森林技術 8月号 809:2-7(2009.08)より
ナラ枯れ増加から見えてきた「望ましい里山管理」の方向
---枯れる前に資源として使う---
黒田慶子(くろだけいこ)
●はじめに
近年,温暖化防止などの環境保全機能や癒しの効果など,森林への期待が高まっている。健康維持や自然への興味から,ボランティア活動で里山保全に関わる方 々が増加し ,環境税の森林保全への投入も行われている。ところが森林に注目が集まる一方で,里山ではナラ類の集団枯死被害(伝染病。ナラ枯れとも呼ぶ)が拡大し,被 害量も増加している。里山は遠目にはよく茂ってはいるが,病気の大発生という形で不健康な状況が見えるようになったと言える。各地で被害を減らす努力が続 けられており,防除(予防と駆除)について相談を受ける機会が増えた。しかし,防除の考え方の問題や無関心のために手遅れになった場所もある。また,里山 整備によってナラ枯れを助長する場合もあり,現在の保全手法の問題点が明らかになってきた。ここでは,ナラ枯れ発生のメカニズムの概要と被害拡大の背景に ある社会事情を紹介し,里山林を健康に持続させる整備手法について提案したい。
●日本の森林の2大伝染病:ナラ枯れとマツ枯れ
毎年7月後半から10月にかけて,コナラやミズナラ,シイ,カシなどブナ科の樹木が集団で枯れる。これは糸状菌(写真1)による伝染病である。1930年 代から虫害としての記録はあったが,1990年代から被害が継続的になり範囲が広がった(図1)。本州日本海沿岸の大半の県に加えて,近畿および中部地方 や中国地方などで内陸部へと被害が拡大している。
ナラ枯れにやや遅れて,9月から10月には多数のアカマツ・クロマツが枯れる。マツ材線虫病 (マツ枯れ)は約100年前に北米から侵入した病気で,体長約1mmのマツノザイセンチュウが病原体である。被害は北海道と青森県以外で発生し続けてお り,薬剤による防除を中止した場所では被害が増加傾向にある。ナラ枯れと共通の問題があり,別の機会に解説したいと思う。
樹木の伝染病もインフ ルエンザなどと同様に,放置すれば感染被害は広がるが,樹木には徹底した対策が講じられることが極めて少ない。資源と環境維持の観点からは枯死木の徹底駆 除を行うべきであるが,伝染病という認識が薄いことや,「環境汚染が原因」であるといった誤った情報が流布して,担当者が防除に消極的となる傾向がある。
写真1 病原菌Raffaelea quercivoraの顕微鏡写真 写真2 カシノナガキクイムシ 左:雌,右:雄
図1 2007年までにナラ枯れが発生した市町村の分布(黒く塗りつぶした部分)
穿孔のみの被害を含む。2006年以降の被害は完全には反映されていない。高畑義啓原図。
●ナラ枯れの発生メカニズム
病原菌Raffaelea quercivora(学名:ラファエレア・クエルキボーラ)は,大腸菌のような細菌ではなくカビの一種である。体長約5ミリの甲虫カシノナガキクイムシ (写真2)がこの菌を枯死木から生存木へと媒介する。6〜8月,枯死木の中で育った多数の成虫が菌を保持して飛び出し,健康な樹木の幹に穴を開けて孔道 (トンネル)を掘り,菌を感染させ,産卵する。ここで言う「健康な樹木」とは,明らかな衰弱が見られないという意味での健康である。カシノナガキクイムシ は木材を食べるのではなく,孔道内に菌類を繁殖させて食料にする(ナラ枯れでは,病原菌とは別種の菌と推定されている)ので養菌性キクイムシ,あるいはア ンブロシアビートルと呼ばれる
病原菌は樹幹内では孔道を伝って伸長し,辺材を変色させる(写真3)。木部が変色するのは,菌に対する樹木細胞の 防御反応で二次代謝産物が生成したためであるが,菌は孔道を利用して迅速に広がるため,残念ながら防御物質の効果は薄い。変色部位の道管は通水機能を失 う。カシノナガキクイムシの穿入が多い樹木では辺材のほぼ全域が変色するため(写真3),木部樹液の流動(根から吸い上げた水の上昇)が停止する。感染木 は梅雨明け以降に水不足となって枯れはじめる。ただし,菌が数か所に感染した程度では,変色は狭い範囲に留まり,枯死に至ることはまずない。ナラ枯れでは カシノナガキクイムシの穿入密度が枯死を決める重要な要因であるため,ある地域でカシノナガキクイムシの数が著しく増えてしまうと,枯死被害を減らすこと が難しくなる。カシノナガキクイムシは倒木や伐倒して放置した丸太,根株にも穿入して繁殖するので,注意が必要である。
