セルビア・モンテネグロ
(2006年3月10日〜13日)
分離のための国民投票が5月に行われるセルビアとモンテネグロへ行きました。

ポドゴリッツァ
モンテネグロの首都、旧ユーゴ時代は指導者にちなみチトーグラードと呼ばれていましたが、1992年に本来の名前に戻されました。人口は約17万人。モンテネグロの人口は67万人です。モンテネグロはラテン語で、モンテネグロ語ではCrna Gora(黒い山)と言います。ロシア語ではチョールナヤ・ゴーラになります。
まずは仕事の写真から。
ミラン・ポポヴィッチモンテネグロ大学法学部教授とモンテネグロ分離問題について面談を行いました。
昼からはミランさんのお兄さん(弟さん?)のミルカ・ポポヴィッチモンテネグロ・ビジネススクール教授から経済状況についての話を聞きました。
ポドゴリッツァ市内の様子です。
これは自由通り(Slobode)。夕方からは歩行者天国になるようです。
St. Petra Cetinjskogo大通りには政府機能が集まっています。
これは大統領府と政府(Ministerstva)。
隣には国立銀行(Narodna Bank)があります。
でもモンテネグロは自国通貨がなく、ユーロがそのまま通用します。国立銀行はいったい何をしているのでしょうか?
Morca川を渡ったところにある共和国府です。
モンテネグロの最後の王様ニコライ1世の像。国立銀行の向かいにあります。 自由通りから南に行ったKralja Nikole通りにある時計台。18世紀のものだそうです。でも時計はありませんでした。
共和国府へ行く統一橋のたもとのMoraca川とRibnica川の合流点にある、ローマ時代に造られた橋と1474年に造られた要塞です。
観光立国になろうと思うなら、もうちょっと整備したら、と思うのですが・・・。数回統一橋を渡ったのですが、気がつきませんでした。朝の散歩をしていて偶然行き当たりました。
最近できたつり橋。
テレビのニュースの背景にも使われていたので、ポドゴリッツァの新名所のようです。
BokeskaかVucdolska

晴れていると可愛いのでしょうが、雨なので残念。
ポドゴリッツァで見つけた風景集。
ミラン・ポポヴィッチ教授の部屋で勧められたチトーの写真つきラキア。どこで売っているのでしょうか?
3月17日にお琴の公演があるという案内看板。
警察は市民に奉仕しています、という看板。これが街中にたくさんあるということは・・・? Mashaという魚料理店で出てきたデザート:マーシャ・コーヒー。甘〜〜いのがお好きの方に超お勧め。
Hotel Crna Goraに泊まりました。 モンテネグロではありませんが、隣国のクロアチアのAdria航空のAirsick bagです。
なんともドイツ語の英語です。
コトル(Kotor)
土曜日。仕事はできないので、ポドゴリッツァから車で2時間ほどの、古代ギリシャ時代から残るコトルの街へ行きました。ここは1667年、1979年の地震に遭い、現在はユネスコの世界遺産に登録されています。
Kotorの案内板です。字を読みたい方は、写真をクリックして下さい。 Njegos通りから街へのメイン・ゲートです。
1602年建造の時計台。 1166年に造られた聖Tripun教会。
地震などのため、今は1667年のものです。
市役所。
聖ルカ教会。
なんと、1195年の建物です。
街の中は中世の狭い路地。今はお店が並んでいます。
街の裏の山にも教会が。
おじさんにはとても登れそうにありません。
城壁沿いの市場。
雨でしたが、とっても元気がありました。
Kotorからポドゴリッツァに戻ってくる途中のとても美しい風景。 本当に黒い山なんだな。
その黒い山の中に、1990年代の反政府系出版所があったため、橋が落とされてしまいました。
ノヴィ・サド
モンテネグロからセルビアへ。日曜日なので、仕事はできないので、ベオグラードから北へ80キロ行った、ボイボディナの中心都市ノヴィ・サドへ行きました。ここは、かつてオーストリア・ハンガリー帝国にありました。
ノヴィ・サドの街の案内図。詳しく見たい人は、写真をクリックして下さい。 地図では北に見えますが、本当は南を流れているドナウ河。
この橋は1999年の爆撃で落とされて、最近復活したところです。
ドナウ河を見張るペトロバラディン要塞。13世紀に造られて、現在のものは1780年のものです。 ここです。
要塞の展望台に立つ時計台。一見3時前に見えますが、実は11時15分です。ドナウ河を航行する船からでも分かりやすいように長針と短針が入れ替わっているそうです。 元に戻って、ノヴィ・サドのメインの自由広場。
自由広場に建つカトリック大聖堂。 ちょうどミサが終わった後で、蛍光灯がついていてとてもきれいに写すことができました。ありがとう。
カトリック大聖堂のステンドグラスですが、教会の中の言葉はほとんどハンガリー語です。ボイボディナがオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったことを感じさせてくれます。
自由広場の教会の向かいの市役所です。
ちょうど3年前に暗殺されたジンジッチの記念集会が開かれていました。
カトリック教会から少しドナウ河よりに歩いたところにあるSaborna正教会。
こちらにもたくさんの人が礼拝に来ていました。
丸い屋根が見えるのがシナゴークです。民族の複雑さを感じさせます。 ノヴィ・サドの本の郊外にメガストアのショッピングセンターがでありました。でかいです。
そして、このショッピングセンターの隣にはMBのビール工場があって、できたての生ビールが飲めるビアホールがあります。
ベオグラード
ベオグラードに着いた時の最大のニュースはミロシェヴィッチがハーグで死去したという話でした。
裁判はもういらないかも。
ベオグラードで一夜明けると雪景色。
またか、という感じ。
ESPI(経済・社会政策研究所)へまず行きました。G17のアドヴァイザリーをしていた、若い、しかし優秀な研究所でした。
CLDS(リベラル民主研究センター)のBoris Begovic教授。経済が専門ですが、幅広く答えてくれました。 SIEPA(セルビア投資・輸出促進庁)です。前回とは場所が変わっています。いつもありがとう。
1999年のNATO爆撃に遭った建物の写真です。その他の観光写真はこちらをどうぞ
誤爆だった、Novi Gradの中国大使館。表からはそうも見えませんが、 横から見ると結構破壊されています。
以下はクネズ・ミロシュ通りの爆撃された建物です。