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『神戸大学発達科学部紀要』7-2、2000年3月

「障害文化」概念の意義と課題〜共生の社会教育のための理論構築に向けて〜

津田英二

The Meanings of “Disability Cultures” for the Mutualism Theory of Adult Education (T)

TSUDA, Eiji

It is the object in this paper to discuss the empowering function of Disability Cultures, for the purpose of constructing the mutualism theory of adult education. We here discuss and construct the concept of Disability Cultures which allows to be the base for the transcendence of the dualism of disability/non-disability, and for the mutualism between disabled and non-disabled. The discourse of Multiculturalism is the main context for this discussion and construction. We present as a result the concept of Disability Cultures as below.
1. Disability Cultures give recognition to people with disabilities and constitute the basic lifestyle, by means of controlling the process of production and consumption of needs of people with disabilities.
2. Disability Cultures are the organized creative activities of people with disabilities.
3. Disabililty Cultures are the unique cultures standing in contrast of Non-disability Culture.
4. Disability Cultures are compound cultures that contain the Non-disability Culture, and that contain various cultures inside.
5. Disability Cultures recognize the diversity and foster people with disabilities to be the subject.
6. Disability Cultures are the armamentarium for the resistance to draw Non-disability Culture into acknowledgment of and reflection on “ableness”.
7. Disability Cultures are the armamentarium for the emancipation from the non-disability illusion.

T 「障害文化」概念検討の意義

(1) 「障害/健常」二元論の超克

 “「障害者」と「健常者」の共生をめざす社会教育”といったテーマを考えるとき1)、共生とはどういう状態のことをいうのかということと、その状態はどのようなプロセスを経て可能なのかということを明らかにしなければならない。
 まず、共生の意味を検討するならば、究極的には「障害/健常」の二元論を超えることを理念化しなければならないだろう。すなわち、「障害」と「健常」の分類が自明ではないような社会をめざすということである。その際、二元論を超克するあり方として、@「障害」と「健常」を一つの普遍的な価値に収斂させる方向性、A二つの価値を極限まで解体し分散させていく方向性の二通りを考えることができる。
 見田宗介は、Aの方向性こそが共生の方向性と考えるべきだとして、次のように述べている。
“男性も女性も「同じ」だなどという、かんたんに証拠をあげて反論されてしまう観念によるのではなく、男といっても一人一人ちがう、女といっても一人一人ちがう、この一人一人の個のちがいの面白さに比べれば、「男一般」と「女一般」との差異などは背景的前提の一つにすぎない、という方向に突破した方が、正しいだけでなく、ずっとすてきな世界のイメージを開いてくれる。”2)
 「障害者」と「健常者」との共生に置き換えれば、次のように言うことができよう。すなわち、「障害者」も「健常者」も「同じ人間」だという言説は、「同じ人間といっても違いはある」という観念と共存しえるわけで、「障害者」と「健常者」を二元化する認識枠組みに対して何の変更も迫らない。むしろ「障害者」の多様性、「健常者」の多様性を顕在化させていくことによって、「障害者」「健常者」という二分法は多様な尺度のひとつとして相対化される3)。
 「障害個性論」と呼ばれる考え方は、このような理念と同じ方向性をもちえる。「障害は個性である」と観念することによって、「障害/健常」という二元論の枠組みを相対化しようすることができる4)。しかし、「障害は個性である」というのは、「障害」を肯定的に捉えることによって成り立つ認識である。したがって、「障害個性論」をめぐっては、「障害個性論」は「障害」を肯定するがゆえに発達を否定する考え方であるといった批判5)など、「障害」を肯定的に捉えるとはどういうことかという点をめぐって論争がなされる傾向にある6)。「障害/健常」の二元論の超克を試みる際にも、この論点は重要である。なぜならこの二元論は価値の序列と堅く結びついているからである。すなわち「健常」の概念はプラスの価値と、「障害」の概念はマイナスの価値と堅く結びついているのである。したがって、「障害/健常」の二元論を超克しようとする試みは、この価値の序列を解体する作業をプロセスの中に含まなければならない。
 個々の差異の顕在化による二元論の超克、共生の実現に至る方法論として、鄭暎惠は、「マイノリティ」のアイデンティティをもつことを強制されることからの自由、および「マジョリティ」の社会的義務と責任の全うを説く。
“「マイノリティ」は、「マイノリティ」に向かってこそ、おおいに語るべきなのだ。語り合い、「マイノリティ」として括られた者どうし間にもある〈差異〉を浮き彫りにしていくこと。そして、その〈差異〉をてことして、差別によって埋もれた〈自己〉を発掘していくこと、それこそが今、必要なことなのだ。……差別と闘う主体となり、差別をなくす上で、社会的義務と責任を全うすべきなのは、むしろ、差別する側の人々なのであって、被差別者ではない。”7)
 価値の序列の解体は、「マイノリティ」にとっては、自らに付与された否定的なアイデンティティを脱構築していくことを意味し、「マジョリティ」にとっては、その序列を意識化した上で「マイノリティ」に共感していくことを意味するだろう。鄭はこの点を戦略の基盤に据えたため、「マイノリティ」と「マジョリティ」は、別々の課題を与えられることになる。
 鄭の戦略を、「障害者」と「健常者」の文脈に置き換えると、次のように解釈することが可能であろう。すなわち、「障害者」は「健常者」によって強制された「障害者」としてのアイデンティティの呪縛から逃れるために、「健常者」との対話を断ち切る。その上で、「障害者」は「障害者」どうしの対話を通して自己のアイデンティティを自己執行する道が開ける。「障害者」は「障害/健常」という二元論から自由になって、自己のアイデンティティを脱構築することができるというわけである。そして同時に、「健常者」は「障害者」が主体的な存在であることを認知し、「障害者」ひとりひとりの尊厳に対して敏感な人間として自己形成していく。こうした「障害者」と「健常者」のそれぞれの取り組みを通して、「障害者」は自己を、「健常者」は「障害者」を、「障害/健常」という二元論を越えて、ひとりひとりのそれぞれに差異のある人間として認識することができるようになる、ということである。
 さて、ここでわれわれが問題とすべきなのは、二元論を超克することを理念としているにも関わらず、そこに至るプロセスにおいて、全面的に二元論に依拠しなければならないのだろうか、ということである。鄭の洞察においては、共生に向けて「マイノリティ」がなすべきことと「マジョリティ」がなすべきこととは異なるという戦略がとられている。既にその時点で、「マイノリティ/マジョリティ」の二元論の陥穽に陥っているのではないか?
 しかしそもそも、二元論に依拠せずに二元論を超克する道などあるのか? 「障害者」と「健常者」という二元論と関わりのない地点から、その二元論を超えようとすることなどできるのか? たとえば仮に、「障害者」と「健常者」の二元論を超克した理想的なコミュニティが存在すると考えてみよう。果たして、そのコミュニティは二元論を超克したということができるだろうか。答えは否であろう。なぜなら、そのようなコミュニティを、外部の人々は「障害者といっしょに何かをやっている団体」としか認識せず、「健常者」社会からは分節化し、むしろ「障害者」社会のほうに分類し、周縁化するだろうからである。そのコミュニティが、“われわれは「障害者」と「健常者」という二分法の枠を超えているのだ”と主張すればするほど、事態はそのように動くにちがいない8)。ある集団における二元論の超克は、過程としての意味を有するとしても、それによって二元論を超克したということはできない。さらにその外延に二元論が無傷のまま残っているからである。
 したがって、共生の実現に向けて、われわれは「障害者」のなすべきことと「健常者」のなすべきこととが異なるという地点から始める以外にない。ただし、“共生実現のための努力は「健常者」がなすべきことであって、「障害者」のなすべきことではない”といった鄭論文の戦略は、「障害者」の実存から見れば正しいだろうが、共生実現への回路を遮断してしまうということにもなる。なぜならそのような戦略は、自ら差別克服への正しい努力をするという「健常者」の「善意」を支柱としているのであり、そのもろい「善意」を前提にしなければ、「障害/健常」という二元論を形成する力に抗しきれないばかりでなく、「健常者」が「障害者」を周縁化し排除する方向と親和的になってしまうからである。むしろわれわれは、「障害者」と「健常者」の二元論に依拠した地点から出発しながらも、その相互性に着目し、二者の関係性の変容を通して、価値の序列を解体し、二元論を超克していくという見通しを立てる必要がある。この見通しをいかに立てるかということが、本論の課題である。

