ルーマニアの歴史

古代ルーマニアの建国
101〜106年 トラヤヌス帝がドナウ以北に国家を築いてダチア人を支配下に置く。
2〜3世紀 西ゴート人が侵入。
271年 アウレリアヌス帝はダチア地方から撤収。

1330年 アルジェシュ地方のクネズであったバサラブがハンガリー遠征軍をポサダの戦いで破り、ワラキア公国の独立を達成。
1359年 ボグダンがハンガリー軍を破りモルドヴァ公国成立。

オスマン帝国の勢力拡大
16世紀末にトルコ支配下へ。

ルーマニアの建国
1856年 クリミア戦争後のパリ条約によりロシアは南ベッサラビアをモルドヴァに割譲
1859年 モルドヴァとワラキアの議会はともにアレクサンドル・クザを公に選出し、両公国は、事実上、統一された。
1861年 行政的統一が認められ、翌年には統一政府が設置された。
1866年 立憲君主国となり、ホーエンツォレルン家のカロル1世がルーマニア公となった。また、国名をルーマニアに、国旗を制定した。
1878年 露土戦争後のサン=ステファノ条約により南ベッサラビアを再びロシアに譲り、ルーマニアにはドブルジアの大部分が与えられる。
      ベルリン条約によりルーマニアの完全独立が認められる。
1881年 カロル1世、ルーマニア王国の成立を宣言。
1918年12月1日 トランシルバニアを統合した。ほぼ同時に、ベッサラビアを統合した。

1922〜28年 自由党政権
1928年 民族農民党政権
1930年 カロル2世即位
1940年 ミハイ即位

社会主義時代のルーマニア
1947年12月30日、ルーマニアは人民共和国制を宣言し、王制が廃止された。
1948〜49年 社会主義経済化(生産手段の国有化、農業集団化)
1965年 デジの死後、ニコラエ・チャウシェスクが党第一書記に就任
1974年 チャウシェスク、初代大統領に就任。
1982年 100億ドルを超える対外債務の未払い問題が発生
1989年12月 チャウシェスクが処刑され、社会主義体制は崩壊。