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京都大学大学院農学研究科池田研究室を訪ねて


 2001109日,著者にとっては古巣の池田篤治先生の研究室(生体機能化学分野)を久方ぶりに訪れた。古巣と言っても,現在の研究室は農学部本館の北西に近年隣接された建物に移っていて,建物の2階の全フロアと3階の一部を占める研究室は広々としており,とても明るいイメージだった。スタッフは池田教授のほかに,著者が学生のころ直接ご指導いただいた角谷忠昭助教授と,当時,博士課程の先輩だった加納健司助教授がおられる。この三人のスタッフの下,博士課程2名,修士課程6名,学部生5名,研修生1名の若い後輩達が,生物電気化学の研究に励んでいる。当日は,学生さんらを交えて三人の先生方にゆっくりとお話をお聞きすることができた。

〈伝 統〉

 池田研究室を一言で表すならば「伝統」ということになろう。すでに70年余の歴史をもち,1925(大正14)年5月に志方益三教授が農学部に林産化学講座を開いたのが始まりである。志方教授はその前に欧州へ留学しており,チェコのヘイロフスキー教授と共同で滴下水銀電極の電流−電位曲線の自動記録装置,ポーラログラフを発明している。この発明によりヘイロフスキー教授はノーベル化学賞(1956年)を受賞したが,志方教授の功績は賞のpresentation speechの中でも明確に述べられている。最近,著者が訪れたプラハのヘイロフスキー研究所の玄関ロビーには,初期のポーラログラフ装置の横に,ヘイロフスキー教授と肩を並べる志方教授の写真が飾られていた。

 志方教授が退官後,館 勇教授(志方教授とともに1956年恩賜賞)が講座を担当し,その後,千田 貢教授(2000年ヘイロフスキー名誉メダル授章)が引き継いで,1992年に池田教授にバトンタッチされた。つまり,池田教授で四代目ということになるが,この間一貫して,ポーラログラフィーを基礎とする電気分析法の基礎研究と,その生化学物質への応用研究が行われてきた。研究室には,日本ポーラログラフ学会の事務局が置かれており,国内での電気分析化学の学術振興の拠点となるとともに,国際的にも東のメッカとして,西のヘイロフスキー研究所とともに,Electroanalytical Chemistryの発展の一翼を担ってきたといえよう。

〈農学部の中で・・・

 このように池田研究室は,輝かしい伝統を持っているが,その伝統は農学というよりも理学の色彩が強いようにも思える。そこで,応用科学である‘農学部’の中で,基礎科学的な伝統をどのように捉えておられるのか,いろいろとご苦労もあろうかと,質問をぶつけてみた。すると池田先生は,「伝統をしっかりと継承しつつ,一方,社会的要請に応えるという目的意識を持っている」と答えられた。続けて,「電気化学と生命科学が歴史的に密接な関係にある」ことを,あのガルバニのカエルの実験を例に挙げて指摘された。確かに,生理学者のガルバニが動物電気説を提唱し,それを批判的に追試したボルタが電池を発見したのだから,電気化学と生命科学は表裏一体の形で発展してきたといえるだろう。だから,電気化学の基礎研究をやることと,生命科学の研究は決して相矛盾することではなく,むしろ相乗効果の方が期待されていいはずだ。池田先生は,「電気化学と生命科学の密接な関係を活かすことにより,生命科学に新しい側面を切り開くことができるだろう」と話された。ただ,生化学分野における生命現象の電気化学的理解の現状については,かなりお寒いとも嘆かれた。

 池田研究室の学会発表や論文に接するたびに思うことだが,いつもきっちりとした研究をされている。そして,生物という,とてつもなく複雑な系を,すっきり単純明快に解いてみせる。「その秘訣は?」と問うてみると,「電極反応の理論は速度論と平衡論から成り,均一系(溶液)と不均一系(電極界面)を総体として取り扱う。ポーラログラフィーの研究を始めて以来,十年,二十年と体に染み付いているんです」とのこと。だから,単なる酵素反応の足し算ではない複雑な生命現象を‘総体’として捉えながら,その中からエッセンスを抽出することができるのだろう。なるほど,伝統の力である。

 これは,一般の分析化学にも通じるのではないだろうか。近年,分析化学者が対峙する現象は,ますます複雑化してきているように思える。その‘複雑系’の中から重要な要素を分離し,検出するためには,広い優れた学問的見識が分析化学者に求められているだろう。加納先生いわく,「検量線を書くだけが分析化学ではない。分析化学はgeneral chemistry−分析化学者は,患者の体の全てを知って診断する内科医でなければならない」と。

〈研究内容〉

 著者が研究室訪問する直前,原稿の執筆のためにと,加納先生が研究室のホームページ(http://www.bapc.kais.kyoto-u.ac.jp)の研究テーマの欄をバージョンアップしてくれた。その中から項目を列挙すると,