(2) 二元論超克の足掛かりとしての「障害文化」

 さて本論では、上述のような見通しを立てるために、「障害文化」定立を出発点として、その内実を主に多文化主義の論争史を背景としながら吟味し、共生に向けた戦略について考察しようと思う。「障害文化」という発想をとりあげるのは、次のような理由による。@議論の出発点として、「障害者」が依って立つ共通基盤を吟味するのに適切な歴史的概念である。A「障害文化」の担い手は「障害者」以外にもありえるという意味で、新たな射程を生む概念である。つまり「障害文化」という概念は、本来的に流動的でありクレオール的である。B多文化主義の論争の俎上に乗せ、「障害文化」と「健常文化」との関係性とそれに伴う文化変容を問うことのできる概念になりえる。
 ここで、「障害文化」という概念が生成された背景について述べておこう。日本においてタームとしての「障害文化」は、2つのルーツをもつと考えられる。第一に1970年代の障害者運動、第二に近年の「ろう文化 Deaf Culture」の紹介である。
 「ろう文化」という考え方は、ろう者を音声言語とは異なる独自の体系をもった言語(手話)を話す「言語的少数者」として捉えた上で、ろう者のコミュニティを「言語的少数者」による文化的集団と位置づける9)。
 「障害文化」は、この「ろう文化」の発想に刺激を受けて登場したと考えることができる10)のだが、この二者の間には激しい葛藤が見られる。「ろう文化」は、「聴覚障害者」という強制されたアイデンティティを拒否し、自らを「障害者」ではなく「言語的少数者」とすることで、「ろう者」の尊厳を勝ち得る。しかし、その手法は他の「障害者」からみれば、「ろう者」は言語の違いを根拠にして「障害者」との間に差異をつくることでアイデンティティを脱構築しているということになる。この方法では「障害/健常」の二元論を超えることはできないどころか、その二元論の価値の序列に乗じて自己救済できる「障害者」とできない「障害者」の間に新たな下位の序列が形成されることになる、と考えることができる。
 これに対して「ろう者」である森壮也は次のように答える。「ろう者」による「障害/健常」のカテゴリーと「聴者」によるそれとの間にズレがある。つまり、“「手話をもってつながりうる人」であれば、それは[障害者]ではなく、[ろう者]である。”11)あえて森の発想を解釈すれば、既存の「障害/健常」の二元論を、「ろう」という第三項を登場させることでズレを生じさせるということになろうか。図式化するなら、「障害(非ろう)/ろう/健常(非ろう)」ということである。
 しかしながら、この図式は他の「障害」についても同様に当てはまる。例えば「障害(非自閉症)/自閉症/健常(非自閉症)」というように。理解の困難さ・世界の独自性という点からいえば、「ろう」でも「自閉症」でもその他の「障害」でも程度の問題に帰する。言語の特異性だけを取り上げて「ろう」を特権化することはできない12)。どの「障害」についても、その「障害」をもっていない人からすれば理解困難な独自の世界がある。したがって、すべての「障害者」が、既成の「障害/健常」の二元論の枠組みから逸脱する可能性をもっているのである。ところが、そのような個々の「障害」の独自性にも関わらず、既存の「障害/健常」のカテゴリーの前では、すべての「障害」は一緒くたにされ、「健常者」に対する「障害者」として立ち現れてしまう。
 「障害文化」を足がかりにする際、「ろう文化」と「障害文化」の微妙な関係は示唆的である。というのは、個々の「障害」の個別性(「ろう」であること、「自閉症」であること)と、「障害/健常」の二元論に則った総体としての「障害」とをどのように使い分けるか、ということを考えさせてくれる。一方では、「障害」の個別性を無視して、「障害/健常」の二元論の枠組みの中に押し込めることが、総体としての「障害者」の抑圧に貢献してきた。しかし他方では、「障害者」が下位のカテゴリーに分散し、相互の利害衝突が顕現することで、「障害/健常」の二元論を超克する力は弱められてきたと言うこともできる。「障害者」の間の差異化によるアイデンティティの脱構築が重要なプロセスであることは先にも述べたとおりだが、「障害者」間の差異化は同時に、総体としての「障害者」の力を弱め、結果的に「障害/健常」の二元論の維持に貢献することにもなるのである。総体としての「障害文化」と「ろう文化」「自閉症文化」などのサブカテゴリーとをどのように関係づけるかということは、大きな課題である。
 「障害文化」という考え方のもうひとつのルーツとして、1970年代の障害者運動を考えることができる13)。当時の「障害文化」への動きをリードした「青い芝の会」の一員であった横塚晃一は、次のように述べている。
“私達脳性マヒ者には、他の人にない独特のものがあることに気づかなければなりません。そして、その独特な考え方なり物も見方なりを集積してそこに私達の世界をつくり世に問うことができたならば、これこそ本当の自己主張ではないでしょうか。”14)
 また、「青い芝の会」の行動綱領には次のような一文がある。
“我らは健全者文明が創り出してきた現代文明が我ら脳性マヒ者をはじき出すことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中から我ら独自の文化を創り出すことが現代文明を告発することに通じることを信じ、かつ行動する。”15)
 倉本智明は、横塚らのこうした主張の背景と問題性を分析している。すなわち、“健全者は正しくよいものであり、障害者の存在は間違いなのだからたとえ一歩でも健全者に近づきたい”という「障害者」が抱きがちな「健全者幻想」から逃れるためには、「健全者文明」から自立したもう一つの強力な文化の創造が必要であった。しかし、「健全者文明」の否定と「障害文化」の肯定という対抗関係が尖鋭になることで、対抗それ自体が自己目的化してしまった、と16)。
 倉本の説明を引き継ぐなら、「障害文化」を打ち立てるためになすべきことは、「健常文化」を否定することを通して「障害文化」の肯定性を確認することではなく、「障害者」である自己を肯定することができる相互承認の場をつくりだすことである。というよりもむしろ、「障害者」が「障害者」のままで承認されることこそが「障害文化」の要件となると言うことができるだろう。そして逆に「障害者」を「障害者」のままでは承認しないことが「健常文化」の要件となる。したがって、横塚の言うところの「健全者幻想」を「障害者」にもたせる磁場こそが、「健常文化」の本質なのであり、そのような磁場から自由な関係づくり、場づくりが、「障害文化」の創造なのだと言えよう17)。
 さて、ここで再度「障害/健常」の二元論を超えるということを考えてみよう。われわれは「障害文化」を定立することで、二元論に依拠した地点から出発する。果たしてこの戦略は、最終的に二元論を超克する見通しを立てることができるのか。以下ではこの見通しに向けて、3つの論点を検討してみようと思う。第一に、多文化主義の論争史を背景にして「障害/健常」の二元論を問題化することのできる「障害文化」の概念を検討する(第2章)、第二に、「健常文化」と「障害文化」との関係性を問うことを通して、二者の対立が外在的に解消される契機を探る、第三に「障害文化」の担い手は誰かということ(アイデンティティと多様性)を問うことによって、「障害文化」の内側から二元論を超克していく内在的契機を探る(第3章)。

