研究に対する抱負と展望

 生命(細胞)は細胞膜に仕切られたひとつの世界であり、その生命システムの発現には「生体膜」の存在が必要不可欠である。生体膜は単に外界と内界とを仕切るバリアーではなく、生体膜中に存在する膜タンパク質によって遂行されるいろいろな「情報・物質・エネルギーのやりとり」を遂行するための場を提供している。こういった意味で、膜タンパク質の構造・機能の解明は生命システムの理解のための中心的課題と言っても良い。
 膜タンパク質の研究には幾多の困難がある。例えば、(a)「膜タンパク質・酵素」の精製自体が非常に困難である、(b)「膜タンパク質・酵素」の疎水性のため可溶化剤を使うが、そのために結晶化が非常に困難である、(c)「膜タンパク質・酵素」は「生体膜」中において種々の膜タンパク質・可溶性タンパク質との動的な相互作用を行っており、時としてその活性発現のためには超複合体などの形成を必要とする、さらには、(d)膜を介した「情報・物質・エネルギーのやりとり」という「機能」は、通常の「化学反応を触媒する」という可溶性タンパク質の酵素反応に比べて測定自体が難しく、その真の機能・活性を明らかにする事が非常に困難である、等があげられる。しかし、これらの困難は「膜タンパク質・酵素」の構造・機能の研究を非常に魅力あるフロンティアとしている。
 私達の研究グループはこれまで「ヘムタンパク質・酵素の構造と機能」というメインテーマを基本的な軸とし、状況に応じた新しい研究テーマに挑戦してきた。今までに扱ってきたタンパク質・酵素はほとんどが「生体膜」中に存在する「膜タンパク質」である。即ちステロイド代謝に関与するチトクロムP-450、チトクロムc酸化酵素、bo-型、bd-型ユビキノール酸化酵素などの呼吸鎖末端酸化酵素、神経内分泌小胞膜中のチトクロムb561等である。今後も引き続いて「生体膜」中に存在する「膜タンパク質・酵素」を中心とした研究を行う予定である。研究手法としては、(a)分子生物学的、生化学的手法による膜タンパク質試料の大腸菌、酵母での発現・高純度精製・生化学的解析、(b)その構造と機能の動的な解析をめざした生物物理学的解析(MALDI-TOF-MS 、パルスラジオリシス、ストップトフロー、Cyclic voltammetry、 赤外分光、共鳴ラマン、EPR、NMR、X-線結晶解析)、(c)真の機能・活性及びその制御機構を解明するため「膜タンパク質・酵素」の機能・活性を発現するための場を供給する人工小胞(プロテオリポソーム)を使用した再構成系の構築、の3つである。

 現在の主要な研究テーマとなっている、神経内分泌小胞膜での神経伝達物質の生合成に関与したり、また、植物の液胞、細胞膜などにおいて鉄イオンなどの輸送に関与していると思われるチトクロムb561電子伝達系についての研究計画を以下述べる。また、チトクロムb561以外の膜タンパク質についての研究計画についても簡単に紹介する。

【神経内分泌小胞に存在するチトクロムb561系】
 (1) 神経内分泌小胞のモデルとして副腎髄質クロマフィン小胞を用いる。クロマフィン小胞膜より分離精製したチトクロムb561を用いてアスコルビン酸/セミデハイドロアスコルビン酸と相互作用するアミノ酸部位を解明し膜貫通電子伝達機構を明らかにする。
 (2) 既に得ているヒツジ、ブタ 、プラナリアのチトクロムb561 cDNA を用いて大量発現系を構築し、部位特異的変異体を作製・精製し、電子伝達に必須のアミノ酸残基、部位を解明し、電子伝達のより詳細なメカニズムを解析する。また膜貫通型電子伝達素子としてのタンパク質高次構造を推定する。より下等な生物種におけるチトクロムb561 cDNAのクローニングを行い保存性アミノ酸残基の役割を解析する。
 (3) 生体アミン含有小胞においては最終的な電子の受容体はドーパミンβ−水酸化酵素(DBH)であり、また神経ペプチド含有小胞においてはペプチジルグリシンα-アミド化酵素(PAM)である。いずれもその活性中心には銅原子が存在し、酸素分子を活性化し基質を水酸化する反応を触媒している。そこで、精製したDBHあるいはPAM、チトクロムb561を組み込んだ再構成プロテオリポソーム系を構築し小胞膜外のアスコルビン酸からの電子伝達反応と小胞膜内部での酵素反応との関連性を解析する。
 (4) これら金属含有膜タンパク質のX線結晶構造解析も推進する。チトクロムb561も含め活性中心に金属を含有しているため、高純度結晶の作製に成功すれば、SPring-8放射光によるX線結晶解析のメリット(重原子誘導体を作製せずに、MAD法により位相解析を行える)を十分に活用できる。小胞膜を貫通するような非常に疎水性の高い膜タンパク質でも、モノクローナル抗体等を使用し親水性の部分を増やしたり、あるいはlipidic cubic phase を利用した系を利用し高純度の結晶作成をめざす。

【植物に存在するチトクロムb561系】
  (1) 植物に存在するチトクロムb561の代表的なものとして、我々の研究グループではトウモロコシ(Zea mays)の根の部分に主に発現している分子種を研究している。残念ながら、このチトクロムb561の生理的役割は未だ明らかにされていない。
 (2) 我々の研究グループはすでにこのトウモロコシ由来のチトクロムb561遺伝子を利用し、アルコール資化性酵母Pichia pastorisを使用した発現系の構築に成功している。この発現系を利用することにより、トウモロコシそのものからの調製が殆ど不可能なチトクロムb561を大量に高純度に精製することが可能となった。
 (3) 精製したトウモロコシチトクロムb561を可視分光法により解析することにより、型ヘムを含み動物神経系型チトクロムb561と類似したスペクトルを示すこと、アスコルビン酸により容易に還元されること、等が明らかとなった。さらにEPR法を用いた解析によって、動物神経系型チトクロムb561と同様に性質の異なる2種類のlow-spin型ヘムが存在することが明らかとなった。
 (4) 現在、部位特異的変異体の作成とその大量精製にも成功し、それらの生化学的・生物物理学的解析を進めている。

【その他の膜タンパク質の研究】
 (1) COOH末端に膜貫通領域を持つチトクロムb5を利用した研究を進めている。チトクロムb5はNH2末端側には親水性のヘムドメインを持っているが、COOH末端側にはα−ヘリックスを形成する疎水性領域があり、この部位が翻訳終了後にER膜への結合に寄与していることが分かっている。
 (2) この全長チトクロムb5及びCOOH末端ドメインに変異を導入したチトクロムb5を大腸菌で大量発現させ、精製人工小胞膜への結合機構の解析を行う計画である。
 (3) ER膜において、このチトクロムb5に電子を供給する役目を担っている酵素がNADH-チトクロムb5還元酵素(b5R)である。このNADH-チトクロムb5還元酵素(b5R)はNH2末端に膜貫通領域を持つ膜タンパク質である。この酵素はまたミトコンドリア外膜にも存在し、モノデヒドロアスコルビン酸ラジカルの還元活性を担っていることが報告されている。NADH→b5R→チトクロムb5の電子伝達反応機構と、モノデヒドロアスコルビン酸ラジカル還元活性機構、膜への結合機構、等の解析を行う計画である。


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