神戸大学経済経営学会『経済学・経営学学習のために』平成15年度後期号

ロシア・東欧経済論」


吉井昌彦



1.「ロシア・東欧経済論」って何だろう?

「ロシア・東欧経済論。そりゃー、ロシアと東欧の経済のことを教えてくれる講義やろ。」直感的な答えで正しくはあるのですが、正しさの何分の一しか説明していません。ロシア・東欧経済論はいくつかの意味をもった研究領域だからです。
 第一の意味は、この直感的な答え。つまり、ロシアと東欧という地域経済論です。第二の意味は、ロシア・東欧は、10年ほど前まで社会主義の国であったという点です。第三の意味は、これに関係しますが、今は社会主義を捨て市場経済への移行過程にあるという点です。そして第四の意味は、・・・。


2.地域経済論としてのロシア・東欧経済論

 ロシア・東欧経済論は、ロシアと東欧という地域にある国々の経済を学ぶ講義なのですが、いくつかの注釈が必要です。
 まず、199112月までソヴィエト社会主義共和国連邦という国がありました。ロシアは、面積でその76%、人口でおよそ50%を占めるソ連最大の連邦構成共和国でしたが、15あった連邦構成共和国の一つにすぎません。ですから、この講義にはロシア以外にもこの14の国々の話が出てきます。その意味では、ロシア経済論ではなく、旧ソ連(あるいはCIS(独立国家共同体))経済論と言うべきなのかもしれません。
 次に、ここで言われている「東欧」は、社会主義国のみを指す政治的な概念だということです。例えば、バルカン半島の南端にあるギリシャですが、社会主義国ではなかった(ない)ため、ロシア・東欧経済論には登場しません。「東欧」の国々は、社会主義ではなくなったので、地理学にしたがった「中・東欧」という呼び方がしだいに一般的になってきています。
 地域経済論を学ぶ上で一つ重要なことは、経済はその地域に暮らす人々の社会、文化、歴史、文学などと非常に深く結びついているため、ある国の経済を深く勉強しようと思ったら、このようなことにもある程度は精通しておかなければならないということです。
 
例えば、ソ連の工業企業の規模はたいへん大きいことが知られていました(平均で8,300人強の労働者が働いていた)。これを経済や経営の面からも説明できますが(溝畑佐登史『ロシア経済・経営システム研究』法律文化社、1996年)、「大きいことはいいことだ」を信奉するロシア人の国民性からも説明することができるでしょう。
 とは言え、ロシア・東欧は(アジアほどではないですが)多様な国々から成っています。なにしろ27も国があるのですから(数年後には28になると言われています)。ここの社会、文化、歴史、文学をを勉強したらOKというものはないのですが。


3.社会主義経済論としてのロシア・東欧経済論

 1917117日、ロシア10月革命によりソ連という世界で初めての社会主義国家が誕生しました。試行錯誤を経て、生産手段の国有と計画による経済管理を基本原則としたソ連型社会主義経済システムが誕生します。
 ソ連は、第2次大戦で大きな被害を受けながらも、連合軍の一員としてドイツに勝利し、東欧地域に社会主義国家圏を広げ、そして第2次大戦後から1950年代まで、日本と同様に、高度経済成長を遂げ、衆目を集めたのでした。この時期、多くの学生が社会主義にあこがれたものでした。
 しかし、1960年代に経済成長率の低下が始まり、その機能不全がしだいに露呈すると、なぜソ連型社会主義経済システムは機能しないのか、機能改善にはどのような政策が必要かという研究が盛んに行われるようになったのでした。
 そして、東欧各国では
1980年代末に社会主義であることをやめ、本家のソ連も1991年末に解体されてしまいました。(中国も、政治では今も共産党による支配が続いていますが、経済では市場経済化が進められています。)今さら社会主義経済システムを習うことに何の意味があるのでしょうか。
 
1に、市場経済移行を学ぶにはその出発点である社会主義経済システムとはどんなものであったのかを知っておく必要があります。世の中は一夜にして変わらないからです。
 
2に、ソ連、東欧以外にも社会主義経済であった国(中国、ベトナム、モンゴルなど)そして今も社会主義経済である国(キューバ、北朝鮮)があります。これらの国々の経済を考える上で、社会主義経済システムがどのようなものであったかを知り、ロシアや東欧での市場経済移行と比較を行うことは有益です。
 第3に、社会主義には多くの人々があこがれた(あるいは今もあこがれている)理念があります。主たる機能する経済システムは市場経済しかなくなった今、一方で多くの人々があこがれた理念を知り、他方でなぜソ連型社会主義経済システムが機能しなかったのかを知ることは、これからの市場経済システムの行方を考えていくために必要であるかもしれません。


