読書


★司馬遼太郎

●「竜馬がゆく」
●「坂の上の雲」
●「国取り物語」
●「新史 大閣記」
●「燃えよ剣」
●「項羽と劉邦」
●「世に棲む日々」
●「アメリカ素描」
●「街道をゆく 沖縄・先島への道」
 この本のユーモア度は(もともとユーモアを基調として持つ)司馬遼太郎の文章の中でもアタマ1つ抜け出ています。まあ分かりやすさが抜け出ているだけかも知れませんが。そういう箇所が2か所あります。(99/07/08)

●「街道をゆく 愛蘭土紀行」
●「人間の集団について」
●「新選組血風録」
●「8人との対話」
 この本には司馬遼太郎と丸谷才一という僕にとっては夢のような組み合せの対談が収録されています。話題は王朝和歌という天皇を中心とする日本文化。これは丸谷才一の得意とする分野であって司馬遼太郎は初めはおよび腰なのだが、中盤から司馬も元気になり示唆に富む非常に素晴らしい対談となっている。もちろん丸谷才一にはそのことが最初から分かっていたと思うけど。

 どの本に収録されているか忘れたが、司馬遼太郎には「開高健への弔辞」というまことに素晴らしい開高論がある。これは開高健が亡くなった時に葬儀で司馬遼太郎が読み上げたもので直後に「文学界」に掲載された。文学論をやらないよう自分を律してきた司馬遼太郎であるが、いざ評論の筆をとると明晰で力強い類稀な腕の冴えを見せている。これは多くの人にとって意外なことではなかったか(弔辞なので与えられた時間は数時間程度と思うが、それを考えるとさらに驚異的)。開高健の文学をこれほど深く掘り下げるこの文章が、この上ない弔辞になっていることは言うを待たない。
 基本的に文学論をしない司馬遼太郎であるが、この他に「街道をゆく 愛蘭土紀行」と「アメリカ素描」ではめずらしく文学を語る部分がある。まことに豪快に本質をつかんで見事。「魁 男塾」でいうと赤石豪次(やったっけ?)が闘場そのものを一刀のもとに切り落として決着をつける豪快さと相通ずるものがある(笑)。

★丸谷才一

●「低空飛行」
●「犬だって散歩する」
●「猫だって夢を見る」
●「夜明けの乾杯」
●「男のポケット」
●「大きなお世話」
●「好きな背広」
●「青い雨傘」
●「男ごころ」
●「女性対男性」
●「深夜の散歩」
●「食通知ったかぶり」
●「文章読本」
●「忠臣蔵とは何か」
●「日本文学史早わかり」
●「みみづくの夢」
●「コロンブスの卵」
●「山といへば川」
●「ウナギと山芋」
●「遊び時間 1」
●「遊び時間 2」

●「大いに盛り上がる(丸谷才一対談集)」
 久しぶりに読み返して堪能した。筒井康隆と丸谷才一という僕にとっては異色の組合わせがあるのだが,これが大いに面白い。「笑い」を評価しない日本の風潮に嘆き続けて来た筒井康隆と,深刻ぶるのが文学の本質と勘違いした近代日本文学の歪んだ姿を批判し続けてきた丸谷才一という2人なのだから,言われてみれば実に自然な顔合せなんやけど。筒井康隆が初めて公に作品をほめられたのが丸谷才一による書評だったという意外な事実(これは丸谷才一自身も驚いていた)がそういう事情を端的に物語っている。妙に狭い考えにとらわれた文壇(?)事情を切りまくって痛快。
 山田詠美と丸谷才一というこれまた意外な対談もある。話題は宇野千代。女の恋を描いたこの作家(僕は料理随筆?以外は読んだことはないが)の話ならばこの両者の共通項だと納得がゆく。


★丸谷才一と山崎正和の対談

●「20世紀を読む」
●「日本史を読む」
●「見渡せば柳さくら」
●「3人で本を読む」(丸谷才一,山崎正和,木村尚三郎)
●「固い本 やわらかい本」(丸谷才一,山崎正和,木村尚三郎)


★中山康樹

●「マイルスを聴け!」
●「ジャズ地獄への招待状」(共著)
●「スイングジャーナル青春録 −大阪編−」
●「ジャズ名盤名勝負」
●「ジャズロックのおかげです」(共著)
●「ビッチェズ・ブリュー エレクトリック・マイルスのすべて」
 中山康樹は面白い文章を書く人である。読者に対するサービス精神が旺盛な人である。文章でウケをとるのが好きな人である。面白ければ少々大げさに書くことも辞さない人である。これは正に俺の考えとおんなじではないか! 中山康樹はそれを高いレベルで実現する人である。尊敬してしまうではないか! その芸は基本的にツッコミ芸である。それまで俺とおんなじではないか!(99/07/08)


