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自然の真理にどこまで近づくことが出来るのだろうか?
宇宙を支配する法則は一体何であろうか?

last update 2015/04/07

神戸大学理学研究科 素粒子宇宙理論研究室
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本を書きました!

 量子力学選書「場の量子論 不変性と自由場を中心にして」 裳華房、坂本眞人著

膨大な数の実験的検証により、我々の自然は量子力学相対性理論にしたがっていることがわかっており、これら2つの理論は現代物理学の根幹をなしています。 量子力学と相対性理論の融合は、場の量子論というひとつの理論体系に(必然的に)まとめられます。 場の量子論は、我々が手にしているものの中でもっとも自然の真理に近い理論ということができます。 実際、場の量子論は時間と空間の性質(すなわち、我々の宇宙の性質そのもの)に基づいて構築されているので、宇宙に存在するものはすべて、場の量子論にしたがわざるを得ないのです。
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 「量子力学から超対称性へ 超対称性のエッセンスを捉える」 サイエンス社、坂本眞人著

もし、超対称性が我々の自然を支配する法則の中で実現されていることが確かめられたなら、それはニュートンやアインシュタインが起こしたものに匹敵する、いや、それ以上の物理革命が起きたことを意味するかもしれない。なぜなら、超対称性理論は重力まで含めると、理論の整合性から、超弦理論 (superstring theory)にまで拡張される必要があると考えられているからである。そのとき、点粒子であると思っていた“素粒子”は、実はひも (string) でできていたことになる。ひもの長さがあまりにも短いので、我々はそれを“点”粒子だと思い込んでいるにすぎない。さらに超弦理論は Theory Of Everything (TOE) と呼ばれているように、万物の法則を記述する理論の候補と考えられている。つまり、我々は究極理論を手に入れたことになるのかもしれないのだ。 本書は、超対称量子力学のテキストとして、量子力学の知識のみを前提に超対称性のエッセンスを解説している。超対称性理論に興味のある人だけでなく、量子力学や対称性の原理をより深く解したい人にも有用な一冊となっており、コメントや演習問題が随所に配され,理解の深度を確認できる構成になっている。
この本のより詳しい内容は、ここをクリック。


専門分野

素粒子理論

研究テーマ

これまで、超対称性理論及び超弦理論を主に研究してきました。これはいわば、上から下へのアプローチ(つまり、高エネルギーから低エネルギーへのアプローチ)と言えるでしょう。最近は、これとは逆に、下から上へのアプローチ、すなわち、低エネルギーにおける標準理論から高エネルギーで現れるであろうと期待される究極理論へ向かっての研究をしています。具体的には、高次元理論(空間3次元以外に余分な次元を持つ理論)を初心に戻って(?!)基礎的なところから再構築しているところです。空間の次元を高くすると3次元では説明の付かないことが幾何学的に説明出来たり、余分な次元のスケール(大きさ)によって様々なタイプの相転移が起こることが分かってきました。余分な次元の存在が、現在の我々の持つ標準模型や観測にどのような影響を及ぼすのかを解明し、この研究を通して最終的な究極理論の正体を明らかにすることを目標(夢?)としています。

(a)超対称性理論及び超弦理論
(b)余剰次元をもつ高次元理論
(c)超対称格子理論
(d)有限温度の場の理論
(e)量子重力理論

上記の事柄についての解説を長々と書いても恐らく皆さんには退屈なだけでしょ う。それよりも僕といっしょに次の“謎”に挑んでみませんか? 

(1)我々の時空はなぜ4次元か? 
(2)3つの単位と3つの理論?
(3)厄介者の重力?
(4)素粒子理論、最後のパラダイス?
(5)神の存在は必要か?



