樹木の組織・構造と水分通導

黒田慶子 グリーンエージNo.417号(2008年9月号) P.36-39, 2008

キーワード樹液,仮道管,道管,木部,師部,エンボリズム,萎凋病

1 はじめに
 樹 木の木部(材の部分)を揚がる水は「木部樹液」と呼ばれ,この樹液の上昇を「水分通導(通道)」と呼んでいる。根から吸収された水が植物の茎の中を上がって葉まで 届く様子は,小学校で,ホウセンカに赤インクを吸わせる実験で観察した方もあるだろう(図1)。しかし,高校までの理科では草本のみを扱い,樹木について 習わない。樹高数十メートルの大木ではなぜ梢端まで水が届くのか,不思議に思われるのではないだろうか。
 樹液流動は,樹木自身にとって重要である だけでなく,森林の水源涵養機能やヒートアイランド現象の緩和などにも関わるが,外から見えないため,現実には意識されないことが多い。また,マツ材線虫 病(マツ枯れ)では,病原体の感染によって樹液流動にトラブルが起こり,それから症状がでることがわかっている。ここでは,通導の仕組みについて基本的な ことがらを解説したい。



2 健康な樹木の組織
 健康なマツの幹下部に穴を開けて色素液(酸性フクシンなど)を吸わせると,図2のように上昇する。このような水分上昇のパターンは樹種により異なる。樹液流動の仕組みを理解するには樹木組織の知識が不可欠であるため,以下に簡単に説明する。
 樹 木の材の部分は解剖用後では木部と呼び,水の通り道である道管や仮道管,幹を支える役目の木部繊維などで成り立っている(図3,4)。幹の中心に形成され る心材ではすべての細胞が死んでおり,樹液の流動もない。一方,樹皮は枝の若い部分では皮層が大部分を占めるが,枝が太くなると皮層は脱落し,師部が多く なる。師部の細胞は葉で生産された同化物質を下方に運ぶ。なお,本題の木部樹液は師部の中を運ばれる同化物質とは別のものなので区別が必要である。樹木で は師部と木部の間にある形成層の細胞が分裂して肥大成長が起こる。草とは異なる点である。根にも木部と師部があり,幹と同様に肥大成長するが,髄がないの が特徴である。
 水分の通路となる道管と仮道管は中空の筒である(図3〜5)。形成層で分裂してできた細胞は,成熟した段階で死に,その外 壁だけが残って水道管のように水を運ぶ役目を担う。針葉樹木部の大半は仮道管で,その直径は20〜30µm程度である(図3)。広葉樹の道管 はサイズや分布の仕方が樹種により異なっている。ニレやハリエンジュ,コナラなどの材は環孔材と呼ばれ,直径が約0.3㎜もある太い道管が同心円状に並ん でおり,他に小径道管が多数分布する(図4)。
 筒状の通導要素と直交する放射組織の柔細胞(図3B,4B)は,数年から時には十数年以上生き続け,物質の代謝や糖(でんぷん粒)の貯蔵,防御反応,老廃物の貯蔵などの役目を担う。



