国際財政論の中の国際課税論


玉岡 雅之

 今まで財政学の授業で国際財政論という名前で講義を行ってきたことは,余りありません。また,国際財政論といってもその内容は幅広く,各国あるいは各国間の財政制度を扱ったり,国際的な財政政策の効果を扱ったり,あるいはまた税制の協調を扱ったりというように千差万別で,体系だったものはありません。そこで,ここでは国際財政論の中でも比較的研究の進んでいる国際課税論の分野について,簡単に眺めたいと思います。つまり,課税問題を1国の中だけで考えていた場合と,多国間で考えていた場合にどのような差異が生じるかを見ることにします。


I.個人所得税の場合

 まず最初に個人所得税を巡る問題を考えてみます。今,A国とB国の2国があり,A国に居住するaさんは自国(A国)で所得YAAと他国(B国)から所得YBAを得ているとします。ここで下付の最初の記号AやBは所得が発生する国,つまり源泉国を表し,後の記号は所得を得る人の居住国を表します。同様にB国に居住するbさんは自国で所得YBBと他国から所得YABを得ているものとします。もしaさんやbさんがそれぞれ自国で発生する所得(YAA,Ybb)しか得ていなかったとしたら,A国政府やB国政府はそれぞれの国内で発生した所得のYAA,Ybbにしか課税できません。ところが,自国(源泉国)内で他国(居住国)の居住者が発生させた所得について,もし源泉国が課税権を主張したらどうなるでしょうか。考えられるケースは2つあります。相手国(居住国)がその所得に対する課税権を放棄する場合と,課税権を放棄しない場合の2つです。課税権を放棄する場合は,源泉国で生じた所得(例えば,A国で生じたYAAやYAB)は源泉国の税率で課税され,bさんの居住国では課税されません。課税権を放棄しない場合は,YABやYBAなどの2国間を移動する所得についてはA国とB国の双方で課税され,同じ所得について二重課税の問題が生じます。これは国内で発生する所得はすべて課税するという源泉地主義(source principle)と自国の居住者については,国内・国外で発生するあらゆる所得に課税するという居住地主義(residence principle)が競合するために起こります(源泉国が課税権を主張せず,居住国が課税権を放棄すれば当該所得について全く課税がされない課税の空白現象が生じ得ますが,普通はまず起こりません)。この問題をさけるためにはいろいろな方法がありますが,大きく分けて2つの方法が考えられます。1つ目の方法は,居住国側が課税権を放棄する,つまり国外源泉所得については課税しないようにする(これをexemption といいます)と自国外発生所得については二重課税は起こりません(源泉国側が課税権を放棄し,居住国が居住地主義をとっても二重課税は起こりませんが,これも通常は起こりません)。またもう1つの方法は,所得源泉国(他国)の課税権は認めておきながら,居住国で源泉国課税分の税額を調整するというものです。今YABを例に取ってこの税額の調整をみますと,この調整法にも2通りあります。他国の税率をt*,自国の税率をt とし,居住国の税額をTとしますと,

   (1) T=t(YAB-t**YAB)
   (2) T=tYAB-t**YAB=(t−t*)YAB

となり,自国の税額Tと他国の税額T*を合計した総税額TTはそれぞれ,

   (1) TT=t(YAB-t**YAB)+t**YAB={t+t*(1−t)}*YAB   >t*YAB    (2) TT=(t−t*)YAB+t**YAB=t*YAB

となります。(1)は源泉国で支払った税額を居住国の課税ベースから差し引いたケースで,(2) は源泉国で支払った税額を居住国のbさんの全世界所得YABに対してかけられる税から控除したケースです。(2) より,居住地主義の課税の下では,企業の総支払い税額は所得が国内のみで発生した場合と同じで,所得に国内適用税率を乗じたものになっています。ただし,この事実が成り立つためには,(2) において国内税率tが国外税率t*よりも高いことが必要です。もし,tがt*よりも低い場合には,通常の場合,マイナスとなるべき納付税額は居住国政府よりbさんに対して還付されず(T=0),総税額TTはt*YABではなく,t**YABとなります。一方,ケース(1) では総支払い税額TTは全所得を国内で得ていた場合よりも必ず多くなり,bさんからは同じ所得を得ているのに国外で所得を得たばかりに税制上不利な扱いを受けたようにみえます。