 量子力学選書「場の量子論 不変性と自由場を中心にして」 裳華房、坂本眞人著

 本書の目的は、専門家ではない理工系の学部生などの初学者を対象に、場の量子論をできるかぎり分かり易く説明し、同時に自然を支配する基本法則がどのような原理から導かれるかを理解してもらうことにある。
 自然界における根本的な法則を解明するためには、ミクロの世界、すなわち物質の基本構成要素である素粒子の世界で成り立つ法則を明らかにする必要がある。 素粒子の世界は、場の量子論に立脚して構築された標準模型 (Standard Model) によって記述されている。 したがって、自然を理解するためには、場の量子論を避けて通ることはできない。
 すぐれた場の量子論の教科書がいくつもある中で、なぜもう一冊世に出す理由があるのか? この疑問に答えておく必要があるだろう。
 場の量子論は、素粒子物理だけでなく原子核物理や物性物理などの様々な分野で用いられ、その内容は驚くほど多岐にわたる。 ある程度まとまった内容を一冊の本に収めようとすると、どうしても詳しい式の導出や説明が省かれることになる。 そうなると、本のレベルは大学院生を対象としたものになり、学部生や素粒子論の専門教育を受けていない人が簡単に読みこなすことは難しくなる。 そうした中で、場の量子論を学びたいと願っている人達に対して、少しでも門戸を広げることができたらというのが、本書を執筆した動機である。 そこで、私が本書を執筆する際に想定したものは、「量子力学と(特殊)相対性理論の基礎を学んだ(理工系の学部3, 4 年生レベルの)人が読みこなせる」こと、それから「自学用あるいは自主ゼミのテキストとして使える」ことである。
 本書の特徴は、論理の飛躍を無くして議論の流れを一歩一歩着実に追えるように、他書では省かれているようなことにも紙面を割いたことである。 特に、全ての式を読者が確実に導けるように導出過程を省略することなく丁寧に解説し、重要な式に対してはその物理的意味を詳しく説明した。 初学者が場の量子論を難しいと感じる理由の1つは、式の導出に労力の大半が使われてしまい、式の物理的意味を考える余裕がない(式の導出で満足してしまう!?)からである。 本書ではそういう事態を避けるために、式の導出よりも、得られた式の物理的意味の理解に時間を費やせるよう試みたつもりである。
 各章の本文中にcheckと書かれた問題が与えられているので、理解ができているかを確認したいときは、これらの問題を解くといいだろう。
(まえがきより抜粋)

本書中の問題 check の詳しい解説付き全解答例を作成しました!  解答例と補足(全240ページ)

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 「量子力学から超対称性へ 超対称性のエッセンスを捉える」 サイエンス社、坂本眞人著

 もし、超対称性が我々の自然を支配する法則の中で実現されていることが確かめられたなら、それはニュートンやアインシュタインが起こしたものに匹敵する、いや、それ以上の物理革命が起きたことを意味するかもしれない。 なぜなら、超対称性理論は重力まで含めると、理論の整合性から、超弦理論 (superstring theory) にまで拡張される 必要があると考えられているからである。 そのとき、点粒子であると思っていた“素粒子”は、実はひも(string)でできていたことになる。 ひもの長さがあまりにも短いので、我々はそれを“点”粒子だと思い込んでいるにすぎない。 さらに超弦理論はTheory Of Everything (TOE)と呼ばれているように、万物の法則を記述する理論の候補と考えられている。 つまり、我々は究極理論を手に入れたことになるのかもしれないのだ。
 もし、超対称性が発見されたとなると、量子力学や場の量子論の教科書は一新されることになるだろう。 超対称性の記述がない教科書は、“古い”世代のものとして分類され、超対称性の項目はこれからの教科書には必須となるに違いない。
 超対称性理論は、相対論と量子力学を融合させた相対論的場の量子論の枠組みの中で構築されている。 したがって、超対称性理論を学ぶためには、その前に場の量子論を修得しておかねばならない。 これは大学院レベルの高度な内容を含み、大学院で素粒子理論を学ぶ機会のない人にとってはかなり敷居が高い難解なものである。
 この本を書こうと思ったのは、学部レベルの量子力学の知識で超対称性とはどういうものかを知ってもらいたかったからだ。 そのために、場の量子論を迂回し量子力学の基礎的な知識のみを前提として、超対称性を説明しようと試みた。 場の量子論を量子力学で置き換えたので、いくらかの代償を支払わなければならなかった。 しかしその一方で、場の量子論固有の難解さに惑わされることがなくなり、超対称性のエッセンスを明確に捉えることができるようになった。 その恩恵の方が失ったものよりずっと大きいと思う。 恩恵はそれだけではない。 超対称性は、様々な量子力学系を厳密に解くための非常に強力な道具として役に立つことがわかっている。 つまり、量子力学自身をより深く理解するための理論的な枠組みとして、超対称量子力学を捉えることもできるのである。 そこで、私が本書を書く際に想定した読者層は、次のような人達である.