3 木部樹液上昇のメカニズム
 土壌中の水はミネラル類とともに根毛から吸収され,木部に運ばれる。高分子や水に不溶の物質は根から吸収されない。従って,土壌に施用する物質が樹木に吸収されるかどうか,疑わしい事例もある。
健 康な樹木の通導組織は,ほとんど混入物のない水で満たされている。木部の水は,葉から水が蒸発する(蒸散)時に発生する「テンション(張力)」によって枝 先の方に引き上げられる。数十メートルも上昇できるのは,水分子が互いに引き合う力,つまり「凝集力」がこの引っ張りの力に耐えるからである。この概念は 「凝集力説」"cohesion-tension theory"として1980年代に確立された。
 通導組織は常に水で 満たされているわけではない。強い日照下で蒸散が活発なときに土壌中の水分が不足していると,木部内では樹液にかかる張力が非常に強くなり,水分子のつな がりが耐えられなくなる。すると樹液中に気泡が突然発生し,道管や仮道管は気体で満たされる(図5)。この現象はキャビテーションやエンボリズムと呼ばれ る。たとえると,減圧下で水が沸騰するイメージである。気泡と同時に超音波アコースティックエミッション(AE)が発生する。このような気泡とAEの発生 を顕微鏡下で観察し,映像としてhttp://www2.kobe-u.ac.jp/~kurodak/embolism.html
- Movie&Soundに掲載している。
 仮 道管の壁孔にある膜は細かい網目(直径1µm以下)になっている(図5)。水不足や外傷によって通導組織の一部に気泡が発生した場合,気泡は 隣の仮道管に広がりにくく,排水は狭い範囲に押さえられる。一方,広葉樹道管の継ぎ目には大きな穴(せん孔)があり,気泡が発生した場合に排水の範囲が広 がりやすい。道管は水を運ぶ効率はよいが,通導機能が停止しやすいという欠点がある。大径の道管は,形成された年の数ヶ月から数年程度しか機能しないが, 小径の道管は心材になるまで長年水をあげ続ける。
 強い蒸散によって樹液流が途切れる現象は,健康な樹木でも日常的に起こっている。しかし夜間ある いは降雨により樹液にかかる張力が弱まると,空になった道管や仮道管にはまた水が流入する。樹液の上昇が回復するので,樹木は簡単に枯れることはない。し かし,夏に降雨のない日が続くと樹幹内の水は減る一方となる。通導組織が空になった状態がある期間(樹種により異なる)続くと,あとで水を与えても樹液流 動は回復しないことがわかっている。乾燥害といわれる枯れはこのような現象が起こっていると考えられる。北海道でトドマツ林に発生した集団枯死は,樹幹下 部の木部樹液が凍っている早春に蒸散が起こり,木部が著しく乾燥したことが原因であろうと推定している。
 針葉樹の場合,根からの吸水は蒸散による 引っ張りの力に依存しているが,広葉樹(双子葉植物)ではヘチマ水の採取に見られるように,根が積極的に水をあげるといわれている。しかし「根圧」がどの ように発生するのか,通導にどの程度寄与するのかよくわかっていない。この現象とは別に,広葉樹では葉が展開していない早春に木部樹液が上昇する現象が見 られる。気温が0℃前後で変動し木部樹液(師部の液ではない)が凍結融解を繰り返す時期にシラカバやカエデの樹液(メープルシロップの原料)が採取でき る。樹液が出る理由にはいくつかの説明があるが,科学的な証明はなされていない。
なお,これまで長らく,木部樹液の流動は単に筒の中を水が通る「物理現象」と考えられてきたが,近年の研究で,放射組織の柔細胞が樹液流動に重要な役目を果たすという説が有力になってきた。まだこれから解明される部分もあると思われる。

4 異常な通導停止:萎凋病感染樹木の場合
 微 生物に感染して「突然枯れる」病気を一般に萎凋病と呼んでいる。世界的に有名な病気は,マツの材線虫病,針葉樹の青変病,ニレ立枯病,ナラ萎凋病(oak wilt)があり,近年日本で被害が拡大している「ナラ類の集団枯死」もその一つである。日本ではマツ材線虫病が猛威をふるっているため,枯死のメカニズ ム解明を目指した研究が精力的に進められ,多くの成果が出ている。ナラの集団枯死については,菌の感染と通導阻害の関係がわかってきた。これらの病気に共 通して見られることは,病原体の活動によって「木部樹液が揚がらなくなり,急速に枯れる」ことである。通導の停止には,病原体への反応として樹木細胞で生 産された物質が関与していると考えられている。感染樹木が枯れるか生き抜くかは,樹木の生理状態と病原体の活動や環境とのバランスで決まる。感染で起こる 水分通導停止のメカニズムについては,また別の機会に解説したい。

5 おわりに
 樹幹にドリルで穴をあけても,簡単には枯らせない ものである。道管や仮道管の一部に空気が入った場合,木部樹液はその部位を迂回して上昇する。これはきわめて精巧なシステムと言える。人間の目に「突然枯 れた」と見える事例でも,樹体内ではこの通導のシステムが壊れるような現象が先立って起こっていることに,意識を向ける必要がある。樹液流動の測定方法は いくつかあるが,感染初期に起こる局部的な通導阻害は検出できないことが多い。外から見えない場所で起こる現象を観察するため,MRI(各磁気共鳴画像 法)のような非破壊的な手法の利用も試みている。なお,水分通導や萎凋病に関する解説はhttp: //cse.ffpri.affrc.go.jp/keiko/hp/kuroda.htmlに掲載しており,解説パンフレットや論文の一部はダウンロー ド可能である。