ボスニア=ヘルツェゴヴィナ
2005年7月12日〜17日

ボスニア=ヘルツェゴヴィナへの出張です。
既に停戦(デイトン合意)から10年経っているのですが・・・

首都サライェヴォの目抜き通り"Marsala Tita"です。 そのMarsara Titaにあるボスニア・ヘルツェゴヴィナ中央銀行。
サライェヴォの旧市街 ミナレット(塔)があるということは、ここにモスクがあることを意味しています。
サライェヴォの中心をミリャツカ川が横断しています。 1914年、オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナンド皇太子夫妻がここで殺害され、第1次世界大戦が始まったのでした。
内戦で破壊された建物が今でもそこかしこに残されています。
サライェヴォ空港の脇に立つ「トンネル博物館」。 サライェヴォ空港の両側に分断されたボスニア領を連絡するため、トンネルが掘られたものです。
トンネル内をこのようなトロッコが走り、物資が運ばれたのでした。
サライェヴォ市内を走る黄色いバスはJICAの無償支援によるものです。バスの横にはJICAのマークとFrom Japanese Peopleの文字が書かれています。 これがお仕事。コニッチというサライェヴォから車で1時間ほど行った街で開催された国際セミナ−「多民族社会における民主主義と人権[」で報告しました。
ビハチというボスニア=ヘルツエゴヴィナのクロアチア国境に近い街へ移動しました。
ビハチのオープン・マーケット。ものは豊富にありました。 ビハチで泊まったADASというホテル。中はこじんまりと清潔な部屋でした。エレベーターがないので、荷物の多い人は要注意。
ビハチの北にあるヴェリカ・クラドゥシャに出かけました。 内戦時は激戦地ということでしたが、既にその面影はほとんどありませんでした。
内戦時に色々なことで有名になったアグロ・コメルツの工場です。ヴェリカ・クラドヴィシャで乗ったタクシーのおじさんはこれをえらく自慢してました。