U アメリカ多文化主義の諸論と成果

(1) 「リベラル多文化主義」対「コーポレイト多文化主義」
 アメリカの多文化主義論争の発端となったのは、1980年代後半に諸大学で広まった、西洋文明の必修措置の緩和ないし解除と、それに代わってのエスニック・スタディーズの重視へ向けての改革運動であった。この運動の背景にあったのは、アフリカ系アメリカ人などのマイノリティの子どもたちが学校教育の中で自信と自尊心を奪われており、そのことこそが社会的・経済的に成功できない原因となっているという問題意識であった。いかに個人として市民的権利を享受したしたとしても、依然として排除と抑圧が強固に残る、その原因を学校における再生産に求め、マイノリティが自己を積極的に理解する教育への転換が図られたのである18)。
 しかし、個人への平等な権利保障は差別や抑圧の最終的解決策ではありえず、解決のためにはより基底からの矯正が必要であるという問題意識は、1965年に成立したアファーマティヴ・アクションと同型である19)。アメリカの多文化主義の諸論を概観する際、1980年代後半より以前の議論も視野に入れる必要がある。
 Gordon は、「リベラル多元主義」対「コーポレイト多元主義」という図式をもとに議論を展開し、多文化主義論争に大きな影響を与えた20)。Gordon によれば、「リベラル多元主義」とは、公的な領域において人種や民族に基づいた承認を行なわず、人種や民族の独自性は私的な領域においてのみ承認するという考え方である。他方、「コーポレイト多元主義」においては、多様なグループの間での収入や就業の機会が平等にならない限り、経済的な公正は達成されないと考えられ、人種や民族の独自性は政治的な争点となる。したがって、「リベラル多元主義」は人種や民族の遺産の継承に対して最大限の自由を保障するのに対して、「コーポレイト多元主義」はそれを権利とし美徳ともするため、人種や民族の間の構造的分離を必然的に帰結する21)。
Gordon の理論枠組みに依拠すると、アファーマティヴ・アクションは「コーポレイト多元主義」に依拠しているし、多文化主義もまた「コーポレイト多元主義」を支持する形で現れた。「コーポレイト多元主義」が優勢である背景には、文化相対主義のイデオロギーがある。「リベラル多元主義」は、まさに文化相対主義の視点から批判される。すなわち、「リベラル多元主義」において公的な場を支配する普遍的価値とは、白人男性の価値にすぎず、その試みは“「大きな」白人文化のヘゲモニーの下に多くの「小さな」文化を押し込めること”という解釈がなされる22)。「リベラル多元主義」は容易に抑圧的普遍主義に堕するというわけだ。
 「アフリカ中心主義 Afrocentirism」は、この考え方の典型的な例である。Asante によれば、真の中心性 centiricity とは、“自己を、他者の文化的視野と社会的、心理的に関連づけることができるように、自らの文化的背景の中に学生を位置づけることを含む視点に関連している”23)。つまり、人は自己の文化をもつことによって、はじめて他者の文化と関係することができる。「アフリカ系アメリカ人」にとっての自己の文化とは「アフリカ文化」であって、普遍性の名において押しつけられる「アフリカ性」に基づかないいかなる文化でもない。このような主張のもとで文化相対主義は、排除された文化が自己の正当性を主張し、主流文化との対等性を確保しようとする過程で力となるイデオロギーであった。
 しかし、文化相対主義やそれに基づく「コーポレイト多元主義」は、抑圧された文化をさらに排除するための論拠ともなりえる。梶田孝道は次のように問題を指摘する。“一部の国では、マジョリティ自体が文化相対主義や多文化主義を逆手にとった主張を展開している。それによって、マイノリティ側の民族的主張が一部効力を失うとともに、マジョリティ側の自己隔離が一層鮮明なものとなっている。”24)マイノリティが自己の文化の権利を主張するなら、マジョリティも自己の文化の権利を主張することで既得権益を守ればよいというわけである。