4.市場経済移行論としてのロシア・東欧経済論

 繰り返し述べてきたように、ロシア・東欧諸国は社会主義であることをやめました。そして、政治の面では民主化、経済の面では市場経済移行に努めてきました。
 
市場経済移行とは、社会主義計画経済のシステムを市場経済の原則により再編成する、あるいは社会主義時代には存在しなかったシステムを新たに作り出し、これを機能させることを目的としています。つまり国有から私有へ(私有化あるいは民営化)と経済調整機能の計画から市場への転換が行われます。また市場経済移行は、このような経済システムの転換だけでなく、社会のさまざまなシステム改革も必要としています。そして、人々の考え方が変わることも必要です。このように、市場経済移行では非常に広範囲にわたることを比較的短期間に成し遂げることが求められているのです。
 
このうち各国で市場経済システムがどれほどできあがっているのかを、欧州復興開発銀行(EBRD)が毎年モニターしています。これによると、チェコ、ハンガリー、ポーランド、エストニアで市場経済移行が最も進み、その他の中・東欧諸国、そしてCIS諸国が続いています。
 
この市場経済移行過程では様々な問題が起こりました。多くの国で生産が大幅に下落し、その一方で(ハイパー)インフレーションが起こりました。コルナイというハンガリーの経済学者は、これを「転換不況」と名付けましたが、一部の国にとってそれは「転換恐慌」と呼ぶにふさわしいものでした。
 
そして、実質所得の低下、失業の発生、貧富の格差拡大により国民の生活が非常に苦しくなった国もあります。さらに、一部の国では民族紛争の激化や内戦により経済が破綻してしまいました。
 市場経済移行を進めながら、このような問題をいかにして解決するかが市場経済移行の最初の課題です。そして、基本的な市場経済システムへの移行が終わった国にとっては、いかにして先進諸国との競争に伍していける経済力を作り上げるかが次の目標になってきています。市場経済移行の目的とは、社会主義をやめ市場経済システムを創出し、国民の生活を豊かにすることだからです。


5.これからのロシア・東欧経済

 ロシア・東欧経済はこれからどうなるのでしょうか。
 中・東欧諸国についてはその予想は簡単です。1989年に中・東欧諸国で社会主義の崩壊が起きたとき、その最終目的は「欧州への復帰」にありました。それは具体的には欧州連合(EU)への加盟であり、20045月には8つの国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、スロヴェニア)が、民主化の達成や「機能する市場経済の存在」といった基準を満たしているとされて、この夢を果たします。8つの国は、EU加盟により欧州共通市場に参加し、条件が整えば通貨としてユーロを採択すると言われています。つまり、普通の欧州の国となるのです。ルーマニア、ブルガリアは2007年を目標として加盟交渉を続けています。そして、クロアチアも20032月に加盟申請をしました。残された旧ユーゴスラヴィア諸国とアルバニアもいずれこの動きに続くでしょう。
 読みにくいのは、ロシアをはじめとしたCIS諸国です。ロシアを筆頭に市場経済システムの構築が進められています。とりわけロシアでは、プーチン大統領の下で法・経済制度の安定化が図られてきました。しかし、ロシアの輸出の50%以上が鉱物製品・エネルギー商品(石油、天然ガス)で占められていることから分かるように、「機能する市場経済」が存在するとは言えず、先進諸国と伍して競争できる経済が出来上がるにはまだ時間がかかりそうです。
 
またCIS諸国の中には、独立後の混乱の回避、資源あるいはモノカルチャー生産物の独占、国民性などのために、権威主義的な政治・経済がとられ、今後市場経済移行が進展するのか、疑問を持たれている国もあります。
 
いずれにしても、中・東欧諸国はもちろん、ロシアを初めとしたCIS諸国においても、しだいに社会主義の痕跡はなくなっていき、自らにふさわしい市場経済システムが構築されていくことでしょう。そして、今は希薄なこれらの国と日本との経済関係もしだいに強まり、私たちにとってなじみのある国となっていくことでしょう。


主な参考文献


【社会主義経済について】
・A.ノーブ(大野他訳)『ソ連の経済システム』晃洋書房、1986年。
・P.グレゴリー・R.スチュアート『ソ連経済(第3版)』教育社、1987年。
・百々・福田・角村『経済体制論』三和書房、1989年。

【市場経済移行について】
・溝端佐登史・吉井昌彦編著『市場経済移行論』世界思想社、2002年。
・M.ラヴィーニュ(栖原学訳)『移行の経済学』日本評論社、2001年。
・大野健一『市場移行戦略−新経済体制の創造と日本の知的支援』有斐閣、1996年。

【ロシア経済について】
・大野喜久之輔『ロシア市場経済への遠い道−経済改革から体制転換へ−』(神戸大学経済学双書17)有斐閣、1993年。
・小野・岡本・溝端『ロシア経済』世界思想社、1997年。
・二村秀彦・金野雄五・杉浦史和『ロシア経済10年の軌跡』ミネルヴァ書房、2002年。

【東欧経済について】
・小山洋司編著『東欧経済』世界思想社、1998年。
・盛田常夫『体制転換の経済学』新世社、1994年。
・家本博一『ポーランド「脱社会主義」への道−体制内転換から体制転換へ−』名古屋大学出版会、1994年。
・池本修一『体制移行プロセスとチェコ経済』梓出版社、2002年。
・吉井昌彦『ルーマニアにおける市場経済移行の研究』勁草書房、近刊。