はじめに
マツ材線虫病(1)や北海道で見られるカラマツ,ヤナギの
萎凋(2, 3)など,樹木萎凋病は日本では数種類知られ
ている.本州日本海側で問題となっているナラ枯損も糸状菌による萎凋病である(4).
集団的な樹木の枯損は人目につきやすく,また最近のエコロジーブームによって世間に注目される機会が近年増えてきた.注目されるのはありがたいものの,こ
れらの萎凋病の発病原因や発病機構については研究成果が一般にはなかなか理解してもらえず,「何も解明されていない」あるいは「原因は酸性雨であって,病
気ではない」と断定されて苦慮する機会も増加している.ここでは,病原体感染によって樹幹における通水機能がどのように損われ,萎凋に至るのか,樹幹組織
の機能阻害の面から解説したい.
樹木の通水に関わる組織とその機能
根から吸上げられた水(木部樹液)は仮道管(針葉樹と一部の広葉樹)や道管(広葉樹)を通って葉に達し,その過程で利用された残りは気孔から放出される.
仮道管は直径0.02mm前後,長さ約1mm(写真―1)
の口の閉じた袋状で,隣の仮道管とは多数の壁孔(直径約2μm)でつながっている.針葉樹木部の構成要素の大半は仮道管であり,その他
に生きている柔細胞類,たとえば放射組織柔細胞や樹種によっては樹脂道エピセリウム細胞などが少量存在する(5).
道管は大きさや配列が樹種により非常に多様で,ナラ類のように直径0.3mmも
ある大径道管と小径道管を合せ持つ環孔材(写真―2)や,
比較的小さな道管が散在するサクラやヤナギのような散孔材がある.個々の道管要素は両端に開口部があり(ふるい状,階段状の構造もある),土管の継ぎ手の
ように連なっているが,1本の道管の全長はよくわかっていない.広葉樹木部で道管の占める割合は針葉樹の仮道管に比べて非常に低く,そのかわりに多数の木
繊維が強度補強の役目を果している.
植物の通導組織(道管や仮道管)の中の水は主に凝集力によって根から葉まで一本の柱のようにつながっていると考えられている(6).成長期の樹木,特に針葉樹では樹液の上昇は蒸散による葉からの引張
りの力に依存している.しかし蒸散の活発な時間帯に土壌に十分な水分が無い場合,樹液には非常に強い引張りの力(テンション)がかかって通導組織内では気
泡が発生することになる.エンボリズムあるいはキャビテーションと呼ばれる現象で,気泡の実体は主に水蒸気である.例えば水を入れた注射器の下を閉じた状
態で引いてみるとわかりやすい.健全な植物でも日常的にこのような気泡発生があって水の流れが部分的に途切れるが,夜間などに蒸散が止るとテンションが弱
まって気泡が消失し,通導組織は再び水で満たされる.従って健全な樹木では,土壌へ適度な水の供給があれば萎れから枯れへとは進まない.まだ諸説あるもの
の,植物体内での水の動きはおおよそ以上のように説明されている(6).
通導組織内での気泡発生は,その際に出る音(超音波の一種)によって非破壊的に検出できる.アコースティックエミッション(AE)法といい,本来は工学的分野で物質が破壊する直前に出る音を検出する
目的で使用されてきた.健全な植物では蒸散が活発な時間帯にAE検
出頻度が高く,夜間は検出されない(図−1).樹木の幹に
耳や聴診器をあてると「水が流れる音がする」と言われるが,実はこのような水切れの音の可聴部分を聞いている可能性もある.池田はAE法がマツ材線虫病における通導異常の検出に適用できることを発見した(7).
萎凋病における水切れ現象
萎凋病の病原体に感染した場
合には,樹幹の水分通導のコントロールが異常になることが最近わかってきた(1).
罹病木樹幹では気体が充満した部分が発生して(写真−3A)
拡大し,木部樹液の上昇が阻害されて木部が乾燥する(写真−3B).