(2) 「批判多文化主義」
 文化相対主義は、この概念を発明した文化人類学においても批判の対象となっている。太田好信によれば、“文化を「ある社会に住む人々が共有している意味の体系」として考えることが、きわめて流動的な現代社会の実状とは対応しないばかりか、それは文化を共有する人々の間の差異を隠蔽し、と同時に他の文化との境界を際立たせる。結果として、それは文化アパルトヘイトをサポートしかねない理論へと化ける。”25)文化相対主義は、あらゆる社会は時間を超越した特性をもっており、その特性のもとに社会は均質であり、しかもその社会と外部社会との間には絶対的差異が存在するとする「本質主義」を前提としている。この「本質主義」が、現存する社会の実態に対応しないばかりか、文化間にある力関係の不均衡を温存してきたというわけである。抑圧的普遍主義と対立して「被抑圧者」を救済しようとした文化相対主義自体が、抑圧の構造に加担するイデオロギーでありえるということが、時を経て明らかにされてきたのである。
 この動向を踏まえ、McLaren は Gordon の類型化を批判的に深化させた26)。McLaren の類型は、「コーポレイト多文化主義」と「リベラル多文化主義」に「批判多文化主義」を加えたものである。
 まず彼は、マジョリティの自己隔離へ導く「コーポレイト多文化主義」を、共通文化の構築に対する強い拒絶を示し、それゆえに「白人」の「白人性」を不可視化し、文化間の優劣を制度化するという意味で、「保守多文化主義」と位置づける。それに対して「リベラル多文化主義」は、「リベラル多文化主義」と「左翼リベラル多文化主義」に分類される。McLaren によれば、「リベラル多文化主義」は、制度の改良によって相対的平等が実現するという信念に支えられており、前述のような抑圧的普遍主義に堕することが多い。それに対して「左翼リベラル多文化主義」は、文化的差異を強調して「被抑圧者」の立場から制度改革を主張するものとされる。McLaren はこの立場にも批判的である。「左翼リベラル多文化主義」は、文化的差異が文化的・歴史的産物であることを忘れてそれを特権化する傾向にあり、しかも「被抑圧者」の側に立っていれば正しいという誤った信念に支えられやすいというわけである。
 McLaren は、「コーポレイト多文化主義」「リベラル多文化主義」に次ぐ第三の道として「批判多文化主義」を位置づける。McLaren によって「批判多文化主義」は次のように説明される。「批判多文化主義」は、差異や同一性を歴史的・社会的な構築物と考え、その生成過程や構造を批判し変革しようとする。したがって、全体を統合する普遍性もまた、既にあるものではなく、文化間の闘争を通して常につくりだしていくものであると考える。この闘争過程で特に重要なことは、「白人文化」自体を問い返すことである。この問い返しなくしては、「非白人」は「白人性 whiteness」を文化的標識として受容してしまうし、「白人」もまた自文化の規範を中立・不変なものとして判断してしまうからである。
Wieviorka や Taylor の問題提起も、「批判多文化主義」の視点を共有している。
 Wieviorka は、多文化主義の問題性を次の3点にまとめる27)。@多文化主義を援用する領域の問題。多文化主義が認知できる文化は限られている。特に多文化主義は古典的な国家・国民の枠組みで捉える傾向にあるため、多文化社会に統合されることを拒む文化、ホスト国への関わりを部分的なものにしようとする移民文化などはカバーしきれない。A多文化主義がいったん特定の文化を捉えると、文化の変化や変容を妨げることになる。多文化主義に認知された文化は制度から恩恵を蒙ることになるという構図は、その恩恵のためだけにアイデンティティを維持するという事態も生じる。B文化的差異と社会的不平等との間には、完全な対応関係がないため、多文化主義による政策が、実際の社会的不平等の解決につながらないことが多い。すなわち Wieviorka は、多文化主義が文化を本質主義的に捉えてしまうことの問題性を指摘しているわけである。したがって多文化主義が存立するためには、アイデンティティの永続的な変化による文化の分散化=文化の生産を視野に入れたものでなければならない。Wieviorka は、結論として次のような多文化主義を構想する。すなわち、多文化主義は安定的で認知されたグループばかりではなく、不安定なグループの要求にも応えなければならず、どれほど多くの人々が自律的主体に自らを発達させることができたかということが、多文化主義に基づく政策の正当性と妥当性を評価する際の基準になる、と。
 他方 Taylor は、すべての文化に平等な尊重を与えることができるかという問題を、多文化主義の中心的課題として検討している。歪められた承認が「従属的集団」の破壊的アイデンティティを形成しており、これを取り除くためにこそ、承認の政治としての多文化主義が必要とされていると捉えるのである。しかし、Taylor は、多文化社会における平等な尊重が容易ではない点に着目する。自分自身の文化と大きく異なる文化に対するとき、その文化にとっての価値がどのようなものであるかということを、漠然とした観念でしか知りえないからである。われわれが他の文化にとっての価値あるものを知ろうとするならば、その価値評価の背景を、我々にとっての自明な背景と並べて、それを可能性の一つとして位置づけなければならない。そのような地平を求めてわれわれは不断に努力をしなければならない。他者の文化に対して好意的な判断がなされたとしても、それが安易に行なわれたならば、温情的であるばかりか、他者を我々との類似性のゆえに賞賛しているという意味で、自文化中心主義である。このように Taylor は指摘している28)。相対主義を捨て去っても、理解の問題が残る。「批判多文化主義」は、文化的背景が異なってもなお承認が可能であるようなルールや認識枠組みを求めているということになるだろう。
 さてこのように、「リベラル多文化主義」と「コーポレイト多文化主義」の対立図式を超える新しい多文化主義は、文化を固定的に捉えず、文化の内部にある差異に注目し、新しく勃興してくる文化をも視野に含め、それらの文化を承認し主体化するための枠組みを提供しなければならない。しかも、主流文化とそれ以外の文化の間に不均衡が存在する。その不均衡を構成する文化間の非対称性を問題とし、その非対称性を生み出している文化の再生産過程を批判し、そうすることによって承認を成り立たせる地平を常に模索していくことが、新しい多文化主義に要求されているのだと理解することができるだろう。