なお,感染・枯死の記録 があるのはブナ科の中でブナ属以外の属の樹木である。ミズナラが最も枯れやすいが,コナラや,シイ・カシ類も枯死する。ミズナラの割合が高い林分では,大 被害になりやすい。ナラ枯れの病名はまだ定まっていない。「ブナ科樹木萎凋病」と呼ばれることもあるが,ブナ属の樹木が枯れないので,ブナ科全体の病気で あるという誤解は避けたい。
写真3 カシノナガキクイムシの集中加害後に葉が変色しはじめたコナラの樹幹断面(8月7日採取)
●ナラ枯れが20年前から増えた理由
ナラ枯れは60年以上前から記録があるが,被害は散発的であった。ところが1990年代以降は,被害は拡大の一途である。カシノナガキクイムシは大径木で 繁殖効率が良く,直径10cm程度以下では繁殖しにくいことが知られており,枯死木は樹齢40~70年の大径木が多い。直径30cmでは数万頭が飛び出す こともあり,枯死木が放置されると翌年には周囲の枯死木を爆発的に増やす。
被害発生地の多くは昔の薪炭林,あるいは天然生林と分類されている場 所である。薪炭林は10~30年の短い周期で伐採が行われ,萌芽から次の世代が繰り返し育てられてきた。ところが1950年代に燃料革命が起こってガスや 灯油が使われるようになると,薪炭林は利用されず放置され,1980年ごろには,利用がほぼゼロになっている(図2)。そのため1990年代にはカシノナ ガキクイムシの繁殖に最適のサイズの樹木が各地に増えていたのである。また燃料革命以前は,枯死木は燃料として価値があり,放置されずに伐倒して使われ た。それでカシノナガキクイムシがうまく駆除され,翌年の被害発生を防ぐことになった。しかし現在は,枯死木は放置されたままである。近年のナラ枯れ増加 は①繁殖(感染)に適した環境の増加と②枯死木放置によると考えられている。1980年代にはマツ枯れが急増したが,その後にコナラやシイ林に変化した場 所も多く,そのような林にもナラ枯れ被害が出ているので今後の動向が心配である。
「地球温暖化がナラ枯れ増加の原因」と言われた時期もあるが,60年以上前に冷涼な地域で発生しており,温度上昇と被害拡大を単純に結びつけることはできない。「それなら枯れても仕方がない」というあきらめに直結しかねないので慎重さが必要である。
図2 薪炭その他の林産物生産量の年次変化
農林水産省の統計資料による。高畑義啓原図。
●里山の林の昔と今後
里 山林は数百年もの長い間,生活に不可欠な資源を生産するために人手を加え続けてきた林である。薪や肥料(緑肥)採取に酷使されていたところも多いようであ る。昔の里山林(薪炭林)は実は背丈の低い樹木ばかりで,今私たちが見ている大木の多い林,マツやナラ類が枯れている林とは景色が異なっていた。1990 年代以降のナラ枯れ増加の背景には,私たちの生活習慣が変わったために起こった「森林の変質(変容)」がある。里山林の多くは「自然に任せて」育ったもの ではないことから,ナラ枯れのような被害を防ぐには,施業履歴や歴史的変遷を認識したうえで対応策を決める必要がある。
さて,1990年代以降 にナラ枯れの進んだ近畿地方の林の調査では,次世代の樹木はソヨゴやヒサカキ,ネジキなどの低木〜亜高木種が多くなり,高木種が育ちにくい傾向がでてい る。東北地方ではナラ枯れ後にヤブツバキが茂り,高木のないヤブになる場所も多いといわれている。ナラ枯れ後の林についても「自然に任せるのが良い」とい う意見があるが,高木種の少ない低質の林に変化する恐れがあるので,回復の経過をきちんと押さえる必要がある。一方,ナラ枯れが発生していない里山林で も,落ち葉や枝の採取がなくなったために林床にチシマネザサなどの植物が茂りすぎ,人が入れないほど枝が絡み合ったところが多くなっている。このような放 置林や下生えのみを処理した里山林では生物多様性が適切に維持されにくく,それに対して定期的に伐採している薪炭林では,様々な樹齢の林がモザイク状にあ るため,多様性が豊かになると報告されている。今の里山林の20年後を想像してみると,はたして環境保全に寄与するような魅力的な森林として持続している だろうか。