 本書は超対称量子力学の標準的教科書となることを目指し、本書を読み終えれば一通りの専門的知識が身につくように配慮した。 そのとき、他の教科書等を参照しなくてもよいように、できるだけ丁寧な説明を心掛けた。 また、全ての式は省略することなく導出をおこない、その際、読者がつまずくと思われる箇所や注意点に関して、数多くのコメントを与えておいた。
(まえがきより抜粋)

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(1)我々の時空はなぜ4次元か?

 我々の宇宙は、空間3次元と時間1次元とから成り立っていることに異論はないだろう。そもそも「我々の時空はなぜ4次元か?」という問いはナンセンスかもしれない。神様がそう造ったのだから・・・と言ってしまえばそれまでだが、それではつまらない。物理屋はひねている(僕だけか(^_^;)?)もし我々の宇宙が4次元時空でなかったらと暫し空想してみるのも面白い。

 空間の次元が3より大きいと、実は地球は太陽の周りを安定に回り続けることが出来ないことがわかる。(太陽からの引力と遠心力がうまく釣り合わない!)また、原子核の周りを回っている電子も量子力学的に安定でなくなる。そう、全ての原子分子は安定でなくなるのだ。これは困ったことだ。我々はどうも空間が3より高い次元には快適には住めそうにない。それでは、逆に空間の次元が3より小さかったらどうなるか?このときも、我々にとって都合が悪そうだ。というのは、生物のような複雑なものを2次元平面あるいは直線上で作ることは難しいからだ。例えば、口から食べ物を食べて排泄することを考えてみよう。このとき、2次元平面内に我々の体が出来ているとすると、口から入った食べ物は排泄されるまでの道筋で我々の体を真っ二つに引き裂いてしまうことになるだろう。また、脳のような複雑な神経回路を2次元平面内で構築することは不可能だろう。

 この様に空間3次元以外は、我々生命にとって、はなはだ都合の悪い空間のようだ。つまり、空間が3次元だったからこそ我々のような生命が誕生できたとも言えるし、逆に我々のような生命が存在している以上空間は3次元であるとも言えるだろう。

 ここまで来ると最初の問いもあながち、ナンセンスな問いでもなさそうな気がする。果たして我々の空間が3次元なのは偶然なのか、それとも必然なのか?神様のみが知っていることなのか、それとも我々も知り得ることなのか?
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(2)3つの基本単位と3つの理論

 皆さんは、単位(あるいは次元)について思いを巡らせたことはあるだろうか?3つの独立な単位あるいは次元があることを我々は知っている。3つの選び方にはいろいろある。例えば、時間・長さ・質量の3つをとってもいいし、あるいは速さ・角運動量・エネルギーにとることもあるだろう。次元を持つ量というのは、測る単位を変えるとその大きさが変わるような量のことである。例えば、1時間という時間の長さは、1分を単位に測れば60だし、1秒を単位に測れば3600という数字になる。又、1kmという長さは、1mを単位に測れば1000になるし、1mmを単位に測れば1000000という数になる。つまり、次元を持った量は基準となる単位を指定しないと意味がない。速さが100だと言っても無意味なのである。

 それでは3つの独立な次元として、速さ・角運動量・エネルギーを取って考えることにしよう。まず、速さを取り上げる。速さの基準となる量として何を取ると良いだろうか? それとも何か基準となる特別な速さの単位というものがあるのだろうか? 理科年表をみると、光の速さは“誤差なし”で

    C=299792458 m/s

と書いてある。いったいどういうことか?光速は誤差なしに測れたというのだろうか?実はこれは光速の定義(!?)なのである。別の言い方をすれば、1秒間に光の進む距離を299792458mであると決めたのである。そんなの勝手に決めていいのかと思うかも知れないが、次のように考えるとその意味が飲み込めるだろう。時間の定義が別に与えられているとすると、この「299792458m」という長さを「光が1秒間に進む距離」として定義したことになるのである。(メートル原器で長さを定義するのはもはや実用的ではない。)