V 「障害文化」の概念

(1) 文化概念の検討
 ところで、ここまで無前提に用いてきた「文化」とは何であろうか? 多文化主義における「文化」の概念が非分析的・感覚的で単純すぎると指摘する人類学者もいる。それによると、人類学における「文化」が概念枠組みであるのに対して、多文化主義における「文化」は、社会的平等に向けた闘争のための手段である。ただ、人類学が文化の複雑性を追究し、理論化してきたことが、全面的に正しかったわけではないとも言う。歴史的に継承されてきたものを文化とみる見方を脱し、社会的相互性の中で生起する集団的パワーとしての「文化形成力」に注目するなら、むしろ多文化主義による政治性を内包した「文化」の概念から学ぶことも多い、というのである29)。
 このように分析する文化人類学において、例えば Malinowski は文化の概念を次の5点で説明している。@文化は、人間のニーズ充足の過程で起こる諸問題をよりよく処理できるようにする手段的装置である。A文化は、モノ・行為・態度の体系であり、それらの各部分は目的に対する手段として存在する。B文化は、相互に依存しあう種々の要素からなる統一体である。C文化は、諸課題をめぐって組織され、さまざまな制度を形成する。D行為の類型としての文化は、教育・社会統制・経済・知識・信仰・道徳の体系・創造的芸術的表現といった各部門に分類することができる30)。こうして文化人類学は、ある共同体において、ニーズ充足に資するモノ・行為・態度を細かく収集・分析・意味づけし、それらがどのように組織化・制度化されているかということを観察することで、文化をひとつの統一体として記述するわけである。
 Parsons は文化人類学の影響を受けながら、文化の概念を社会の概念から明確に分離することで洗練させた。彼は文化を、社会と人格を上方からコントロールするシンボルのシステムとして捉えたのである。文化は、社会に対しては役割期待の構成要素となって、また人格に対しては欲求性向の構成要素となって、それらをコントロールするのだというのである31)。
 人格に対する文化という点で、Parsons が文化を欲求性向の構成要素として捉えたのに対して、Freud は欲求を制御するものとして捉える。Freud によれば、文化は生殖を原理とした共同体をつくろうとするが、共同体はその文化のもつ超自我としての倫理の発展とともに成長する。この文化のもつ超自我は、個々人の超自我と絡み合っており、これらは個々人の欲動満足への欲求を制止しようとする。すなわち、文化は個々人の欲求を制御しながら共同体を形成する、という32)。
 こうして見てくると、文化とは、人間の欲求を制御し、方向付ける媒体であるとともに、その欲求を充足する組織・制度を構成する役割期待でもあり、したがって欲求の生産と消費をめぐるシステムを制御する、個々の共同体に独自のシンボルとしての統一体であると言うことができよう。ただし、従来の文化人類学が前提していたような、ある共同体における閉じたシステムとしての文化は、現代社会の分析概念としては意味をなさない。すでに情報と産業のグローバル化に伴って、欲求は世界規模で制御され、規格化された手段で充足させられている、という側面をもつ。したがって、すべての共同体は、外部の文化と自らの文化とを複合させた文化をもっている、と言うことができる。その意味で、あらゆる文化は相対的にしかオリジナルではない。
 以上で見てきた文化の概念を「障害文化」に応用する前に、「サブカルチャー」およびマルクス主義の「文化」概念について多少の検討をしておこうと思う。
 まず「障害文化」は、「障害」という特定の価値基準によって形成された文化であり、「主流文化」である「健常文化」の中に飛び地のように存在する、と言う意味で「サブカルチャー」として定義することができるだろうか?
 Irwin は「サブカルチャー」を、@ある階層の行動パターン、A小集団のパターン、B特定の集団や階層と固く結びついた「社会的世界」あるいは共有されたパースペクティヴ、C自ら選択・創造するライフスタイル、といったように捉えた。彼によれば、@Aの定義は「サブカルチャー」を大衆が認知していない時代に社会学者が行なったものであり、BCこそが「サブカルチャー」が社会的に認知された現代社会に相応しい定義だという33)。すなわち、「サブカルチャー」が多元化し大衆化した現代において、「サブカルチャー」の特徴は、a)自由意志に基づいて参入してくる人々によって成り立つこと、b)共同性や共通の空間(拠点)をもたないライフスタイルであること、といった点だと言える。
 a)の点は、「サブカルチャー」に限らず、あらゆる文化への参入に当事者の主体的意志決定の余地が生じているということができよう。もっとも固定したものと見られがちである「民族文化」でさえ、例えば在日韓国・朝鮮人三世にとってのアイデンティティは、「本国人」であること、「日本人」になることの他に、「在日」として生きることという選択肢をもちえるようになってきたと言われている。「在日」として生きるという選択肢に、新しい民族アイデンティティを創造し、そこに賭けるという姿勢を見出すことができる34)。このように、文化の概念に、主体的選択による参入の観念を導入することは不自然ではないし、この点にこそ「本質主義」批判の根拠があるといってもよい。
 またb)の点に関して言えば、「障害文化」を共同性や共通の空間をもたないライフスタイルである「サブカルチャー」として考えることもできるだろう。「障害」ゆえに選びえるライフスタイルを「サブカルチャー」と呼ぶことも可能だからである。けれども、そのように設定された「障害文化」は、「障害/健常」の二元論を超えるという所期の目的への力とはならない。「サブカルチャー」の相対主義の中で認知されるのみで、「健常文化」との関係性を問うことが困難だからである。このことは、「サブカルチャー」がそもそも「主流文化」の内部に位置づけられている35)ことからも当然なのであり、「健常文化」に対する「障害文化」という対抗関係で捉えるためには、「サブカルチャー」概念の援用は不適切だろう。
 なお、「サブカルチャー」が、「対抗」ではなく「離脱」による「主流文化」に対するソフトな抵抗(日常生活に張りめぐらされた権力への抵抗)という意味をもっていると考える議論もある36)。確かに、1970年代型の「対抗」によるハードな抵抗(体制・国家権力といった権力への抵抗)は様々な矛盾を孕んできた。「障害文化」の文脈で言えば、「障害者」が社会変革推進の手段としてセクトによって利用されるという「利用主義」なども生んできた37)。しかし、「離脱」と「抵抗」との間には距離がある。次の桜井哲夫による観察のように、無力感に裏打ちされた「サブカルチャー」が抵抗の意味をもつことは難しいとも言える。
“若者達の圧倒的な現状肯定の姿勢の背後にあるのは、現実は、制度は変えられるものではないという、自己の無力感だといえるように思う。無力だからこそ、ひたすらコードに従ったファッションで連帯をするというファッション・セクトも成立するし、数多くの意味不明のクラブが生みだされて、一時的な戯れの場となる。”38)
 したがって「障害文化」は、ハードな抵抗とソフトな抵抗をあわせもった変革の拠点として構想すべきであろう。一方でハードな抵抗の拠点として共同性や共通の空間が重要になるし、他方でソフトな抵抗の拠点として多様性を生産し、さまざまな声のあがる文化として構想しなければならない。このことは、批判多文化主義の出した結論とも一致する。
 さて他方、マルクス主義の「文化」概念は階級闘争の文脈に置かれる。下部構造のあり方へも多大な影響力を持つ文化は、階級対立による規定・制約を受けるため、文化闘争が重要性をもち、文化的ヘゲモニーを誰が掌握するかということが課題になるわけである。この視点から考えると、文化は労働者階級の創造活動として捉えられる。すなわち、文化は措定された所与の客体であるばかりでなく、主体の自己実現としての活動だということになる39)。
 マルクス主義に倣って、「障害文化」を創造活動として捉えることは有効であろう。われわれは、「障害文化」対「健常(主流)文化」という対立図式の措定を出発点としながら、「障害/健常」の二元論を超える道を探ろうとしているのであった。創造的活動として「障害文化」を考えることで、「健常(主流)文化」に呑み込まれながらマージナルな存在である「障害者」の自己表現活動を通して、「主流文化」にズレを生じさせる過程に着目することができ、またそのような自己表現活動を組織化したものを「障害文化」として考えることができる。この見地からすると、「障害文化」と「健常文化」との関係は、スタティックなものではなくダイナミックな過程なのである。

