首都サライェヴォの目抜き通り"Marsala Tita"です。 |
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そのMarsara Titaにあるボスニア・ヘルツェゴヴィナ中央銀行。 |
サライェヴォの旧市街 |
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ミナレット(塔)があるということは、ここにモスクがあることを意味しています。 |
サライェヴォの中心をミリャツカ川が横断しています。 |
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1914年、オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナンド皇太子夫妻がここで殺害され、第1次世界大戦が始まったのでした。 |
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内戦で破壊された建物が今でもそこかしこに残されています。 |
サライェヴォ空港の脇に立つ「トンネル博物館」。 |
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サライェヴォ空港の両側に分断されたボスニア領を連絡するため、トンネルが掘られたものです。 |
トンネル内をこのようなトロッコが走り、物資が運ばれたのでした。 |
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サライェヴォ市内を走る黄色いバスはJICAの無償支援によるものです。バスの横にはJICAのマークとFrom
Japanese Peopleの文字が書かれています。 |
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これがお仕事。コニッチというサライェヴォから車で1時間ほど行った街で開催された国際セミナ−「多民族社会における民主主義と人権[」で報告しました。 |
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ビハチというボスニア=ヘルツエゴヴィナのクロアチア国境に近い街へ移動しました。 |
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ビハチのオープン・マーケット。ものは豊富にありました。 |
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ビハチで泊まったADASというホテル。中はこじんまりと清潔な部屋でした。エレベーターがないので、荷物の多い人は要注意。 |
ビハチの北にあるヴェリカ・クラドゥシャに出かけました。 |
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内戦時は激戦地ということでしたが、既にその面影はほとんどありませんでした。 |
内戦時に色々なことで有名になったアグロ・コメルツの工場です。ヴェリカ・クラドヴィシャで乗ったタクシーのおじさんはこれをえらく自慢してました。 |
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