里山のマツ林や広葉樹二次林を,「現在は自然に任せている」という意味で「天然林」あるいは「天然生林」に含めたことで,誤解をまねい ているように思う。つまり「天然の林は人手を加えないのが良い」と解釈されることである。里山の整備で高木を残す理由の一つには,樹木の寿命(長寿)に対 する過度な期待も含まれているのではないだろうか。どのような森林でも,伐らずに置くと大木ばかりの素晴らしい天然林になるというのは,実は幻想である。 人手がほとんど入らなかった原生林に近い林と,数百年以上人手が加わり続けた里山林の維持を同一に考えることに無理があり,後者はむしろ「畑」に近いもの と認識するのが妥当であろう。
●被害を減らすには
昆虫が媒介する樹木病害に共通の対策としては,媒介昆虫の殺虫を徹底し,数を 減らすことが何よりも重要である。枯死木を伐倒して殺虫剤で処理し(チップ化でも良い),次世代の飛散を防ぐことで確実に被害を減らすことができる。しか し被害発生初期に,枯死木が数本だからと放置していると,数年で百倍千倍の被害量に増える。被害本数がゼロにならないことで駆除の実施に迷いが出ること や,「被害がもう少し増えて目立ったら,予算をつけよう」という様子眺めが最も良くない。伝染病の被害軽減には責任者の迅速的確な判断にすべてがかかって いると言って良い。防除手法については近年研究が進んでいるので,詳細は研究機関の最新情報や,本稿の最後にあげた解説書を参照していただきたい。
防除は可能とはいえ人手や費用がかかるうえに,急斜面で枯死木の伐倒が不可能な場所も多い。しかし,枯死木放置で毎年被害が拡大するという現実に,「仕方 がない」と対応を断念するのは無責任である。マツ枯れ,ナラ枯れのように森林の生態系を変えてしまうような集団枯死への対処で重要なことは,現状把握と先 の見通しである。以下の検討手順は,ナラ枯れに限らず,森林の伝染性被害に共通である。
1) 担当者はまず,ナラ枯れについての正確な知識を得る。
2) 管轄地のどの範囲が枯れやすいのか。ブナ科樹木(ブナ属以外)の植生地図から見当をつける。被害発生後は,被害地の把握(モニタリング)を行う。
3) 集団枯死後の林では植生はどう変わるのか,高木種は育つのか,森林の持続性を意識した調査を行う。民有林も含めて今後どのような林として維持すべきか方針を決める。
様々な事情で伐倒駆除が十分にできないとしても,被害のモニタリングは実施する必要がある。将来の方針策定に使えるデータを得るには,研究者と共同で取り 組むことが望ましい。隣接地域への被害拡大を前提に,周辺自治体との情報交換は必須である。枯死木の早期発見や初期対策には,地域の方々(ボランティア) との連携も期待したい。
● 枯れる前に里山林資源を使う
里山林を維持するには,人間の手で常に微妙に調整する作業が必要である ことが,このナラ枯れの増加を目の当たりにしてわかってきた。対症療法には限界があり,長い目で見れば,森林資源を循環させるシステムをもう一度復活させ て,枯死の少ない健康な森林にしたてていくことが望ましい。旧薪炭林はナラ枯れが起こる前に積極的に資源として利用し,若い林に戻すことは健康回復の一つ の手段になる。もちろん,高齢ナラ類の萌芽更新については未知の部分があり,実証的な試験が必要である。
近年主流になっている公園的な里山整備 では,下生えの刈り取りが中心で,高木は伐らずに残される。また,里山整備事業では「受光伐」という間伐が補助金の条件であるため,整備された林内には高 樹齢のナラ類やシイ・カシ類が多数残されている。残念ながら「大径木はカシノナガキクイムシの繁殖に適している」という情報が伝わっていないようである。 伐倒放置木がカシノナガキクイムシを誘引し,新たな被害を発生させることもある。さらに,里山林の受光伐(間伐)ではナラ類等の高木種の実生が出ず,ソヨ ゴなど中低木の萌芽が多いという報告があり,次世代林の形成が困難だろうと指摘されている。針葉樹の育林手法を広葉樹に応用すればよいという単純なもので はない。森林を維持するということは,整備時点できれいに見えれば良いのではなく,長期のビジョンが不可欠である。
