森林総合研究所関西支所 研究情報 No.63 (Feb. 2002) 

[巻頭言]


森林の健全性とは? ---樹木の集団検診を考える----

生物被害研究グループ 黒田慶子


近年,地球レベルで環境保全をという声が高まり,私たちの研究分野でも「健全な森林の育成,維持管理」について考える機会が増えています.木材生産が活発 であった時代には,ことさら健全性など意識せず,病害が大発生しないように,材質が低下しないように施業されてきたのですが,最近では様相がすっかり変化 しました.人工林の間伐遅れなど森林管理の問題はさらに深刻になっており,現存する森林を「健全に保って」次世代に引き継ぐには,このあたりで森林との対 峙のしかたを変える必要がありそうです.
 「健全な森林」といっても,いろいろなとらえ方があります.森林生態学的な見方では「さまざまな種類や樹齢の樹木が育ち,秋には木の実がたくさん生産さ れ,動物や昆虫の種類も多い森林」,つまり「多様性が高く,適度に更新されて次世代が育つ林」と説明されることもあります.林分を一つの社会としてとら え,「森林生態系の健全性」という場合は確かにそのような見方もできます.しかしこれでは人工林は不健全という評価になりかねません.「多様性が高ければ 健全で良い林」という認識には,じつは科学的根拠はまだないのです.健全性を測る物差しがないため,とりあえず決めた基準ともいえます.森林病理学の観点 からは,健全性の重要な条件として,「森林を構成する樹木の抵抗力(生理的活性)が高く,病虫害を受けにくいこと」をあげたいと思います.抵抗力とは曖昧 な表現ですが,ここでは気象変動,昆虫や微生物の攻撃に耐えうる生理状態を指すことにします.微生物がアタックした場合に起こる樹木の抵抗反応もこれに含 まれます.今後は「健全性をどのように評価するのが妥当か」という基本的な事項を検討し,評価から施業指針につなげていく必要があります.
 林木の病気,特に樹幹の病気の多くは感染から発症までの時間が長いため,枝枯れや病害が増えてしまった森林を回復させるのは困難です.健全性維持のため には,人間の成人病のように早期の診断が重要なのですが,血圧やコレステロール値のような「生理的変化」をとらえるような指標が樹木にはまだありません. 枝枯れもなく外見は元気に見える樹木の健全性については,測定困難と考えられてきました.しかし被害事例を解析すると健全性の指標になりそうな項目が浮か び上がってきます.抗菌性物質の生産能力の高さ,樹幹の水分通導(樹液流動)の活発さなどもそうです.後者については,樹幹に手を当ててひんやりしていれ ば樹液が流れているから元気であると,経験的診断法として利用されています.このような経験的な知見を含めて,健康診断に利用できる指標を探しはじめたと ころです.個々の樹木の健康状態の測定から林分単位の集団検診へと発展させるならば,森林の健全性を評価するための重要な情報を得ることができます.
 最近では人工林を当初の予定より長伐期にする傾向があります.それに伴い,集団枯損や材質劣化など林分の存続が危惧されるような現象が見られるようにな りました.伐期を遅らせることが林分全体の健全性低下につながることに気づかなかったためでしょうか.木材生産のための集約的森林管理が難しい状況であっ ても,森林がいろいろな機能を果たせるように,将来を予測して早めに手当する必要があります.そのためには予防医学的観点からの森林管理が今後さらに重要 になると考えられます.

戻る