うだけの力量を持った援助者集団の形成か、あるいはA機能の多様さに対応する分化したシステムづくりが求められていると言えよう。
 こうした問題に対して、松友了は次のように述べている。障害を持つ市民の学習・文化・余暇活動の現在の課題は、専門家によって支えられた質の高い活動を保障するNPOの存在と、それを支える財政的条件としての公的保障である、と(小林、1998、pp.10-20)。すなわち、NPOには自律的で専門的な集団としての力量を、また行政にはこれらのNPOに対する財政基盤の保障を期待している。
 しかし、専門家を一面的に要請することは、人と人との分断、ここでは「知的障害者」とその他の一般市民との間の分断を帰結するのではないかという疑問がある。ボランティアに“死をも覚悟しなければならないというところまで行かないまでも、相当な覚悟と自覚が求められる”というのは一面の真理ではあっても、すべてのボランティアに求めるべきことではない。専門的な関わりから軽薄な関わりまで、なだらかな曲線を描くような関係形成が望まれるのではないだろうか。松友のプランは、〈「知的障害者」の適応機能〉に焦点をあわせたときに導かれる結論であり、〈システムの組織化機能〉を視野に含めると、異なるプランと組み合わされる必要があろう。
 いずれにしても、「知的障害者」の社会教育の機能を担う人々や機関が、いまだに多様性がいまだに充分でないという問題が、「知的障害者」の社会教育を支える人々の現在の活動を大きく制約しているのだと言える。したがって、社会に多様な「知的障害者」の社会教育を担う機関が広がるような働きかけ、財政面での援助を中心とした制度づくりが必要であることは間違いない。

d. 援助者の学習
 ここまで見てきたように、障害者青年学級においては、「知的障害者」の社会教育を支える人々の学習が本質的な位置を占めている。しかも、本質的な位置づけをもつ援助者の学習とは、単に障害者青年学級の活動を充実するための力量の向上だけを意味するのではなく、〈システムの組織化機能〉を担う学習である。そのような学習は、具体的には次の4点に整理することができよう。
 第一に「知的障害者」と関係を形成し、その生き方を知ることである。「障害者青年学級スタッフ調査」での次のような記述がこれを代表している。“参加する前は、障害者に対するイメージ(暗い、怖いなど)や一種の偏見のようなものがあったが、会に参加してその考えが一掃された。障害者も私たちと同じで、より身近に感じられるようになり、自然に接することができるようになったと思う。”また、“日常の生活の一部でなく全般的な生活面を考えること”を課題として挙げる回答も見られた。
 第二に「知的障害者」のための活動から自分ための活動へといった、活動に対する意識の変容である。“他人のために……とか、少しは善いことをしたい……などという考えも持っていた気がするが、今では自分のためにこの仕事をしたい、又は自分が、この仕事が好きだから、に変わった”(「障害者青年学級スタッフ調査」)
 第三に自らの「健常性」を反省的に考察し、認識や行動を変容させることである。“自分とは違った世界を持っている人、違う価値観をもつ人もいるのだと考えられるようになった。”“自分の個性についても見なおし、自分自身でそれを認めて大事にしていこうと思うようになった。今まで「人より劣る」と感じていた部分についても大らかになれたことで嬉しく思っている。”(「障害者青年学級スタッフ調査」)
 第四に「知的障害者」を取り巻く社会の歪みを知り、その現実に対して働きかけを行うことである。“まちづくりにおける市民の重要性、障害者と一般市民がともに力を合わせすすむことの重要性に気づいた”“私自身、障害者に対して少し理解が深まったと思いますし、障害者に対して偏見を持っている人に自分の体験をもとにした説明ができるようになりました。”(「障害者青年学級スタッフ調査」)
 このように、「知的障害者」の社会教育事業において、援助者の学習が〈システムの組織化機能〉を潜在的にもっていることを指摘できる。しかし同時に、援助者の学習は、ここまで言及してこなかったもうひとつの機能をも潜在的に担っている。それは第二章で述べた軸の第三象限、問題解決の主体を社会に置きながら、問題解決の方向性としては「知的障害者」の社会への適応が焦点となる機能である。すなわち、問題の根元を「知的障害者」個々人の不適応として捉え、それに対して社会が援助するという発想であり、慈善活動などがその典型となる機能である(Oliver、1996、pp.22-6)。こういった機能を本論では、〈慈善行為促進機能〉と呼んでおこう。
 援助者の学習は、この〈慈善行為促進機能〉を潜在的にもっていると言うこともできるのである。典型的には、援助者として関わりながら、「知的障害者」を不適応な「かわいそうな存在」と捉える一方で、自らの行為をその「かわいそうな存在」を助ける善行として自覚するといったことが起こりえる。障害者青年学級などの「知的障害者」の社会教育事業においては、援助者の学習に〈慈善行為促進機能〉という負の側面があることも、冷静に捉える必要がある。