以上のような問題を解決する ためには,森林管理には予防医学やリスク管理の考え方を導入することが望ましい。樹齢の高い里山林すべてが不健康というべきではないが,ナラ類,シイ・カ シ類の大径木が多数ある場所は,ナラ枯れが出る可能性があることを念頭に整備したい。里山林は日本の森林面積の3割程度と推測されており,CO2吸収など 環境保全機能を発揮させるには,この広大な里山で今後も樹木が順調に育つように,人為的作業と投資は必須であろう。ナラ枯れをきっかけに,次の2点にも意 識を向けていただきたいと思う。
1) 放置されヤブ化した林や獣害増加も次世代樹木の更新を阻む深刻な問題であり,管理についての長期的見通しと迅速な対応が必要である。ただし整 備方針は管理主体(自治体等)が専門的知識をもって決めるものであり,決してボランティア任せにはすべきでない。力を借りることと任せてしまうことは違 う。
2) 民有の二次林では所有者や境界がわからなくなりつつある。高齢者がかろうじて覚えている状況なので,今,里山の取り扱いを検討しなければ,残された時間はない。
ナラ枯れは自然現象ではあるが,同時に社会問題でもある。研究者の側からは,「どうすればよいか」という提言を地道に続けていきたい。次のステップは,各 地の行政や山林保有者,自然保護NPOの方々と共同で,実際に里山を変えていくことであろう。せっかく育った樹木を病虫害で枯死させ,朽ちるに任せるのは もったいない。分解してCO2となる前に資源として使いたい。森林総合研究所では,伐倒した樹木を燃料に利用しつつ里山を再生する「現代版里山維持システ ム」の実証試験を滋賀県と京都府で始めたところである。石油の代替という大げさなものではなく,「地場の資源」を薪ストーブなどに使ってもらい,それで里 山林が若返って将来の環境保全につながることを,一般の方々に知ってもらうのが主な目的である。今後,公共の施設や学校で環境教育の一環として木質燃料の 利用を推進できないかと考えている。里山保全の駆動力となっている里山整備事業については,補助金の適用を「間伐」に限定するのではなく,「萌芽更新のた めの皆伐」も対象とする必要があると切実に感じている。「持続しない里山整備」にならないように,柔軟な対応が望まれる。また,環境税をうまく活用できる ような仕組みを作っていく必要もあるだろう。ナラ枯れという現象は,日本の森林の変容を示すほんの一端である。里山二次林だけでなく人工林も含めて,森林 資源の管理を怠った場合に,つけを払うのは私達の次世代なのである。社会として望ましい資源管理ができるように,森林保全の現場にいる私たちが情報を発信 し,行動していく必要があるだろう。
● 参考資料
有岡利幸 里山I. 里山II. 法政大学出版局,2004
黒田慶子編著:「ナラ枯れと里山の健康」林業改良普及双書157. 全国林業改良普及協会,166pp, 2008
黒田慶子編著:里山に入る前に考えること —行政およびボランティア等による整備活動のために— 森林総合研究所, 37pp, 2009
pdfファイルは
http://www.fsm.affrc.go.jp/Nenpou/other/satoyama3_200906.pdf
からダウンロード可能。
大住克博,黒田慶子,衣浦晴生,高畑義啓 :ナラ枯れの被害をどう減らすか – 里山林を守るために – 森林総合研究所, 23pp 2007, pdfファイルは
http://www.fsm.affrc.go.jp/Nenpou/other/nara-fsm_200802.pdf
からダウンロード可能。
森林総合研究所関西支所公開シンポジウム「これからの里山の保全と活用・・・里山を健康に保つために何をすべきか・・・」開催報告およびQ and A
http://www.fsm.affrc.go.jp/Old/sympo_20081028-rep-QandA.html#AAB
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