II.法人税の場合

 次に法人税を巡る問題点を考えてみます。基本的な枠組みは個人所得税と同じですが,法人税の場合は個人所得税との関係をどう考えるかといった問題が加わってきます。A国にある法人(親会社)がB国にある子会社から所得を得ているとします。もし,A国で古典的な法人税システム,つまり法人段階で課税された利潤の中の個人株主に対する配当分が,個人株主の段階で再び何の調整もされず課税されるようなシステムを採用しているとすると,B国の子会社の利潤がA国にいる株主にA国の親会社を通じて配当として分配されるとき,通常4回の税金がかけられます。1回目はB国での法人税,2回目は利潤をA国に送るときにかけられる源泉徴収税,3回目はA国での親会社に対する法人税,そして4回目はA国の株主に対してかけられる個人所得税です。この問題をやはりA国内だけで所得を得ている他の人と比べることもできますが,ここでは親会社と子会社間の問題を考えることにしましょう。つまり4回の税金のうち,最初の3回の税金を考えますが,簡単化のためにB国での法人税と,A国での法人税のみを考えることにします。

 最近,高い国内の税金のために企業が海外に逃げていくといったことがよく言われています。企業にとっての関心事は国内で活動するのと国外で活動するのとどちらがより収益があがるかということで,その収益に税制がどう影響を与えているかということです。この点を見るために上の個人所得税の場合と同じように次のような簡単なケースを考えてみましょう。今,A国にいる法人が自国で投資するか,B国にいる子会社に投資をするかを考えていることにします。また,B国で生じた収益はすべてA国に送るものとし,A国での収益率はrで,B国での収益率はrであるとします。もし,両国に法人税がなければ,この法人は収益率の高い国に投資をするでしょう。収益率の高い国に投資を続けていくと,やがてその国での収益率は下がってきて,結局は

   (3)r=r

となるまで,投資を続けるでしょう。両国に法人税があって,A国,B国の税率がそれぞれt,tであるとします。すると,税引後の収益率はそれぞれ,(1−t)r,(1−t)rとなりますが,やはりここでも課税権の問題が生じてきます。イ.もしA国の側でB国で課された法人税が全然考慮されないとすると(上述の個人所得税における外国支払い税額を自国の課税ベースから控除する場合に対応),B国から送られてきた収益のA国における課税後の収益率は(1−t)(1−t)rとなります。ロ.B国で支払った法人税を考慮する場合(上述の個人所得税における税額控除の場合に対応),総支払い税額が(t-t)r+tr=trなので,(1−t)rになります。また,ハ.B国が課税権を放棄すると,収益率はやはり(1−t)rとなります。


III.国際課税における効率性と公平性

 経済学ではよく効率性と公平性を基準にして色々な問題を考えていきます。上の問題も効率性や公平性といった基準から考えることができます。ここではまず最初に効率性という観点から上の問題を考えることにします。法人税を巡る問題で(3)式の意味することは何でしょうか。自国か他国のどちらかの収益率が高いとき,企業は高い収益率の国の方に投資すると考えられますから,限界的な投資1単位のもたらす収益率が両国で等しくなるとき,その企業が得られる収益は最大になります。国際課税論の用語で言うと,(3)式が意味するのは世界所得の最大化あるいは世界的効率性の達成です。(3)式が成立するように資本を割り振れば一番効率的だということです。ここで前節のロのケース,源泉国で支払った法人税を居住国において考慮する場合を見ると,居住国での税引後の収益率は(1−t)rとなり,海外投資の居住国での税引後の収益率は(1−t)rになるので,企業が税引後の収益率を見て投資決定をする場合は,(1−t)r=(1−t)rになるように資本を割り振ります。ところが,この式の両辺は(1−t)で共通ですので,結局r=rとなって,法人税のない場合と同じ条件になります。つまり,居住国側で源泉国で支払った法人税をフルで税額控除できる場合には,その企業にとって世界的な効率性が達成できるということを意味します。すなわち,どこの国に投資しても居住国の側で源泉国側の税をフルに控除できるなら,企業は投資国決定に関して無差別でいられるわけです。このことを国際課税論の用語で「資本輸出の中立性」(CEN,capital export neutrality)が達成されていると言います。税制が投資国決定に関与しないということを意味します。ここでもやはり注意すべきことは,源泉国側で支払った法人税額が同じ所得を居住国内で得たときにかかる法人税額よりも多いときでも,税額控除(この場合は還付)してもらえるのが資本輸出の中立性が成り立つためには必要だということです。実際には,還付までしてもらえるケースはありませんので,このような場合には資本輸出の中立性は成り立ちません。

 資本輸出の中立性と並ぶ概念に「資本輸入の中立性」(CIN,capital import neutrality)があります。資本輸出の中立性は投資先に関して税制が関与しないということを指していたのに対し,資本輸入の中立性は税制がある国に誰が投資しようが関与しないということを指します。つまり,ある国に投資する(当該国を含めた)複数国の企業が同じ法人税率に直面するということです。この資本輸入の中立性が成立するためには,各国が源泉地主義を採用していることが必要です。これは先の資本輸出の中立性が成立するためには,各国が居住地主義を採用していることが必要であるのとちょうど対照的になっています。