W 「知的障害者」の社会教育に対する公費支出の意義と限界

 第二章でみたように、「知的障害者」の社会教育事業は、〈「知的障害者」の適応機能〉を担うものとして生まれ、これに〈システムの組織化機能〉が付加されて発展してきたと言える。この発展過程において、公費支出の根拠を専ら機会均等によって説明していたところから、公共的課題としても説明しなければならない段階に達している。
 しかし、第三章では、〈「知的障害者」の適応機能〉と〈システムの組織化機能〉との双方が実質的に期待されるようになってきていることによって、現在の「知的障害者」の社会教育事業は飽和状態に近づいていることも示された。「知的障害者」の社会教育事業に期待される機能の多元化とそれに対応するための財や人の不足という矛盾は、今後いっそう深刻になることが予測される。だとすると課題として現れるのは、機能分化、公費支出の方法などを含めた「知的障害者」の社会教育システムの再編であろう。
 例えば次のような社会教育システムを構想することが可能だろう。
1) 公費支出によって社会教育職員が関わって行う「知的障害者」の社会教育事業は、〈システムの組織化機能〉を説明原理とする。
2) 〈「知的障害者」の適応機能〉については、民間団体が行い、民間団体の指導者や利用可能な専門家の養成、助成金の交付などの民間団体育成を公費によって行う。
 こうした構想の根拠として、民間団体が担い手となった「知的障害者」の社会教育への多様な取り組みが萌芽を見せ始めているということがある。特に1990年代に入って、学校週五日制への移行などを契機として組織化された民間団体は、「知的障害者」の保護者や大学のサークルなどを中心として活発な動きを見せているものが多い。これらの団体の中には、専従職員を雇って日常的なプログラムを提供しているものや、町中に活動拠点を確保して、学童保育やレスパイトケア、宿泊体験プログラムなども併せて提供しているもの、「知的障害者」が各種の文化活動に選択的に取り組めるシステムを構築しつつあるものなど2)、ユニークな活動を認めることができる。また、「知的障害者」を対象とした通所施設の多くでも、クラブ活動やボランティアとの交流などを通して、文化活動や学習活動、レクリエーションや仲間づくりなどが盛んに行なわれるようになってきた。多くの施設は、ノーマライゼーションの理念に基づいて、「知的障害者」の生活を社会に開かれたものにしていくことを志し、また、通所者の障害が重度化していく傾向の中で、訓練や作業とレクリエーション・スポーツや文化的な活動とを組み合わせたプログラムが盛んに行なわれるようになってきた。
 これらの民間団体の多くは、比較的少人数の「知的障害者」を対象として、一人一人のニーズに即したきめ細かい活動を展開しているという特徴を共有している。これらの活動は、少人数であるために「知的障害者」と援助者との密度の濃い関係と時間が保障されており、「知的障害者」個々人の状態に適した活動によって〈「知的障害者」の適応機能〉を担いやすい環境にある傾向にある。だとすれば、公費支出はこの機能を担いえる民間団体の育成や活動援助に対して行われることが効率的であると言えよう。
 他方、「知的障害者」の社会教育事業においては、対象となる「知的障害者」の人数、活動日数や時間、援助者の性質などの点から、「知的障害者」と援助者との間に密接な関係を構築しにくい傾向にある。〈「知的障害者」の適応機能〉にとってこの傾向はデメリットであるが、逆に〈システムの組織化機能〉にとって「知的障害者」と援助者との間の一定の距離には意味がありえる。この距離は、「知的障害者」がもつ社会関係の広がりと反比例すると仮定することができるからである。すなわち、一握りの「関係者」との密接な関係によって「知的障害者」が囲い込まれてしまうのではなく、「知的障害者」を視野に入れて生活を営むことのできる市民の広がりが、関係の浅さに反映されると考えることができる。「知的障害者」と活動や時間を共有し、「知的障害者」が抱える問題やその生き方と接する主体的な取り組みの中で、自らの価値観やライフスタイルを脱中心化することのできるようになった市民は、「知的障害者」の生活の質を間接的に高めるシステムの組織化に参加していると言いえる。「知的障害者」の社会教育事業は、このようなシステムの組織化に参加する市民を増やしていくことにレゾンデートルを求めることができるだろう。
 さて、以上のように「知的障害者」の社会教育事業の意義と限界を整理してきたが、従来の「知的障害者」の社会教育事業でもっとも欠如してきた視点の中に、地域格差の是正および病院における活動に対するものがある。
 「知的障害者」の社会教育事業は、ほぼ例外なく都市部において展開されてきた。しかし、「知的障害者」の社会教育ニーズは都市部のみに集中しているわけではあるまい。むしろ、伝統的な農村共同体の崩壊やライフスタイルや価値観の都市化によって、農村部の「知的障害者」の孤立は都市部よりも深刻であるかもしれない。
 また、病院に入院している「知的障害者」の生活の質に関して言及されることは稀である。医療現場の権威主義や縦割り行政の弊害などはあるものの、国立療養所兵庫中央病院の「たけのこ学級」(筋ジストロフィー患者に対する社会教育事業)のように、入院患者を対象とした社会教育事業も存在する。病院を社会化し、入院している「知的障害者」の生活の質を高めるために社会教育を保障することは、行政の取り組みとして優先順位の高いものとして考えることもできよう。
 医療現場における社会教育保障が進展してこなかった理由を考えると、その根幹に社会の中心とその中心を逸脱した周縁との二重構造を捉えることができよう。社会の中心から逸脱した人々は、その逸脱の原因を何らかの欠如(障害の場合は機能障害 impairment)に求められる、したがって、その人々が社会の中心に戻ってくるためには、まずその欠如が「回復」されなければならない、とする一般化された観念である。この観念に依拠すれば、社会の中心から逸脱した人々のニーズは、まず欠如の「回復」にあり、それが達成された後にはじめてその他の諸々のニーズが問題にされることになろう。「知的障害者」の社会教育ニーズは、社会の中心に近い人々のニーズほど問題にされるが、社会の中心から遠い人々のものは関心の対象になりにくいという構造をもっていると言うことができよう。この構造は、医療と社会との関係だけにとどまらない。例えば在宅の「知的障害者」であっても、重度の「知的障害者」ほど私的空間に閉じこめられる傾向にあり、障害者青年学級なども一般にこの傾向に寄りかかってきた。
 本論で〈システムの組織化機能〉と呼んできたものに、このような一般化された観念の脱構築をも含んでいる。一般化された観念の脱構築がどのような内実を持っているのかといったことの考察は他の論文に委ねる(津田、2000)が、「知的障害者」をめぐる一般化された観念の問題と「知的障害者」の社会教育システムの問題とが、きわめて密接に連関していることを、最後に確認しておきたい。