さらに形成層が壊死して枯死に至る.本稿ではマツ材線虫病を例にあげて説明するが,北海道で見られるカラマツの萎凋についても,同様の現象が発生すること
がわかりつつある(8).
マツ材線虫病の病原線虫を接種したクロマツでは,外見的には何の異常もみられない非常に早い時期にAE検
出頻度が高くなる(7, 9).その時期はおおむね感染後
1週間から10日程度であり,葉の萎れや変色などの外観的
異状が認められるのはさらにその2〜3週間後である.AE検
出頻度は急激に一桁以上も上昇すると共に,夜間にもAEが
継続的に検出されるようになる(図−2)(9).夜間には蒸散が停止してテンションが弱まっているはずで,本来なら
切れた水柱がもう一度つながる条件にありながら,気体発生が依然として続いていることが示唆された.この時期に伐倒して樹幹を輪切にしてみると,「気体が
充満した通水阻害部」が斑点状に見え始めた時期であることがわかった(写
真−3A).カラマツへの青変菌接種の場合にもほぼ同じ時
期にAE検出頻度が上昇し,その後萎凋へと進むことが報告
された(8).
葉の萎れや黄変などの病徴が見られるのは,木部の通導がほぼ停止した後である(1). 樹木全体が枯れたように見えるまでにはさらに日数がかかる.萎凋病は「突然枯れた」と表現されることが多いが,実際には外見的な枯れよりもずっと前に,樹 幹内部では放射組織柔細胞など細胞類が全て壊死しており,「すでに死亡した」状態と言っていい.
萎凋病感染で「なぜ異常な気泡発生が起るか」についてはまだ不明の部分が多い.アルコールのように表面張力の低い物質が木部樹液に混入すると,テンション
が弱くても気泡が発生しやすくなることが実験的に確認されている(10).
樹木では病原体感染に対する抵抗反応として感染初期にモノテルペン類の生産が増加するが(1),
そのような揮発性物質が水の凝集力を低下させる役目を果しているのかも知れない.この点については今後の研究進展が期待される.
引用文献
1) 黒田慶子
(1990)マツ材線虫病の発病および病徴進展に関わる通水阻害,日本農芸化学会誌,64,1258-1261
2) 山口岳広,佐々木克彦,松崎清一 (1992) 青変菌を接種したカラマツの樹体反応と萎凋枯死,森林防
疫,41,118-122
3) 坂本泰明
(1998) 道内において発見さ
れたヤナギ類水紋病(病原細菌 Erwinia salicis)
の発見とその発生状況,森林保護,265:20-23
4) 伊藤進一郎,窪野高徳,佐橋憲生,城野有希子(1996)ナラ枯損に関連する菌類の病原性,107回日本林学会講演要旨集,235.
5) 島地兼,須藤彰司,原田浩
(1976) 木材の組織,森北出版,pp.291
6) J.A.
Milburn 1996: Sap ascent in vascular plants:
Challengers
to the cohesion theory ignore the significance of immature xylem and
the
recycling of much water. Annals
of
Botany 78:399-407.
7) 池田武文(1994)
樹木に発生するキャビテーションのアコースティック・エミッション法による検出,日林誌,76:364-366.
8) 山口岳広,伊藤賢介
(1998) カラマツヤツバキクイムシに関与する青変菌類を接種したカラマツでのAE(アコースティック・エミッション)の発生,H10年度日本植物病理学会大会講演要旨予稿集 69.
9)黒田慶子(1996)
アコースティックエミッションを利用した仮道管キャビテーションの検出 ---マ
ツ材線虫病罹病木における通水阻害進行状況の追跡---- 46回日本木材学会大会講演要旨,83.
10) M.T. TYree and
J.S.Sperry (1988) Do woody plants operate near the
point of
catastrophic xylem dysfunction caused by dynamic water stress? Plant
Physiology, 88:574-580