 それでは、光速を単位に取るということは、何か意味のあることなのだろうか?実はこれには深い意味がある。相対論は、光速を基本定数として中に含む。すなわち、相対論において速さの基準(基本単位)となる値は光速なのである。このことは非常に重要な意味を持つ。我々の日常生活に現れる速度は光速に比べて非常に遅い。(その比は非常に小さな数だ!)とすると、相対論に現れる式の中には、我々の日常的な速度は非常に小さな値としてしか現れないのだから、相対論にとって我々の日常的な速度は無視される。つまり、その様な小さな速度に対して相対論的な効果は、ほとんどないということである。(もちろん相対論的効果が日常的に見えたら、アインシュタインが発見する前にもっと早く相対論は見つかっていただろう。)もっと正確に言うと、光速に比べて非常に小さな速さを持つ系は、相対論的効果は小さく、そのときは相対論は古典力学(ニュートン力学)に(非常によい近似で)一致する。ところが、速さが光速に近づくと(光速を越えることは出来ない!)古典力学は正しくこの物理系を記述することが出来なくなり、相対論にとって変わられるのである。

 この様に、速さという次元の背後に、相対論が隠れていた(?!)のである。実は同様のことが角運動量にも当てはまる。角運動量(回転の大きさのようなもの)をどんどん小さくしていくと何が起こるだろうか?ある値(プランク定数hと書く)に近づくと、その系はもはや古典力学では全く観測結果を説明できなくなる。(このような系はまさに原子分子の世界だ!)そう、そこには量子力学が待っていた(?!)のである。量子力学は、プランク定数hを基本定数として含み、その次元は角運動量と同じなのだ。

 長々と書いてしまったが、ここまで(我慢して?)読んできた読者にはもうおわかりだろう。そう最後に残されたもう一つの次元量であるエネルギー、これに対しても同じことが成り立っていると期待するのは自然な流れだろう。では、エネルギーの基本単位(基本的な値)とは何だろう?もしあるとすれば多分大きな値だろう。(さもなければ、すでに今までの実験で見つかっているはずだ。)上での考察をそのまま当てはめると、エネルギーを上げていきエネルギーの「基本単位」に近づくと、だんだん今我々が手持ちにある理論では、その系を記述できなくなり新しい理論が顔を出してくるはずだ。この新しい理論とはどんな理論だろう?その基本単位とは何だろう?
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(3)厄介者の重力?

自然界には4つの力、電磁気力、弱い力、強い力、そして重力が存在する。今のところこれ以外の力の存在は確認されていない。素粒子理論では、このうち電磁気力と弱い力と強い力の3つは(実験的にも理論的にも)非常によく調べられており、これらは標準模型(Standard model)と呼ばれる理論の中にまとめられている。この理論は、相対論的場の量子論の枠組みの中で構築されており、恐らく人類が今まで“発見”した理論の中で最も成功を収めたものであると言えよう。標準模型から期待される結果と実験結果は非常に良い精度で(困ったくらいに!)一致している。このことは単に標準模型が自然を正しく(少なくとも現在の実験精度内で)記述しているというだけでなく、相対論的場の量子論という、相対論と量子論を融合した理論的枠組みが間違っていなかったということも意味するだろう。

 上で述べた相対論とは、正確には「特殊」相対論を指す。重力は「一般」相対論によって記述される。相対論的場の量子論の成功は、特殊相対論と量子論の成功でもある。となれば、一般相対論まで含んだ相対論的場の量子論への拡張をすれば、重力まで含めた全ての力を含む“標準模型”を構築することが出来ると誰もが思うだろう。ところがである、あれほど特殊相対論と相性の良かった量子論が、一般相対論が相手となると、とたんにつむじを曲げるのである。一般相対論は、時空の“歪み”を記述するが、その性質と量子論における不確定性関係(粒子の位置と運動量を同時に正確には決めることが原理的に出来ない!)が、どうも相性の悪い原因の一つのようだ。具体的には何が起こるかというと、物理量を計算しようとすると有限の値が出ず、無限大となってしまって意味のある答えが出てこないのである。残念ながら、多くの優秀な人たちの努力にも関わらず、一般相対論は未だに量子論と和解することを拒み続けている。