1) この報告書は、行政担当者を通じて394名の障害者青年学級の援助者に配られ、158名から回答 を得た(回収率40.1%)アンケートをもとにしている。回答を得た援助者の属性であるが、性別 では女性が60%を越した。年齢では20代だけで半数近い数になったが、それ以外は10代から60 歳以上までほぼ均等であった。職業では学生が約30%であった他は、会社員、アルバイト、主婦、 教員、障害者施設職員など、多様であった。
2) 東京都豊島区の「ゆきわりそう」は、“お年寄りや障害児・者を「共に生きる生活者」として、 家族の方々とも協力しながら、心身共に安らぎ、明日からの生活に対する活力を引き出すためのリ フレッシュの場づくりをめざして運営されるケア付き短期アパートです。”生活訓練や水泳教室、 英会話、音楽教室、絵画教室などの定期教室の他、通所訓練施設、通所授産施設、デイケア、ショ ートステイ、グループホームなど、多角的な経営を行なっている都市型NPOである(姥山、1991)。 また、学校週五日制に対応する余暇活動の提供から始まり、遊び場づくり、ファミリーサポート、 ショートステイなどの事業を展開しているNPOもあり、この種の活動は、近年になって多様な広 がりを見せている(放課後連、1998)。さらに、神戸市を中心に活動を展開している「ひまわり」 などのように、「知的障害児者」の文化活動の機会として、水泳、言語指導、サッカー、音楽療法、 その他のレクリエーション活動や地域交流活動といった、多様なプログラムを提供しているものも ある。もともと「知的障害児」の親が、子どもの学校外での活動の場の貧困を問題としたことから 始まった団体であるが、多様なニーズに応えるさまざまな活動を展開し、地域的にも分化してきて いる(ひまわり、1995〜2000)。

引用文献

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