(2)) 「障害文化」の概念と検討課題
 以上の多文化主義および文化の概念の検討をもとに、「障害文化」の概念を整理してみよう。

@「障害文化」は、「障害者」の欲求を制御し、方向付ける媒体である。また同時に、「障害者」の欲求を充足する組織・制度を構成する役割期待である。すなわち、「障害文化」は「障害者」の欲求の生産と消費の過程を制御することで、「障害者」の基本的な生活様式を形成するとともに、「障害者」のアイデンティティを調達し、「障害者」に承認を与える。
A「障害文化」は、「障害者」の組織化された創造活動である。「障害者」の創造活動は、マージナルな立場から「健常文化」にズレを生じさせ、変革をもたらす力をもつ。「障害文化」はこの活動を組織化したものである。

 この2つの概念は、@が所与の文化としての規定であり、Aが創造活動としての文化規定であるという点で、異なる事象を捉えているようにも見える。しかし、双方が相互に関連をもつ一連のプロセスとしてダイナミックに捉えれば、整合性がみえてくる。@は「障害者」の解放のための戦略としての概念であり、Aは「健常(主流)文化」変革のための戦略としての概念である。創造活動としての文化は、「健常文化」に影響を与えるとともに、組織化されることによって、個としての「障害者」にとっては所与の文化として形成されていく。また、創造活動としての文化は、理念化された所与の文化さえも超える力をもつ。所与の文化であり、創造活動でもある「障害文化」は、「障害者」の解放へのベクトルと「健常文化」変革へのベクトルの双方を向いている。

B「障害文化」は、「健常文化」との対照によって存立する独自性をもった文化である。
C「障害文化」は、多分に「健常文化」の要素を含む複合文化である。また同時に、内部に多様性を抱えているという意味でも複合文化である。

 この2つの概念規定も相互に矛盾するように見える。「障害文化」は「健常文化」との二項対立の上に成り立つ概念であると同時に、「障害文化」をその内容面の独自性によって特色づけることは困難である。しかし、実際には混沌としている現象を恣意的に差異化・排除しているという事態に対峙するとき、既成の二項対立に依拠しながら、その恣意性を際だたせるという戦略をとりえる。BCの矛盾を抱え込んだ「障害文化」の概念は、恣意的な差異化と非対称性を問題化するための、戦略的概念である。

D「障害文化」は、「障害者」の主体化を促し多様性を承認する文化である。
E「障害文化」は、「健常文化」に対して「健常性」の認識と反省を迫る抵抗の拠点である。
F「障害文化」は、「障害者」の日常生活を支配している「健常者幻想」という権力からの解放の拠点である。

 DEFは、@からCの概念を成り立たせるための必要条件と言うことができよう。@からCまでの概念で、解放と変革、二項対立とその止揚を理念化したわけだが、これらのためには、多様性の承認と相互性、権力闘争とを欠くことはできないことが、多文化主義の論争史からも明らかにされた。
 さて、「障害文化」の内包を明らかにしようとする際に検討課題となるのは、戦略的概念を成り立たせるための必要条件DEFの可能性である。すなわち、a)「障害文化」はいかにして「障害者」の主体化を促し多様性を喚起する文化たりえるのか、b)「健常性」の認識とは、具体的にどういうことなのか、c)「障害文化」はいかにして「健常者幻想」からの解放に寄与できるのか、といった課題である。これらの検討は、現象を分析する際の視角を提供するとともに、実践に対する指針の提供にも資するはずである。