 時空がいくらでも小さく分割できる、つまり長さや時間がいくらでも小さい値まで原理的に測定可能──量子論はもちろん一般相対論も暗にそう仮定している──を認めるならば両者の歩み寄りはかなり難しいかも知れない。量子論における不確定性関係と一般相対論における時空の歪みは、非常に小さな時空の領域ではもはや時間と空間の概念は成り立たないことを示唆しているように見える。というのは、非常に小さな時空間の領域を見ようとすると不確定性関係のため、大きなエネルギーの揺らぎが生じる。そのエネルギーの揺らぎは一般相対論を通じて時空の揺らぎを引き起こす。そして小さい領域を見ようとすればするほど時空の揺らぎが大きくなり、時間や空間としての意味を持てなくなるだろう。その先は、いったいどうなっているのだろうか?

 一般相対論が量子化されることを拒み続ける理由はいったい何なのだろうか?我々が単に正しい計算方法を知らないだけなのだろうか?それとも、一般相対論あるいは量子論(両方とも?!)の変更を要求しているのだろうか?そして我々の素朴に持つ時間と空間に対する概念の変更を迫っているのだろうか?今までの歴史は、理論が破綻するとき救世主(新しい理論)が現れてきた。歴史は繰り返すのだろうか?
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(4)素粒子理論、最後のパラダイス?

 (3)で述べたように特殊相対論と量子論を融合した相対論的場の量子論は(現在行われている実験の精度内で)我々の自然を記述する理論体系であることは確固たる自信を持って主張できる。

 それではちょっと目先を変えて対称性という視点から、相対論的場の量子論を眺めてみることにしよう。対称性とは、ある変換(回転や反転、等)を施しても変わらない性質のことである。例えば、空間の原点をどこにするか、時間の原点をどこにするかで物理法則は変わらない。もし変わるとすると日本で成り立っている物理法則は、他の国では成り立たないことになり、国ごと、いや場所ごとに物理法則を与えてやらなければならない。もちろん、こんなことになっていたら「物理」という学問は存在しなかったであろう。(誰だ!その方が良かったなどと言っている人は(○`ε´○)。)幸いにそんなことはない。アメリカの教科書に書いてあるニュートンの法則も日本の教科書に書いてあるものと同じだ。この原点をどこに取っても物理は変わらないという事実は、対称性の言葉で言えば、時間と空間の並進対称性をもつということになる。この対称性は、エネルギーの保存則と運動量の保存則へと導くのだがここではそこまで立ち入らないことにする。

 相対論的場の量子論は今述べた時間と空間の並進対称性及びローレンツ変換の下での不変性の上に構築された理論である。さて、この理論の枠内で許される対称性とはどんなものがあるのだろうか?知られている重要なものとしてゲージ対称性がある。ゲージ対称性は別名、局所的対称性とも呼ばれ、時空の各点各点で異なる変換性を許す。ゲージ対称性の一番簡単な例は、電磁気学におけるマックスウェル方程式に見て取れる。このゲージ対称性は、電磁気力、弱い力、強い力と密接に関係していて、これらの相互作用はゲージ対称性に基づくゲージ理論(これは相対論的場の量子論の枠内の理論だ!)で、(3)で述べた標準模型は(数学の群の記号を使うと簡単に)U(1)xSU(2)xSU(3)のゲージ理論になっている。

 さて、このゲージ対称性以外に相対論的場の量子論の枠内で許される対称性はどんなものがあるだろうか?1970年代に超対称性(supersymmetry)と呼ばれる対称性を持つ相対論的場の量子論の模型が発見された。超対称性とは、ボーズ粒子とフェルミ粒子の間の入れ替えの対称性で、現時点ではその存在は確認されていない。驚くべきことに1975年にHaag, Lopuszanski, Sohnius等によって何とこれ以上の新しいタイプの対称性は存在しないことが、相対論的場の量子論の枠内で証明されてしまった!相対論的場の量子論によって自然が記述されているとする限り、我々は全てのタイプの対称性を知ってしまったことになる!これは喜ぶべき結果とも言えるし、別の見方をすればこれ以上新しいタイプの対称性を“発見”するという楽しみがないという意味で悲しむべき結果でもある。そう、我々に残された最後のパラダイスは、未だに存在の確認されていない超対称性だけなのである。自然は超対称性を隠し持っているのだろうか?それとも、理論的には許されるにもかかわらず、超対称性を持つことを忘れてしまっているのだろうか?超対称性以外のゲージ対称性や大局的対称性等は、自然は身にまとっていた。さあ、君なら自然が超対称性の衣を身にまとっているか、いないか、どちらに賭けてみるだろうか?
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(5)神の存在は必要か?

