著作集3 富本憲吉と一枝の近代の家族(上)

はじめに――著作集3の公開に際して

ここに公開する著作集3『富本憲吉と一枝の近代の家族(上)』は、第一部として「出会いから結婚まで」を扱い、次の四章によって構成されています。

 第一章 富本憲吉と尾竹一枝の出会い
 第二章 一枝の進路選択と青鞜社時代
 第三章 憲吉の工芸思想と模索的実践
 第四章 憲吉と一枝の結婚へ向かう道

私が学位請求論文「富本憲吉の学生時代と英国留学――ウィリアム・モリスへの関心形成の過程」を神戸大学に提出したのは、二〇〇八(平成二〇)年一月のことでした。それ以降私の研究は、富本憲吉の家族史へと加速してゆきました。といいますのも、仕事場だけではなく、家族のなかにあって、モリスの思想と実践を富本はどのように導入したのか、あるいは、何か事情があって断念せざるを得なかったのか――その実態を明らかにすることによって、日本におけるモリス受容の最初期の様相を、どうしてもこの目で確かめてみたかったからにほかなりません。著作集3『富本憲吉と一枝の近代の家族(上)』の第一部「出会いから結婚まで」を構成する四つの章において、それへと至る道のりとあわせて、その間の富本憲吉のモリス的実践と、尾竹一枝(紅吉)の「新しい女」としての行動の様子とが一次資料に基づき詳細に描写されています。一見すると「デザイン史」という学問領域の守備範囲から逸脱した感もありますが、近年の英国におけるウィリアム・モリス研究や評伝にみられるような記述の手法に倣い、私も、富本憲吉というひとりのデザイナーの生涯においてともに苦しみ、ともに喜びを分かち合った妻一枝との夫婦の葛藤の内実に迫ってみることにしました。この著作集3『富本憲吉と一枝の近代の家族(上)』を書き上げてしばらくして、私は、二〇一三(平成二五)年三月に神戸大学を定年で退職することになります。その結果、後半の物語は、定年後の仕事として、著作集4『富本憲吉と一枝の近代の家族(下)』の第二部「家庭生活と晩年の離別」へ引き継がれることになってしまいました。


二〇一八年三月一五日
冬を越した阿蘇南郷谷の小さきわが庵にて
中山修一