 次に公平性について考えます。通常,財政学において公平性が問題とされるのは個人の税負担についてです。例えば,個人所得税における水平的公平性,垂直的公平性などです(これらの考えは授業で説明されます)。これから問題とするのは,個人や法人のレベルの公平性ではなくて,「国家間の公平性」(inter-nation equity)です。個人所得税における公平性とは,異なる個人間での税負担がある一定の基準に照らして公平かどうかを測るものでしたが,国家間の公平性とは国家同士の税負担の公平性を問題にするのではなくて,国際的な経済活動に伴って生じる所得を国家間でどう分配するのがよいか,特に所得源泉国にどれだけの課税権を認めるかを問題とするものです。この問題に先程来述べてきた,源泉地主義と居住地主義の問題が関係してくるのです。例えば,所得の源泉国で所得が100発生した場合に,それに対してその所得を発生させた企業の居住国(先の子会社の例でいえば親会社のある国)がどれ位の税収の取り分を要求できるのでしょうか。源泉国の税率を30%,居住国の税率を50%とします。源泉国が自国内に発生した所得を企業の国籍如何を問わず課税し,居住国が居住地主義に基づいて課税している場合を考えます。このとき源泉国には30の税収,居住国にはもし税額控除法を採用していると20,外国所得控除法を採用していると35の税収が入ります。前者の場合は前にも見たとおり,国際的な二重課税は発生せず,100の所得が居住国ですべて発生した場合と同じ税負担になっているのに対し,後者の場合には企業の税負担は65となって,税負担が50の場合より重くなっています。いずれにしろ,居住国の税収は所得がすべて国内で発生した場合よりも減っており,所得源泉国の税収が源泉国の税率で確保されています。源泉国がこのようにあたかも自国で所得がすべて発生したときのように30の税収すべてを確保できる根拠はどういうものでしょうか。この根拠を巡って様々な理由付けがなされています(以下の理由付けはマスグレイブ夫妻の論文によっています)。第一の考えは便益に基づく課税(benefit taxation)という考えで,企業が源泉国で源泉国政府から様々なサービスを受けているのでそれに対して税金という形で料金を支払うというものです。第二の考えは所得源泉国がもし源泉地主義を採用するなら,それは無差別的(non-discriminatory)でないといけないというものです。源泉国で生じた所得は源泉国の企業であれ,他国の企業であれ同率で課税すれば源泉国の課税権は認められるという考えです。第三の考えはナショナル・レンタルという考えです。他国に進出する企業はその国に進出することによって自国で生産するよりより多くの収益を得ることが期待されるのだから,その収益の一部を他国で生産することのレンタル料として支払うべきだという考えで,このレンタル料が具体的には進出企業に対する課税という形を取るものです。第四の考えは国際間の所得分配という考えで,もし資本輸入国が国民一人当たりの所得が低い国で,資本輸出国がそれが高い国である場合,源泉国である資本輸入国は高い税率を資本輸出国に対して課してもよいというものです。

 源泉国が何らかの根拠に基づいて自国内で発生した所得に対して課税できるとしても居住国との間で何らかの交渉が必要となることもあります。特に現在のヨーロッパのように経済的な統合を考えている国々の間では,それぞれの国が源泉国,居住国双方の立場から,法人税制の中でどの部分をどこまで調和させていけばよいのかを巡ってホットな議論が戦わされています。


IV.結び

 以上,国際課税論の中で個人所得税と法人税を巡る問題点を簡単に見てきましたが,国際課税論にはその他に重要な問題がたくさんあります。一例を挙げると,タックスヘイブンの問題,移転価格税制の問題,多国籍企業の課税を巡る問題,国際間租税競争の問題等があります。いずれの問題も基本的な仕組みの他,具体的な制度を知らないと投げかけられる問題に対してきちんと解答することはできません。国際課税論だけでもこれだけ多くの問題がありますが,国際財政論まで裾野を広げると,比較財政論,開発財政論,経済統合の財政論,二国間(多国間)財政関係論等々数多くの研究・学習分野があります。授業ではこれら多くの分野について触れることはできませんが,興味のある学生諸君は貪欲にこれらの分野の研究・学習を進め,国際社会の中での日本財政の位置づけを考えてみてください。

 (附記)筆者は学生時代,「経済学は何のために,誰のために役に立つか」について大変悩んだことがあります。今回の震災で今一度この問題を考えています。