 素粒子理論は最終的には究極の理論の構築を目指していると言えよう。究極理論(A Final Theory)とは、その理論から“すべて”のことを原理的に(実際に計算できる必要はない)導くことが出来るような理論であり、その理論を説明する理論がもはやないようなものである。“すべて”のことを説明すると書いたが、“すべて”とはいったい何を指すのだろうか? よくよく考えてみるとこれは難しい問題だ。我々はどれだけのことを原理的に説明でき、どれだけのことを原理的に説明不可能なのだろうか?皆さんも是非様々な例を考えて欲しい。例えば、

♠電子と陽子の質量はなぜ2000倍近くも違うのか?
♥クーロン力や重力の大きさは誰が決めたのか?
♣我々の宇宙はなぜ4次元か?
♦光の速さは誰が決めたのか?
★誰がこの宇宙を造ったのか?
▲なぜ4つの異なる力が自然界には存在するのか?
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 ・

上に述べたことのいくつかは、我々の求める“究極”理論で説明されるだろう。原理的に説明できないことがあっても、恐らく10や100程度の数ではないのだろうか?そう期待したいところである。そこで、今から述べることを我々が原理的に説明することができるかどうかちょっと考えてみていただきたい。

 話をわかりやすくするために、ニュートン力学を例にとって考えていこう。以下の話は、相対論でも量子論でも事情は全く同じである。ニュートン力学では、粒子の運動は粒子に働く力あるいはポテンシャルが与えられれば、原理的に粒子の運動は求まったと普通は考えるだろう。実際、後はニュートンの運動方程式を解けばいいだけである。(このとき、その方程式が実際に解けるかどうかはここでは問題としない。)確かに粒子の運動は、運動方程式によって一意的に決まる。だから、粒子の運動については原理的に全て分かったといって良いのだろうか?もうちょっとよく考えてもらいたい。粒子の運動は確かに運動方程式によって一意的に決まる。ただし、それは初期条件を与えたらという付帯条件付きである。運動方程式を解いて粒子の運動の軌跡を知るには初期条件(例えばある時刻における粒子の位置と速度)が与えられなければならない。このことを一気に宇宙に拡大してみよう。我々の宇宙がなぜ今観測されているような大きさなのか?又、星の数や銀河の分布などなぜ今のようになっているのか?現時刻での全ての星の位置と速度を知れば、恐らくその後星がどのように運動していくか我々は知ることが出来るだろう。でもそのためには、ある時刻での全ての星の位置と速度を知らねばならない。では、なぜその時刻に星達はその位置と速度を持っていたのだろうか?偶然か?だとすると我々にはそのことを説明できないことになる。もしそうなら、ある時刻における星の位置と速度、さらにはそれらを構成する電子や陽子等も入れるとほぼ無限に近い情報を我々は説明できないということになる。そう、初期条件の問題はそう単純ではないのだ!初期条件が違えば、当然宇宙の進化の仕方が違ってもおかしくはない。無限の可能な初期条件からなぜ今ある状態が選ばれたのか?やはり、我々は最後には神を持ち出さなくてはならないのだろうか?それとも究極理論はこの初期条件すらも説明することができるのだろうか?あなたは神の存在を信じますか?


 これまでに説明してきた5つの問いに対する答を、僕は持ち合わせていない。この問いが果たして本当に意味のある問いであるのかすら、僕には分からない。でもこれが本当に“問題”であるなら、究極理論への手掛かりを得たことになるだろう。自然の本質に我々はいったいどこまで近づいているのだろうか? 
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