〈注〉

1) “「障害者」と「健常者」の共生をめざす社会教育”論は、二者の共生に向けてどのような集団 やネットワーク、学習機会を組織化することが貢献するかということを追究していく。先行研究に小林繁編著『学びのオルタナティヴ』(れんが書房新社、1996年)、津田英二「障害者差別解放過程の理論化のために」(『生涯学習・社会教育学研究』No.20、1996年、pp.31-39)などがある。前者では、「障害」の概念やアイデンティティの問題などを手掛かりに、「障害者」の学習の内実を検討している点、「障害者の社会教育」事業を歴史的に概観している点など、本論の出発点となる研究である。また後者は「障害/健常」の二元論を超克する方法として「出会いの場」の機能に注目して論じているという点で、本論と密接な関わりがある。本論では、この「出会いの場」を含むシステムの構想を模索していこうとするものである。
2) 見田宗介「差異の銀河へ」栗原彬編『共生の方へ』弘文堂、1997年、pp.29-30
3) 多数の価値を一つの価値に収斂させていく方向性で考えられる共生の理念については、「リベラ ル多文化主義」の考察として次章で取り上げる。
4) 土屋貴志「障害が個性であるような社会」森岡正博『〈ささえあい〉の人間学』法蔵館、1994年、p.249
5) 茂木俊彦「障害論と個性論」『障害者問題研究』26(1)、1998年、pp.25-32。茂木は、「障害個性論」を“障害によって発生してくる困難、特別なニーズに注目させない方向へと人々の認識を誘導しようとする”危険を孕むものと捉える。すなわち、「障害/健常」の二元論超克への試みは、医療、リハビリテーション、発達保障への努力と対立するという捉え方もある。確かに、「障害」は個性だと言ってしまうと、「特別なニーズとそれへの権利」に対する社会的認知が弱まる可能性も否定できない。しかし問題は、排除と抑圧の対象として烙印された「障害」という概念と、そのような価値から自由である「特別なニーズ」という概念との不可分性にこそあると考えることもできる。実際、「特別なニーズ」を持たないのに「障害者」として分類されてしまう(と考えている)人々が存在する。すなわち、「障害/健常」二元論は、「特別なニーズ」とは異なる次元の、社会的構築物なのである(Davis, L., Constructing Normalcy; Lane, H., Constructions of Deafness, in Davis, L. ed., The Disability Studies Reader, Routledge, 1997, pp.9-28, pp.153-171)。したがって、“「障害」があるから「特別なニーズへの権利」を認める”という常識にこそ挑戦すべきであり、「障害/健常」二元論の超克による「障害者」の解放と、「特別なニーズへの権利」の保障とが両立する理論構築が重要である。
6) この点は、森正司『障害個性論』(大阪市立大学文学部哲学科卒業論文、1998年)に詳しい。
7) 鄭暎惠「アイデンティティを超えて」井上俊他編『差別と共生の社会学』岩波書店、1996年、pp.26-27
8) もちろん、そのような理想的なコミュニティをつくることを否定しているのではない。理想的な共生が実現したコミュニティも、「健常者」社会からは「障害者」のコミュニティとしてカテゴライズされてしまうということを述べているにすぎない。むしろ理想的なコミュニティを想定することのメリットは、「障害者」とは誰かという問いが投げかけられることである。この点は共生に向けた方法論を考えるにあたって重要なことであり、別の機会に詳しく検討する。
9) 木村晴美・市田泰弘「ろう文化宣言」『現代思想』24(5)、1996年4月臨時増刊号、pp.8-9
10) 長瀬修「〈障害〉の視点から見たろう文化」『現代思想』同上、pp.46-51
11) 森壮也「ろう文化と障害、障害者」石川准・長瀬修編著『障害学への招待』明石書店、1999年、pp.178
12) 後述するように、文化はシンボルとしての統一体という側面をもつ。したがって言語である手 話が特権的な位置づけをもつことは否定できない。ただし、それは限定的な意味においてである。それは次の理由から言える。言語はシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)、それぞれの恣意的な分節化および両者の恣意的な結合によって意味をもつ(丸山圭三郎『ソシュールを読む』岩波書店、1983年、pp.184-239)。手話が独立した語彙と文法をもつというのは、シニフィアンの独自性を意味しているにすぎない。例えば、A・Bという二つの文化があった場合、両者がシニフィエを共有しながらシニフィアンは異なるということが(原理的には)ありえる。特に聾学校で習得されることの多い日本手話にあっては、「ろう者」の世界の分節化過程は、日本手話習得以前の日本語(音声言語)からの影響を強く受けていることは否定できまい。また他方、制度としての言語(ラング)による不自由はあるものの、個人の発話(パロール)のレベルにおいてわれわれは世界の再布置化、新しい価値創造を経験することができる。この新しく分節化された世界を共有する集団が形成されれば、ラングにもズレが生じ、新しい文化が創造されたと言うことができるだろう。この場合、「障害文化」は「健常文化」から常に言語による同化圧力を受けることになる。「ろう文化」の場合、この同化圧力が比較的少ない分、有利ではある。しかし圧力は皆無ではないわけであり、むしろ文化間のせめぎ合いに注目すべきなのである。倉本智明は、言語による同化圧力とせめぎ合いを次のように明示している。“盲人であると同時に、男性でもある私は、同時代を生きる男性として、その大半を占める晴眼男性の文化をまちがいなくある程度身につけてしまっているはずである。晴眼男性が「美人」に惹かれ、欲情をおぼえるならば、それがいったいどのようなものか知らずとも、私も彼ら同様、「美人」ということばに反応し、性的な興味をかき立てられるのである。”“「美人」に関する限り、盲人男性はまさに「盲目的」に晴眼男性たちに追従しているのである。そこにはセクシュアリティをめぐる自己決定権の一部が明らかに剥奪されている。その意味で盲人男性は、「美人」に過剰な意味を付与する現行男性文化による被害を大きく被った存在であるということができる。私たち盲人男性がセクシュアリティにおける自己決定の幅を少しでも広げようとするならば、こうした「美人」の呪縛から逃れる手だてを考えなければならないだろう。”(倉本智明「盲人男性は「美人」に欲情するか?」『視覚障害リハビリテーション』No.48、1998年12月、pp.69-76)
13) 長瀬修が「障害の文化、障害のコミュニティ」(『現代思想』26(2)、1998年2月、pp.204-215) で、日本の「障害文化」の端緒として1970年代の障害者運動を取り上げ、「ろう文化」以降の「障害文化」との関連づけを行なっている。
14) 横塚晃一『母よ!殺すな』すずさわ書店、1975年、pp.52-53
15) 1973年に発表されたもの。全文は、『障害学への招待』(前掲、p.223)、楠敏雄『「障害者」解放とは何か』(柘植書房、1982年、pp.33-34)などで見ることができる。
16) 倉本智明「未完の〈障害者文化〉」『社会問題研究』(大阪府立大学社会福祉学部)47(1)、1997 年、pp.67-86