★立花 隆

●「サル学の現在」
●「脳死」
●「宇宙からの帰還」
●「アメリカ性革命報告」
●「アメリカジャーナリズム報告」
●「ぼくはこんな本を読んできた」


★開高 健

●「もっと広く」
●「もっと遠く」
●「オーパ!」
●「オーパ! オーパ!」
●「私の釣魚大全」
●「フィッシュ オン」


★村上春樹

●「村上朝日堂」
●「村上朝日堂 はいほー!」
●「村上朝日堂の逆襲」
●「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」
●「日出ずる国の工場」
●「雨天炎天」
●「やがて哀しき外国語」
●「村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた」


★吉村 昭

●「破獄」
●「漂流」
●「光る壁画」
●「関東大震災」
●「三陸海岸大津波」


★海老沢泰久

●「ただ栄光のために」
●「美食礼賛」


★「横浜 vs PL学園」 アサヒグラフ特別取材班
 横浜とPLの延長17回の死闘を追ったテレビのドキュメント番組があって、それは実に面白かったが、この本の面白さはそれを上回る。両チームとも非常に高いレベルで野球をやっている。野村監督就任前のタイガースより絶対レベルが高い(笑)。松坂の立上りの不調がPLの大量点をもたらし、松坂が本調子を取りもどすとPL打線が沈黙する。つまり、両校のチーム力が非常に高いレベルでありながら、しかし基本的な試合の流れは松坂ひとりの調子によって決まる。それほど松坂が図抜けた存在であったことがよーく分かる。まるでベイスターズの佐々木のよう。高校野球につきもののお涙頂戴的な安っぽい書き方ではなく、乾いた視点でなおかつユーモアを漂わせながら極めて明晰に筆をすすめるようでけたノンフィクション。この作品の明るさは両チームの選手の明るさと書き手の明るさの両者の産物である。こういう若い子達とこういうスポーツライターがいると日本の将来も明るい(笑)。(99/07/08)

★「マイルス・デイヴィス自叙伝」(中山康樹 訳)
 マイルスもすごいが、チャーリー・パーカーもすごい(笑)。原書は村上春樹をして、「この雰囲気を日本語に移すのはほとんど不可能」と言わしめた生々しい語り形式だが、中山康樹はその難業に挑み(おそらくかなり)成功している。日本語訳で充分に面白いです。原書を読むとやたらと "motherfucker" が出て来ます(笑)。「やつはとんでもないドラマーだ」ってのが "He is a motherfucker." ってな具合。これ、もちろんホメ言葉でっせ。(99/07/08)

★「偏微分方程式 科学者・技術者のための使い方と解き方」 スタンリー・ファーロウ 著 伊理正夫・伊理由実 訳
 物理数学の教科書に対する大いなる不満は、定理をやたらと乱発する記述方式にとらわれて、「結局これを勉強することに何のご利益があるんじゃい?」という根本的な疑念を、水道から滴るしずくを桶に貯めるように少しずつ貯めながら読み進んでいかんといかんことである。で、僕の場合はその桶がやたらと小さいのですぐ疑念でいっぱいになって「もうやめじゃー」となるのである。例えばLaplace変換の章になると、Laplace変換の定義から始まり、Laplace変換の性質、逆変換の導出と怒涛の攻撃がハンを押したようにどの教科書でも始まるのだが、「で、そもそも何のためにそのLaplace変換っちゅうやつはあんの?」という疑問には全く答えてくれようとしない。で、よう分からんうちに適当な関数のよう分からん「Laplace変換というもの」を計算させられたりする。健全な精神の学生ならこの辺でイヤになる。「もう少しすればご利益にありつけるさかい今はちょっと辛抱してえな」の挨拶の一言もあればまだ許せないこともないのだが、大抵の教科書は極めて無愛想に進んで行くのである。商売人ならその時点で失格である。辛抱強いというかちょっとマゾッ気のある学生であれば、ここを耐えその先では Laplace 変換を使って微分方程式を解くという問題にたどり着くであろう。ここで目はしのきく学生なら「なるほど、Laplace変換とは微分方程式を解くための道具だったのか!」と得心がいくのであるが、いかんせん大概の学生はここまでくるのに体力を使い果たしているし、しかもそのご利益がなぜか明文化はされていないのでそこまで気が回らない。チャート式なら四角いワクで囲むべきところである(笑)。もったいない話である。しかもLaplace 変換を使うとなんで微分方程式が解きやすくなるかというと、「元の関数をexponentialの線形結合に分解してやるのだが(←これが逆Laplace変換、その線形結合の係数を求める操作がLaplace変換)、exponentialに分解してやると微分というやっかいな操作がかけ算という簡単な操作ですむから」なのであって、これが一番の眼目なのだが、そのことを明快に書いた教科書はほとんどなかったりする。信じられん。結局学生は、なんで exp(-st) という因子を持つ怪しげな積分を計算しないといけないのか、全く得心のいかないままLaplaceっちゅう昔のおっさんに対する言われのない恨みを抱いて終わり、となってしまったりするわけである(笑)。
 それから定理とか公式を並べるのに忙しく、定理や方程式や演算子の持つ「直観的な意味」を全然明快に書いてくれんという不満もある。例えばGaussの定理は例外的に直観的な意味が必ず書いてあって、それにともない div という演算子の直観的な意味合いは結構明快に書いてある場合が多い。これはめでたいことだ。Stokes の定理もそれに次ぐ定番なのだが Gauss の定理ほどはとっつきやすくなく、そもそも rot の直観的意味が「回転」なのは名前からしてそうなんだろうとみんな思っているものの、明快に説明してある教科書は案外少なく、結果 rot の理解度は div に比べて格段に落ちることになる。悲しいことだ。もっとも div の「発散」という日本語訳が分かったような分からんような言葉なので div だって不利な点はあるんやけど。で、grad となると「勾配」という「名は体を表す」見本のようなネーミングでこれは祝福すべきことなのだが、grad が「勾配」という直観的な意味を持つということの明快な説明はこれまた案外まれだったりするのである。ましてや Laplacian となるともっと悲惨で、ネーミングが人名にちなんでいることもあって誰も直観的意味があるなどと想像だにせず、「よく分からない複雑怪奇な演算子」くらいに思っている学生がほとんどだったりする。だって2階微分やし(笑)。
 その点この本は Fourier 変換や Laplace 変換のご利益とそのご利益がどこから来るかがしごく明快に書いてあり、また拡散方程式や波動方程式なんぞの定番の偏微分方程式の直観的な意味がこれまた極めて明快に書いてある。この本の読者は「これは何のために何をやっとんや?」という虚しい思いにさいなまれることなく、目的地の親切な案内があって、しかも手にしている道具や問題の意味合いはできる限り直観的な把握ができるように工夫されているという幸福感を実感できるのであった。こういう教科書ならば、偏微分方程式を「なんかよう分からんけど、見かけがいかつておそれ多い方程式」などと遠まきに見ることなどせず、「そうかお前はそういう意味の式やったんか」などと思わず抱きよせてほおずりしたくなったりすることまで可能なわけである(自分でも意味不明(笑))。何とこの本には Laplacian の直観的な意味まで書いてあるんやで!(ただしその証明はない) 恥ずかしながら、わたしゃ32歳を目前にして初めて Laplacian の直観的意味をたぶん明快に理解しました。商売がら漠然とは知っとったんやけど...。
 ということでこの本は「教科書かくあるべし」という僕の願望を、予想を上回って十二分に満たしてくれる素晴らしい本やと思うわけです。学生の時に巡り合いたかった(遠い目)。
 ちなみに同様の良書として小針あき(←難しい漢字なんで出ない)宏著「確率・統計入門」という教科書がある。しかもこの著者の文章は読者を楽しませるというか笑わせることに徹している稀有なもの。ちょっと尊敬してしまう人です。ただしこの人は夭折されてます。誠に残念。(99/07/08)