(1)バイオ電池(生物の仕組みに立脚したエネルギー変換システム)の構築: バイオ燃料電池/バイオ太陽電池

(2)キノプロテインの特性評価と機能の解明: 補酵素取り込み活性化とその応用/キノプロテインの酸化還元挙動とセミキノンラジカル/脱窒菌のアミン脱水素酵素

(3)糖代謝の内的および外的摂動とその意義: 酵母の嫌気的振動現象/細胞外キノンによる微生物代謝調節

(4)バイオセンサーの構築: H2O2センサ/直接電子移動型バイオセンサー

(5)植物細胞膜酵素系のエネルギー変換機構の解明

これらの研究内容は,ホームページ内に図入りで詳しく説明されているので,そちらをご覧いただくことにして,ここでは最近の二,三のトピックスに焦点を当ててみたい。

 まず,(1)のバイオ電池についてだが,酵素や微生物の触媒機能を利用して,水素を燃料とする燃料電池の開発に成功されている。このバイオ燃料電池は,好気性生物の呼吸鎖での酸化的リン酸化を模倣したもので,高価なNADHを使う代わりに水素を還元剤に用いている。この水素から負極に渡された電子は,正極で酸素に渡されるが,いずれの電極反応も酵素反応との共役系を巧みに利用している。負極では,そのままでは不安定なヒドロゲナーゼを細菌ごと安定な状態で電極に固定化し,一方の正極には,ビリルビンオキシダーゼを固定化している。両極に酵素とともに適当なメディエータを使うと,常温・中性という条件下で,なんと1.17 Vという開回路電圧が達成されている(理論的起電力は1.23 Vである)。

 次に,(2)の項目に関連する最近の注目すべきトピックスとして,新規キノンコファクタ(5番目のキノンコファクタ)とヘムを有するアミン脱水素酵素の発見がある。これは,キノン類の電極反応の研究の過程で,偶然に見出されたとのことであるが,かなりするどい洞察力の賜物だと思われた。なお,この新しいアミン脱水素酵素は,大阪大学産業科学研究所とワシントン大学との共同研究により,すでにアミノ酸配列やX線による三次元構造も明らかにされている。

 最後のトピックスとして,(3)の項目のH2O2センサーを挙げよう。一般に,H2O2の検出にはペルオキシダーゼ(POD)が用いられているが,この酵素は基質特異性が低いので,均一系で反応させると定量妨害が起こりやすい。そこで,ポリ酢酸ビニル膜を用いてPODを電極に固定化することにより,高感度・高選択性なH2O2センサーを開発することに成功されている。その応用例の一つに,「食品中のH2O2の検出」というのがあるが,本来,食品にはH2O2は検出されてはならないはずで,少し気になることではある。詳しくお話をうかがうと,食品中のポリフェノールが空気中の酸素によって酸化(自動酸化)される際にH2O2が生成するのだそうだ。世間では,ポリフェノールが健康にいいと,ブームになっているのに・・・

 ホームページには,最近の発表論文も掲載されている。リストを拝見すると,論文数が多いのに驚かされるだけでなく,J. Org. Chem.J. Phys. Chem. BAnal. Chem.Biochem. J.J. Electroanal. Chem. など,各分野の第一級のジャーナル名がずらりと並び,研究レベルの高さを窺い知ることができる。

 池田先生は,2001年度の日本分析化学会学会賞(研究業績「バイオエレクトロカタリシスに基礎を置く生物電気化学分析法」)をめでたく受賞された。この紙面を借りて,心からお慶び申し上げたい。

〈おわりに〉

 優れた研究のためには,研究者個々の実力はもちろん重要なのだが,学問の伝統を継承することの重要性を,今回の訪問で改めて感じさせられた。国立大学の独立法人化や,教員の任期制の導入に象徴される国の“アメリカナイズ”政策の危うさを憂えざるを得ない。ともあれ,久しぶりに研究室恒例の晩のうたげに参加することができたことは何よりであった。嬉しいことに,かわいい後輩達がご馳走を準備しておいてくれた。特に生春巻は絶品でした! 研究室の皆さんとの楽しいお話と美味しいお酒に,つい時間が経つのを忘れ,あわてて席を立った次第である。

〔神戸大学理学部 大堺 利行


【写真の説明】 上から順番に

・池田研究室の皆さんと
 
前列右から2人目より,加納助教授,池田教授,角谷助教授,および筆者 

・ヘイロフスキー教授と志方益三教授

・バイオ燃料電池の測定装置

・学生さんらと談笑する池田先生(手前)と角谷先生(隣)



ぶんせき,(3), 135-137 (2002) より転載


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