17) 「障害者」の医療、リハビリテーション、教育を支える思想の中には、「障害」をそのまま肯定するということには批判的であり、「障害」の現在の状態を否定することによって新たな「障害」の状態を発生させると考えるものもある(茂木俊彦「障害論と個性論」前掲)。その場合、「障害」を人格から引き離し、「障害」をその人が所有する対象と認識することで、人格を肯定しながら「障害」を否定するという論理が有効となる(竹内章郎『「弱者」の哲学』大月書店、1993年、pp.75-81)。しかし、「障害者」の実存的な問題として、「障害」と人格を分離することを一般化できるだろうか? 次のような文章がある。“俺の友だちのなかには、俺があまりにたびたび「障害者の皹野です」という言い方をするから、「おまえ、その言い方はないだろう。おまえは自分で自分のことを差別しているぞ」なんて文句いう奴もいたけどね。しかたないと思うんだ。このいい方は自分だって嫌だし、引け目を感じるけどさ。他人にわかってもらうためのレトリックだよ。”(障害者アートバンク編『障害者の日用術』晶文社、1991年、p.199)この葛藤から読 みとれるように、「障害者」の多くは、自己の「障害」を無視してアイデンティティを形成することが困難なのである。アイデンティティを支える他者のまなざしが、「障害」と人格を所有関係として認識することは決してないからであるし、また「障害」を抜きにアイデンティティを形成しようとすればするほど、アイデンティティの中心に「障害」を置かざるをえなくなるという呪縛があるからである(石川准『アイデンティティ・ゲーム』新評社、1992年、p.85)。「障害」を「障害者」にとってのアイデンティティの問題、すなわち人格の問題と捉えざるをえない状況がある。
18) 辻内鏡人「多文化主義の思想史的文脈」『思想』No.843、1994年9月、pp.43-66
19) 石朋次編『多民族社会アメリカ』(明石書店、1991年、pp.77-106)参照。
20) 日本においても Gordon の理論枠組みが多文化主義の文脈で紹介され、論議の礎になった。例 えば、関根政美「国民国家と多文化主義」初瀬龍平編著『エスニシティと多文化主義』(同文館、1996年、pp.41-66)など参照。
21) Gordon, M., Models of Pluralism, The Annuals of the American Academy of Political and Social Science, No.454, 1981.3., pp.178-188
22) アサンテ「多文化主義」[Multiculturalism]多文化社会研究会編訳『多文化主義』木鐸社、1997 年、p.68
23) Asante, M., The Afrocentric Idea in Education, Journal of Negro Education, 60(2), 1991, pp.171
24) 梶田孝道「「多文化主義」のジレンマ」『世界』No.572、1992年9月、p.63
25) 太田好信『トランスポジションの思想』世界思想社、1998年、pp.154-155
26) McLaren, P., White Terror and Oppositional Agency, in Goldberg, D. ed., Multiculturalism: A Critical Reader, Blackwell, 1994, pp.45-74
27) Wieviorka, M., Is Multiculturalism the Solution?, Ethnic and Racial Studies, 21(5), 1998.9., pp.881-910
28) チャールズ・テイラー「承認をめぐる政治」エイミー・ガットマン編『マルチカルチュラリズ ム』佐々木毅他訳、岩波書店、1996年、pp.37-110(Taylor, C., The Politics of Recognition, in Goldberg ed., Multiculturalism, op.cit., pp.75-106にも所収)
29) Turner, T., Anthropology and Multiculturalism, in Goldberg ed., Multiculturalism, op.cit., pp.406-425
30) マリノフスキー『文化の科学的理論』[A Scientific Theory of Culture]姫岡勤・上子武次訳、岩波 書店、1958年、pp.166-167。なお、棚瀬襄爾は、文化人類学における文化の定義の特徴として次の4点を挙げている。第一に文化を項目として列挙していること。第二に文化を社会的・集団的なものとして見なしていること。第三に文化を歴史的に獲得されたものとして捉えていること。第四に文化を統一体として理解していること。(棚瀬襄爾『文化人類学』弘文堂、1971年、pp.28-33)
31) 丸山哲央「T.パーソンズの文化システム論」パーソンズ『文化システム論』丸山哲央訳、ミネ ルヴァ書房、1991年、pp.133-158
32) フロイト「文化への不満」『フロイト著作集3』高橋義孝他訳、人文書院、1969年、pp.434-496
33) Irwin, J., Notes on the Status of the Concept Subculture, in Gelder, K. and Thornton, S. ed., The Subculture Reader, Routledge, 1997, pp.66-70(初出は1970年)
34) キム・チャンジョン『在日という感動』(三五館、1994年、pp.82-83)、金井靖雄『13の揺れる 想い』(麦秋社、1997年、pp.72-84)など参照。また、成玖美はこの点について次のように述べている。“今や在日朝鮮人の中心課題は、自らが矛盾をはらみながらも「日本」の構成員として在ることを前提とし、その上で自らの民族性をいかに引き受け、それを日本という国にいかに提示していくのかという問題に推移してきているのである。”(成玖美「在日朝鮮人のエスにシティ」『生涯学習・社会教育学研究』No.22、1997年12月、p.40)
35) 『社会学事典』(弘文堂、1995年)の「サブカルチャー」「対抗文化」の項目を参照。
36) 伊奈正人「地域文化としてのサブカルチャー」『社会学評論』No.193、1998年6月、pp.77-96
37) 楠敏雄『「障害者」解放とは何か』前掲、p.53。また、横塚晃一は次のように述べている。“障 害者問題を論じる場合、これに加わる人達はその大部分が学生、養護学校教師など福祉関係者であり、障害者はほんのお飾り程度になってしまい、問題の捉え方も労働運動あるいはマルクス主義革命路線の一環としてしか捉えられなくなってしまうのは一体どういうことなのだろうか? これらの学生、労働者は障害者問題に関わることによって自分達がいいことをやっている、自分達こそ正義の味方なのであり悪いのは全て政府、権力なのだというような発言をする。しかも障害者にむかっては「自分達は障害者差別などしたこともなく、そんな意識もない。我々と手を結ばなければ何も解決しないし、良くはならない。我々がやってあげるのだ。」というようなことを言葉の内外に現しているのである。この鼻もちならない傾向はある特定政党の下部組織などに特に強く現れている。しかし「健全者」が日本の労働運動などにおいて障害者のために一体何をやったというのだろうか?”(横塚晃一『母よ!殺すな』前掲、pp.191-192)
38) 桜井哲夫『ことばを失った若者たち』講談社現代新書、1985年、pp.191-192
39) 岩崎允胤『文化の現在』(三省堂、1988年、pp.25-37)