★「なっとくする 行列・ベクトル」 川久保勝夫 著
 線型代数の教科書だが,非常に本質的なポイントを直観的かつ視覚的に解説してくれる稀有な本。線型代数に苦手意識がある人は速攻で買いましょう。苦手意識のない人も買いましょう(どないやねん)。なんで行列というものを考えないといけないのか,それは要は線型変換(1次変換)というものを考えたいから行列という概念というか道具の必要性が出てくるのであって,そうでないと何で行列の積の定義があんな形になるのかはさっぱりわからないところである。そのへんの事情がこの本では明快に書いてある。こんなことは当然であってほしいのだが,なかなかそうはいかなかったのが悲しいかなこれまでの現実である。自分が高校生の頃,参考書で行列の勉強をして唐突に出てくる不可解な形の積の定義に面食らったものだが,この不可解さは続けて1次変換を勉強することによって初めて氷解した記憶がある(もっともそれも「大学への数学」という優れた雑誌の解説のおかげ)。高校の教科書になるともっとひどいものでカリキュラムの変更で行列はやるものの,ちょっとさわる程度で,しかも1次変換はやらないという中途半端さ。それなら行列をやる意味はねェだろうとあきれたものだ。話は脱線を重ねるがベクトルの内積というやつもあまりにも唐突に出てくる概念で,なんでこんな概念が出てくるのか高校生の当時不思議でならなかった。もちろん便利だからそういう概念を考えるのは間違いないのだが,それにしても登場というか定義が唐突なのである。あれは実は三角形の余弦定理を2次元直交座標で表現してみることで出てくる概念なのだと理解するとよく納得がゆく(実際の歴史的経緯は知らない)。実はこれも「大学への数学」の別冊に書いてあったことで,つくづくあの雑誌は偉大であったと痛感させられる。で,話を「なっとくする 行列・ベクトル」にもどすと,通常の教科書では定理のオンパレードで味気ない記述になるところを,この本ではひたすら視覚的(従って本質的)で理解しやすい書き方に終始しているので楽しく本質に触れることができる。出来・不出来に(当然ながら)差のある「なっとくする」シリーズでも上質な部類に属する本だと思う。(00/02/25)

★「なっとくする 微分方程式」 小寺平治 著
★「大統領たちが恐れた男 FBI長官フーヴァーの秘密の生涯」
★「爆笑問題の日本原論」 爆笑問題
★「さよならバードランド」 ビル・クロウ(村上春樹 訳)


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最終更新日:00/03/22